正真正銘サンタクロース

 最悪だ。
 一二月二五日、一九時三二分。本日のバイト開始からはや二時間が経過した今日この頃。私が重く呟くのはそんな言葉であった。原因は、言わずともがなその日付。
 クリスマス。それは一年の中でも一二を争う大イベントである。恋人や家族や友人同士が、どうしてか共に過ごしたがるこの時期。つまり、シフト希望者が大変少なくなる時期。
 そんな状況に対して悲鳴を上げたのが当コンビニである。この繁忙期にシフト希望者が少ないときて、店側の打つ手は一つだった。『使える奴を使い倒す』。クリスマス関連の繁忙期の訪れとそれに反して加速するバイト不足は名もなきバイト戦士に悲劇を引き起こした。日本中の人間が大切な人とやらと過ごすにあたり、私の八連勤が献上されたのである。そうして、何を隠そう本日が八連勤目。私はといえば元から尽きていたやる気が枯渇していた。くそくらえだ。何が嬉しくて人の幸せのために私が労働しなければならないのか。何が嬉しくて如何にも幸せそうなお客相手にケーキを売り捌かなければならないのか。――何が嬉しくて、
 
「ママーみて!  サンタさんだ!」
「こら、店員さん指さしたらダメでしょ。スミマセンうちの子が……」
「イエ……ありがとうございマシター……」
 
 何が嬉しくて、八連勤の上こんなチャチいコスプレをしなければならないのか。
 お察しの通りというかなんというか、私が今身を包んでいるのは所謂サンタの衣装だった。おなじみの赤い帽子に赤い上着、赤いズボンである。この店舗の毎年の恒例で、二四日と二五日はコレの着用が義務付けられているらしい。今日はバイトの男子高校生と私がその餌食になっている。お互いこれでもかというほど目が死んでいた。
 
 ペコペコ頭を下げながら帰っていく母子らしきお客を見送り、あーほんとに最悪、と内心で独り言つ。隣のレジで作業をしている高校生と違って私は昨日もコレを着せられていたのだ。面白がるような客の視線やら飲み会帰りらしい若い男のウザ絡みやらを乗り越えて、現在私の心身の摩耗は既に限界を突破している。頭痛がするような気までした。品出しやら発注やら接客やら普段の業務だけでも満身創痍だというのにその上こんな仕打ちをされて、もう致命傷と言っても過言ではない。死である。このままではクリスマスに殺される。
 というように、連日の疲労のあまりよくわからない危機感まで抱いてしまう始末だ。八連勤最終日ということもあって頭が働いていない。レジに自動精算機能がついていなければきっと恐ろしい損失を上げられていたことだろう。
 
 コンビニは、まだ早い時間だからか面倒な客は来ていない。そのかわりに空になることもない。
 ハッピーなクリスマスソングが繰り返し流れる店内はポップでカラフルな飾り付けに彩られている。入り口付近では先日私が死んだ目で装飾したツリーが存在感を発揮していた。あと数時間もすれば押し入れへ押し込まれるだろうそれらに、ため息を浴びせる。独り身のフリーターにこんなもん突き付けて楽しいか?  悪趣味にもほどがある。店長の残り少ない髪の毛をむしり取る想像をして苛立ちを抑えた。
 
 だから本当に、今日は最悪なのだ。唯一の救いといえば昨日今日と坂田さんが姿を見せていないことくらい。あの男にこんな格好を見られた日には本格的に死ねる。一生ネタにされそうである。
 最悪のケースを想像して更に気分を押し下げってしまっている中、流れでそういえばその坂田さんが来店しない理由ってなんだろう、とふと思った。週数回ペースでコンビニの世話になっている彼だけれど、考えればここ三日間ほど姿を見ていない。まぁ普段からさして珍しいことでもないけど、時期が時期なのだ。私はあの人もクリスマスに置いていかれた側と認識していたけど、……まさか。
 
 まさかあの男、恋人いたりする?
 勝手に想像しておいてアレだけれど、想像するだけでも眉間に皺が寄るのが分かった。坂田さんに、恋人。……いや、ないか。すぐにかぶりを振った。それはどうにも気に食わない。私のプライドが許さない。
 冷静に考えても坂田さんに限ってそれはない気がしている。坂田さんに恋人がいるはずがない。何度か家にお邪魔してもそんな影はなかったし。なによりあんなチャランポランだ。いくら教職を手にしているといえど補いきれない欠点がある。坂田さんに恋人がいて私にいないなんてことがあるはずないし。私がバイトで苦しんでいる間坂田さんはどこぞの女とあんなことやこんなことを繰り広げていたなんてそんなことあっていいはずがない。バカなこと考えちゃった、ハハハ。
 
 内心乾いた笑いを漏らしつつ、ホットスナックコーナーへ季節限定発売のチキンを補充した。本日までに売り切らなければいけない在庫がまだわんさか残っているのだ。絶対この中のいくつかは廃棄ののち私の胃袋行きだな、なんて確信めきながら保温ケースの中に山盛りの肉を並べる。すると、オレンジの光で照らされたケースへチキンを綺麗に整列し終えた、そのとき。
 
「らっしゃっせー」
 
 この八日間嫌というほど聞いた入店音と男子高校生のおざなりな挨拶が店内に響いた。なぁんだ。また客か。またカップルだったらそろそろ首括ろうかな。そんな死んだ心と目で入り口を確認する。端的に言えば私の予想は外れていた。代わりにそこにいたのはカップルの対義語。げえ。先ほどの比ではないくらい、眉根が寄る。
 
