イレギュラー女子高生(仮)

 最近、気に食わないなと思うことがある。多々ある。それは例えば近頃本格的に冬の寒さを纏いだした外気だとか、日々組まれるシフトだとか、来店する客だとか。その他にも色々とある。挙げていけばキリがない。不満は尽きないのである。しかしその気に食わないの中で、ワーストオブ気に食わないに位置するものが、あるのだ。――それは、
 
「いらっしゃいませー」
 
 自動ドアの開閉音に対して、手元の作業は止めないまま自動的に営業文句が飛び出た。本日の私は夕方シフトだ。夕陽の差し込む店内では、たった今まで一人の客が雑誌の立ち読みに耽っていたのみだったというのに、そこに来店するとは何事か。こんな非常識なことをしでかしたのはどこのどいつだ、と理不尽なイラつきとともにそちらへ視線を向けると、……見覚えのある姿。
 いつも通りのらりくらりと店に入ってきたのは紛れもなく坂田さんであった。坂田さんといえば、先日酒を共にしたことが記憶に新しいその人である。さらに言えば、――実はコレが、ワーストワン。
 
 最近私が最も気に食わないのはほかでもない坂田さんだ。その死んだ魚のような目も締まりのない顔もグネグネねじ曲がった天然パーマも低い声も、気に食わない。彼がコンビニへ来るたび、なんとなく目で追いかけてしまう自分が、とてつもなく気に食わない。
 ちなみに、目で追いかけてしまうといっても別に私はアレではない。アレがああしてああなったわけではない。決してない。ただこの前母から余計なお世話を焼かれたことやら、いつぶりか異性となんとなくあたたかい時間を共にしたことやら、最近の寒さやらが相まってこんなことになってしまっているだけである。そう、ただの、一過性の、不調。それだけだ。だけれどまぁ、ともかく、なにしろ気に食わないのである。
 
 今日も今日とて迷いなくイチゴ牛乳売り場へ足を進めている彼の背を、不本意ながら視界の隅の方に収める。収めたまま、作業を再開した。いつも思うけどあのスーツ、ヨレヨレすぎない?  アレで本当に教壇に立つことができるのだろうか。永遠の謎である。そもそも坂田さんって本当に教師なんだっけ、確定してたっけその自己申告、と単純作業の傍ら常連客の身分詐称を疑い始めていると。
 
「――見つけたわよ先生ェェエ!」
 
 この静かな、店内ラジオがBGMとして雑音を提供するのみだった店内に、突如響き渡った大声。
 思わずぎょっとして顔を上げると、セーラー服を着た少女が目にもとまらぬ素早さで店の中へ飛び込んできたところだった。彼女は一ミリも減速しないまま、坂田さんの方へと駆けていく。
 
「私を撒こうたってそうわいかないわ!  今日こそさっちゃん特製&#九八二五;お弁当受け取ってもらうわよ!」
 
 撒く。特製&#九八二五;お弁当。さっちゃん。
 一息で言いきられた台詞にはとてつもない熱が込められているようだった。ようだったけれど、ちりばめられたキーワードすべてにクエスチョンマークが付随する。というか理解できる点がひとつもない。そもそもこの台詞を投げつけられているのは坂田さんである。坂田さんがセーラー服の女の子になにやら情熱的な言葉を投げられている?  えっどういうこと?
 
 突如イレギュラーに襲われ混乱の渦に突き落とされた私は、とりあえず目の前の状況を整理することにした。まず、セーラー服の彼女の大声に一瞬体をビクつかせはしたようだけれど、いまだ立ち読みを続ける客A。コレはどうでもいい。次にラベンダー色のロングヘアを靡かせて店の端から端まで響き渡るような宣言をしたその彼女。彼女は遠目でもわかる器量よしだ。おまけにプロポーションもそれはもう、すごい。何がとは言わないけど。そして、その彼女の視線の先にいる坂田さん。彼は先ほどから一ミリも体制を変えず、飲み物コーナーに向き合ったままである。
 一度息を吐き出したのち、整理したこの状況を改めて見つめる。いやはや、どうしよう。客観的に見つめ直しても謎が深まるばかりだ。何一つわからないどころかカオス感が増した気さえする。というかセーラー服を着ているということはこの彼女は坂田さんの教え子なのだろうか。先生と呼ばれていた気もするしそうなのかもしれない。そして見るからに彼女は坂田さんに熱をとばしているようなのだけれど、これはセーフなのだろうか。いや、色々な意味で。
 
