「あっ#name二#さん、コレ出しといてもらえる」
「……あーハイ、わかりましたー」
時刻は金曜二四時すぎである。退勤時刻を迎えた店長の声に我ながらやる気のこもっていない声を打ち返した。視線で示された『コレ』とやらに冷たい視線を向ける。小ぶりのクリスマスツリーだった。
時間が過ぎるのは早いもので、世間はあっという間に一二月半ばに差し掛かっていた。店内に流れるクリスマスソングがフリーターの心を抉る。誰か店内BGMをもっと万人に優しいものに変更してほしい、川のせせらぎとか。でなきゃそろそろノイローゼになってもおかしくない。労災下りるかなコレ。……なんて考えつつ、疲れ切った様子で退勤手続きを終えていく店長を尻目に、まだ本日の労働時間を三時間残している私はツリーの設置に取り掛かった。色とりどりの飾りに目がちかちかする。コレなんていうんだっけ、やけに光沢のある玉。こんなものつけられてもみの木側が可哀想だ。生まれたままの姿で勝負させてやれよ。
夜勤のストレスをもみの木にぶつけながら仕方なくその緑を装飾していくと、名称不明の煌びやかな玉に自分の顔が映って眉根を寄せた。いかにもつまらなさそうな顔をしていた。
でもまぁ、悩みの種がもみの木であることについては多少のありがたみを感じないわけでもないのだ。
先日まで私が抱えていた諸々のストーカー問題に片が付いたのは一週間ほど前の話である。半月ほど頭を痛めたその問題ではあったけれど、ひとりで帰路についていたところに突撃してきたストーカーを坂田さんが打ちのめすという形で一件は落着した。
気絶するストーカーを遠巻きに、ひんやりとしたアスファルトの上で交わしたやりとりは今でも鮮明に思い出せる。余計なものまで見えてしまいそうで、あまり思い出さないようにしているけど。
ともかくあのひと悶着のあと、ストーカーの男は無事お縄についた。事情聴取は後日となった私と坂田さんもすぐに解放されて、しかし解散はしていない。お互いアドレナリンも放出されていたしよくわからない高揚感やら達成感、疲労感を抱えて、更に言えば次の日は休日。そうとくれば選択肢は一つだった。男がパトカーで連行されていくのを見送ったあと、私たちは酒を用意した。酒盛りイン坂田さんの部屋である。費用は流石に全部私持ちとしてもらった。そんなこんなでストレスをぶちまけるように飲みまくり、いやもう本当にしこたま飲みまくり、気づけば坂田さんの部屋で朝どころか昼を迎えていた。絵に描いたような二日酔いを味わうのはもういつぶりになるのか。いい歳してなにしてんだか、と呆れたものだ。コンビニバイトに負けず劣らず地獄であった。
そんなこんながことの顛末というやつである。だからまぁ、なんというか。もみの木ごときで頭を悩まされている現状の平和さはありがたくもある、というか。そう、だからありがたく享受せねば。この平和を。クリスマス一色の世間を。
自らへ言い聞かせながら死んだ目でツリーを飾り付ける私の耳を定番クリスマスソングが通り抜けていく。平常心平常心。呪文のように唱えて浮かれたメロディーを脳内から排除す……恋人がサンタクロース? どっちも幻想だわそんなもん。存在しないよこの世界に。……いややっぱり無理かも。つい呪詛を吐いてしまった。しかし一気に荒み始めた心を見て見ぬふりはできない。これは耐えらんないわ、スピーカー壊してこようかな。物騒な思い付きが頭を掠める中、不意に手中のベル飾りに自動ドアの開閉が反射した。鳴り響いた入店音に、またため息。ここへきて追い打ち? 独り身のフリーターに何の恨みがあるんだよと悲嘆にくれながらも、「らっしゃっせー」今度は黄金の玉飾りを枝に結びつけつつやる気のない声を発していると。
「また似合わねェことしてんなお前」
「……げ」
「げとはなんだよこちとら客だぞコノヤロー」
飾りの反射に見覚えのある顔が映るので驚いた。
ギョッとして振り返ればこちらを見下ろす坂田さんの姿。如何にも家着らしいスウェットの上にモッズコートを羽織っている。
「こんな夜中に何の用ですか」
「それコンビニ店員の言う台詞じゃなくね?」
「今更でしょそんなもん」
なにしろ今の私は荒んでいる。緊急の用でなければ脛を蹴るくらいはやぶさかでない。夜勤の仕事を増やしに来たのかこの天パ、という意のガンを飛ばした。
一方坂田さんはやはり微塵も堪えていなさそうな顔で「いやァ」と。
「この前レンタルしてきた映画そろそろ観ねーと期限なんだよ。映画観るならキャラメルポップコーン必須だろ」
「ポップコーンの味まで指定されてるのは初めて聞きましたけど」
「何事も甘いに越したこたァねーんだよ」
「何事も限度が大事なはずなんですけどね」
「つーかお前こそツリーの飾り付けに死ぬほど似合わねェツラしてっけど。なに? クリスマスに親でも殺されたの?」
白けた視線とともに返した言葉はスルーされた。おのれ天パ。いずれそのもじゃもじゃ引き抜いてやるからな。
恨み節は内心へ留めて、応戦のためよっこらせと腰を上げる。
「誰が戦場のメリークリスマスですか、こちとら戦場がメリークリスマスなんですよ」
「誰も言ってねーし何もかかってねーんだよ」
冷静に突っ込まれるけれどそんなことはどうでもいい。何もかかってなかろうと私の戦場がメリークリスマスであることに変わりはないのだ。毎日出勤出勤出勤、そして死ぬほどクリスマスソングを聞かされ、クリスマスケーキを予約していくカップルやら家族の幸せを見せつけられ。積み重なるストレスのはけ口を絶賛募集中だったのである。そこへ喧嘩を売り捌きに来た坂田さんが悪い。