 レジ台の中、一人悶々と眼前に訪れた衝撃の処理に手こずっていれば、この膠着状態の中動きを見せるものがあった。ほかならぬ、坂田さんである。
 お弁当云々の台詞を投げかけられ、しかしそれに対してうんともすんとも返答していなかった彼は、無言のままイチゴ牛乳をその手中に収めた。そうしていつも通りの歩調でいつも通りレジへ商品を置く。
 
「レジお願いします」
「そういう状況?」
 
 あまりにも平然としている坂田さんに思わずつっこんでしまった。いや、おかしくない?  あなた自分にまとわりついてるそのJK見えてます?  見えてるの私だけ?
 訝し気に坂田さんを見上げるも、彼は怠そうに尻ポケットから財布を取り出しつつ「とっとと会計しろよバイトだろ」横暴を振りかざしている。一方セーラー服の彼女は「先生……さては、放置プレイね!  そうやってまた私のことをいたぶってるのね!  イイじゃない、上等よ、乗ってあげるわ!  好きなだけいたぶればいいわ!  キャー!」一人でなにやら息を荒くしている。
 
「……別に坂田さんが誰とどんなプレイしようがどうでもいいんですけど、そういうのは外でやってもらえます」
「いや、誤解だから。俺被害者だからただの。コレはただの雌豚ストーカー」
「雌豚ですってェェエエ!?  ……フッ そうよ、私は先生だけの雌豚よ!  ようやく認めてくれたのね先生!」
「警察呼んでいいですか?」
 
 緊急ボタンに手をかけると「アホか!」と制止された。「学校にバレたら面倒だろーが!」「そこじゃねえよ」「減給がかかってんだよこっちは」「多分それ素行のせいだと思いますよ」そもそも減給されかねないような状況って何だ。薄々感づいてはいたけれど、やはりこの男マトモな教師ではないらしい。なお、この事実に対して驚きは全く生まれない。
 仕方ないので緊急ボタンは諦めて、心の底から沸いてきている面倒くささを前面に押し出した。私が二人へ白けた視線を向けていると、その視線にようやく気付いたのかセーラー服の彼女がふとこちらを凝視する。彼女は形の良い眉根を少し寄せたかと思うと、
 
「……アナタ、銀八先生とちょっとだけ仲良さそうじゃない。どういう関係?」
 
 コレである。どういうもこういうもあったもんじゃない。ただのバイトと常連客である。
 あまりにもあまりにもな質問内容に思わず閉口してしまっていれば、「まさか恋人じゃないでしょうね!?」女子高生(仮)から勘繰りを受けるという世界で一番わけがわからない状況が実現されてしまった。ていうか今更だけどこの子は坂田さんのこと好きなのだろうか。目の前で繰り広げられている猛烈なアタックを見る限りそんな気がするけれど、……がち?  男の趣味が悪いにもほどがある。性格には少々癖がありそうだけれど、こんな美人の女子高生に坂田さんが懸想されているだなんて。これは先日実母に傷をえぐられた私への当てつけだろうか。世も末とはこのことである。
 
 と、そうこうしているうちにも彼女はひとりで勝手に加速していっていた。「ナニだんまり決め込んでんのよ!  放置プレイのつもり!?  残念だったわね、私のことを凌辱していいのは先生だけよ!」この人夕方からナニ口走ってんだろう。今深夜帯じゃなかったよな、と思わず時計を確認してしまう。午後五時過ぎであった。
 何にしろ、この暴走JKにはそろそろブレーキをかけねばなるまい。従業員的にも人道的にも。しかし「いや全然フツーの従業員と客でしかないんで」そう発するため私が息を吸いこむと同時、それが音になるより先に坂田さんの声が発された。
 
「あー、コイビトコイビト、俺の」
「は?」
 
 誰が、誰の、ナニだって?
 落とされたのは坂田さんの衝撃発言だった。あまりも事実からかけ離れたその言葉に、理解するより先に自身の顔が歪む。「お前それどういう表情だよ」「だれのせいだと思ってんですか」坂田さんの恋人なんて願い下げである。お断りである。どの口が抜かしてんだという話である。
 不快感マックスを全力でアピールしている私を尻目に、坂田さんは「そういうわけだからストーキング行為そろそろやめろ猿飛ー」女子生徒に呼び掛けていた。どうやら私はいいように使われたらしい。興味なさげな表情のまま言ってのける坂田さんは間違いなくそろそろぶん殴られるべきだ。
 
 一方、女子生徒の方はどんな様子なのか、と恐怖半分にそちらを見やる。坂田さんのこのどうでもよさそうな口ぶりからしてまぁ信じていないだろうなと私は思っていたのだけれど。
 
「……わかったわよ」
 
 先ほどよりも低い声で呟いた彼女。チョットマッテ。まさか信じた?  このクオリティの嘘を?
 昨今の女子高生の純粋さに内心衝撃を受ける。嘘を嘘と見抜ける人間にならないと痛い目を見るぞ女子高生、と心の中のフリーターが先輩風を吹かせ始めたそのとき。
 
「――NTRね!?」
 
 頬を紅潮させ、眼を血走らせた彼女が叫んだ。「そこまでして私のことを弄びたいのね!  興奮するじゃないの!」とんでもないプラス思考である。こんなにプラスに思えないプラス思考は初めてだ。人間としてはマイナスである。
 だがしかしもう完全に一人で出来上がってしまっている彼女は両手を頬にあてて卑猥な言葉を並べながらキュンキュンとしている。ここで私は諦めた。コレは私には手が付けられない。放置に限る。というわけでイチゴ牛乳をレジに通した。
「ソレちゃんと持ち帰ってくださいね」「蹴り飛ばしとくから安心しろ」正直今は坂田さんよりも目が死んでいる自信がある。「一六二円です」機械的にお金を頂戴しレシートを出し、「アリガトウゴザイマシター」JKを引きずって店から出ていく坂田さんの背を、見送る。
 どっとわいてきた疲労感にため息を吐きながら、けれどそういえば今日は気に食わなさをあまり感じなかったな、ということに気が付いた。多分一連の騒動でうやむやになったんだろう。その点では少しだけありがたかった、のかもしれない。本当に少しだけだけれど。無論そのありがたさよりも消費カロリーの方が大きかったんだけれど。
 
 
 再び静寂を取り戻した店内では、立ち読みをしていた客Aが何やら商品を持ってレジにやってきているところだった。平和である。レジ台に置かれたカップラーメンなどなどをバーコードリーダーに通していく。時刻は一七時三〇分目前だ。バイト終了まで、あと三〇分。耐えねば。
 
 画面に表示された合計金額を読み上げて、客Aが財布を取り出すのを待つ。その男はゆったりとした手つきで小銭をこちらへ手渡した、かと思うと。
 
「恋人、ですか」
 
 聞こえた言葉が誰によるものなのか、私は一瞬困惑した。けれど考えるまでもなく、この店内にいるのは私と客Aのみである。そして私は一言も発していない。つまり、客A。
「ハイ?」あまりにも突拍子のない発言へ気の抜けた声が出てしまう。ここで私は初めて客Aの顔を見上げた。
 
「恋人なんですか、あの男」
 
 食い下がるその男の顔に、目を見開く。見覚えがあったのだ。コイツは、アレである。昼夜問わず訪れる件の厄介ハゲ親父。今日は帽子をかぶっていたせいで気づかなかった。
 ただでさえ気味の悪い質問だというのに、その主がセクハラ上等厄介客と来れば不快感はマシマシである。無論答えるという選択肢はなく、「一二円のお返しですー」お釣りを手渡した。しかし、やはりというかお釣りを差し出した私の手を両手で握りながら尋ねてくるその男。
 
「付き合ってるんですか」
 
 背筋がぞわわと粟立った。「答える筋合い、ないデスヨネ」本音を言えば『きもちわるっ』である。そろそろこの男はいくら行きつけといえどコンビニバイトの手を握り締めるという行為が法に触れる可能性があることを知ったほうがいい。いくら人のぬくもりに触れる機会がないといえどコンビニバイトでそのさみしさを埋めてはならないことを知ったほうがいい。
 
 この心底面倒くさい状況を打ち破ったのは、一七時三〇分からシフトに入っていた大学生男子の登場だった。「#name二#さんお疲れ様っス」片耳に七個ほどピアスをつけた彼の声を聞いて、男は焦ったように帰っていく。
 
「あれ、どうかしたんすか」
「いや、とくになにも。お疲れさまデス」
 
 大学生男子、DDにそう返して、息を吐く。客Aもといハゲの厄介客の背中へ、故郷のおっかさんが泣いてるぞ!  と呼びかけた。あんな大人にだけはなりたくないものである。コンビニバイトよりも格下だ。
 
 本日の業務終了まで、あと少し。坂田さん&JKの襲来やらセクハラ親父の襲来やら、私はもうくたびれた。
 帰ったら、今日は絶対バスグリン使お。そう固く決意した私は、溜まったレシートのゴミをゴミ箱の中へぶち込んだのだった。


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