「こちとらしばらく夜勤休んでたせいで酷使されて色々溜まってるんです。甘んじて受け止めろクソ天パ」
「ナニ? セクハラ? やめろよ最近問題になってんだよそういうの」
「だれがセクハラ? こんな間抜け面にセクハラ仕掛けるくらいならまだサンタの方がマシです」
「おっまえあんま銀さんナメてんじゃねーぞ! 俺だって煙突から人んち侵入するくらい朝飯前だからな」
「張り合うとこ全部間違ってるんですよね」
サンタクロースのことを『煙突から人んちへ侵入するジジイ』と捉えているあたり坂田さんのクリスマス像もお察しである。私といい勝負かもしれない。どうやら世間様の想定通りのクリスマスを味わえていない人間は私だけではないらしい。そこでなんとか溜飲を下げられた。
「ポップコーンならなんか外国製のいいやつ入荷してましたよ、確かキャラメル味」
「マジでか。じゃぁそれにするわ」
「多分三列目の奥にあります」
告げれば、おー、とかなんとか言いながら三列目の商品棚に向かう坂田さん。……品出しの時、あーコレ坂田さん好きなんだろうな、と思ったから覚えていた、というのは絶対に口に出さないと誓った。絶対に墓場まで持っていく。
これは本当になんとなくだけれど、あのストーカー騒動以来坂田さんとは距離が近づいたような気がしている。もちろん超仲良し! とまではいかないけれど、ちょっと親しい店員と客、と言い切るには少し違和感が残るような。実際幾度か一緒に酒を飲んだこともあるし、――その手のあたたかさを、私は知ってしまっているし。
不覚にも簡単に思い出せてしまうその温もりを記憶の奥底に沈めるように首を振る。坂田さんも全く面倒なことをしてくれたものだ。コレじゃぁまるで私がアレだ。アレみたい。絶対錯覚だけど。認めないけど。
それに、騒動は無事落着したのだ。だからもう、それに触れ合うことはない。多分、金輪際。
それでいいのだ。私と坂田さんはバイトとお客でしかないのだから。心のどこかで小さな寂しさなど、沸いていない。決して。
そのあたりで坂田さんが会計に向かう雰囲気を察知して、様々な思考を振り切るようにレジ台に立った。並べられた品々をバーコードリーダーに通す。坂田さんはがま口の小銭入れを開きつつ、「あ、そういや」不意に窓の外へ目を遣った。
「さっき雪ちらついてたぞ」
「うわ……バイト中の人間のテンションを更に押し下げて楽しいですか?」
「まァそれなりに」
性格の悪い男である。「三時間以内にやんでくれるようにてるてる坊主作っといてもらえます」作業の手は止めずに言えば「お前が死んだ目でバイトしてるって思いながら映画観て食うポップコーンは旨いだろーな」。こいつ、喧嘩売ってやがる。表示の金額より少し多めの現金を預かって機械に流し込みながらその眼を睨み上げた。
「製造不良でポップコーンにゴキブリが入っていますように」
「こんなに真っ直ぐに目を見つめられながら怨嗟吐かれたのハジメテ」
「人生の経験値上がってよかったですね」
嫌味を吐きつつお釣りを返そうとして……眉根を寄せる。原因は坂田さんと目の前の機械である。どうやらレシートが詰まって上手くお釣りを吐き出せないらしかった。こういう時に限ってポンコツになるんだから困ったものだ。
「あー少々お待ちくださーい」
形ばかりの敬いをのせた敬語でトラブル発生を知らせた。店内には坂田さんのみだから焦る必要もないだろう。落ち着いてトラブルに対処する。
他方、やはり特に気にするでもない坂田さんは作業する私を見つめながら「映画二時間半あるんだよな」どうやら世間話を続ける気らしい。まぁ無言よりはありがたいので「そーなんですか」私も機械を操作しながら相槌を打った。
「割と長めですね」
「だから観るタイミング逃しちまってたんだよなー。おかげで返却日明日」
「大分ギリギリを攻めましたね」
「まぁな。……で、お前のバイトが終わる頃に俺は映画を観終わるわけだけど」
雪酷かったら迎えきてほしい?
続けられた声に、思わず作業の手が止まった。一瞬の間をおいて顔を上げれば、ひとをおちょくるのが楽しいですと書いてあるような目と、視線が絡む。
「……揶揄いましたね」
「意外とイイ反応すんじゃん、お前」
「しね」
ようやく機械から吐き出された釣銭を突きつけるように手渡した。坂田さんは「ま、豪雪だったらスクーター飛ばしてきてやるよ」ケラケラ笑って店を出ていく。お呼びじゃねえよと親指を下に向けておいた。最悪の後味を残して帰っていったその背を鋭く睨みつける。というかこの近距離でスクーターを使うな。スリップしろ。こんな物騒なことを考える後ろでもクリスマスソングが流れ続けているのだからシュールなものである。
きっと今頃、街はイルミネーションで彩られているのだろうか。白い息を吐き出しながら寄り添う恋人同士の姿が簡単に思い描けて頭を抱えた。思考を振り切るようにまたツリー装飾作業へ移って、没頭を試みる。忘れてしまえ、坂田さんのことなんか。見ないふりをしたまま、全部すっかり。
フリーター・独り身・(周囲に)友人ナシ、そして恋の気配も断固、絶対、確実にナシ。
そんな私からすればそれこそ唾棄すべきクリスマスは、もうすぐそこに迫っていた。
敵たる行事