 私の今のこの気持ちはなんと称せばいいのだろうか。噂をすればとはよく言うけれどこんなことがあっていいのか、いやよくない。本当に今日は最悪だとずっと思っていたけれど、残念ながらまだ下はあったのか。
 
 だからつまり、来たのである。来店されてしまったのである。一番来てほしくなかった常連客の、坂田さんが。
 
 保温ケースのガラス越しに私と坂田さんの視線はそれはもうバッチリと絡んだ。絡んだのち、すごい勢いで坂田さんが目をそらした。こちらに背を向けてお菓子コーナーへ足早に向かうその人の、肩が震えている。あの野郎。私の胸の底では静かに怒りの焔が揺らめいていた。ゆるせねえ。笑ってやがる。
 頬をヒクヒクと震わせながら憤りを込めて保温ケースの扉を閉める。壊したら怖いのでギリギリのところで力をゆるめたけど。いや本当に、最悪。こんな格好見られたらもう生きていけない。享年二四である。衣装を渡されたとき付け髭だけは断固拒否しておいて本当に良かった。
 
 よりによってこのタイミングで人波が引き、店内にお客は坂田さんだけとなってしまっていた。コレでは多忙に逃げるという手も取ることができない。
 諦めを込めて蛍光灯の数を数えていれば案外早く買うものを決めたらしい坂田さんが迷いなく私のレジにカゴを置いた。同時にこちらへ向けられる視線がいかにも『お前を面白がっている』と伝えている。
 
「アリガトウゴザイマース」
 
 売られた喧嘩は買う主義だ。こちらも坂田さんへ明確な殺意を向けながらバーコードリーダーを手に取ると、耐えきれなくなったのか彼が口を開いた。
 
「おま、それ……ぶはっ」
「あと三秒で出てってもらえますかお客様」
 
 人の機嫌を悪くするために作られたのか?  とガンを飛ばしたくなるような表情で坂田さんは爆笑している。無論私のサンタクロース姿をである。「なに?  子供に夢でも届けんの?  お前が?」「シネ」いちアルバイトのチャチいコスプレでこんなに笑えるならこの人も幸せものだろう。しかしその幸せの下にどれだけの犠牲が敷かれているのか考えてみてほしいものである。犠牲の筆頭としてじろりとそのアホ面を睨み上げた。
 
「サンタコスしてくれる彼女もいないアラサーが」
「安定した収入もねェ二十代は黙ってろ」
「ハイ戦争ー」
 
 親指を下に向けガンを飛ばす。「お箸お付けシマスカー」「仕草と台詞合わせてくんね?  つけてください」小さなクレームは聞こえないふりをして箸を一膳取り出した。そもそも喧嘩をふっかけてきたのは坂田さんの方である。私は正当防衛により情状酌量の無罪だ。ぶちんとした顔のままバーコードリーダーを動かしていれば、坂田さんが少し笑ったような気がした。次いで「お前今日は何時までなの」今度は特に揶揄いの色をもたない声が落とされる。
 
「……日付が変わる頃までですね」
 
 私も応戦モードは一旦オフにして返した。大きなため息とともに。
 時計を見上げればバイト及び八連勤終了時刻まだあと四時間ほどが残っている。憂鬱とはまさにこのことだった。
 
「非リア充は夜勤充てられてるんですよ、しりませんでした?」
「えっそーなの、お前が非リア充なことしかしらなかったわ」
「カラーボール投げたい」
 
 一旦オフになったはずの応戦モードが再起動された。その銀髪オレンジに染めてやろうか。大体百歩譲って私が非リア充だとしてもそんなもん坂田さんも同じようなものだろう。よってどうこう言われる筋合いはない。手元にカラーボールがあれば本当に投げてやることもやぶさかではなかった。残念ながらカラーボールは隣のレジ、男子高校生の後ろあたりに置かれているから諦めたけど。少々の無念を晴らすように「七八二円です」苛立ちを込めて言い放った。
 
「千円で。まぁでも夜勤ってことはあまりモン貰えたりすんだろ、肉とかケーキとか」
「お預かりしまーす。この時期ですからね、廃棄のチキンやらケーキやらはわんさか。お陰で毎晩夕食が豪華で豪華で」
「目ェ死んでんぞ」
「この世の誰かの幸福をおかずに飯食ってるようなもんなんですよ、死にたい」
 
 なんならその夕食というのもここのところは明け方に食べているのだから追い打ちだ。そんなことを考える目の前で千円札が機械へ吸い込まれていく。「どこに出しても恥ずかしいクズだな」どう頑張っても褒め言葉とは思えないそれは秘技聞こえないふりでやり過ごした。過ごしていたら「で、ちなみに俺は肉が好きだ」どういうわけかすべての文脈を無視したような言葉が続いて耳を疑ってしまった。
 
「……いや突然なに」
「甘味も好きだ。生クリームなんざ言うまでもねェ」
「ねえどうしたのクリスマスにやられました?」
 
 機械が順調に排出した釣銭を握り締めたまま、坂田さんを訝しんだ。脈略がないにもほどがある。それでも国語教師なのか。それともやっぱり教師というのはハッタリなのか。
 私の訝しみを受けて坂田さんは「違げーよ」呆れたように笑っていた。悪戯っぽい、でも柔らかな笑みが、こちらへ向けられる。
 
「ただ、うちにもサンタさんこねーかなって」
「……はあ?」
「一二時に肉とケーキ持って待ってろよサンタ」
 
 その意を読み解くのに、私は三秒ほどを要した。三秒ののち、二秒ほど静止してしまった。
 計五秒が経過したのち、ようやくやってきた動揺を誤魔化すように業務を遂行する。握りしめていた釣銭とレシートを、大きな手のひらの上にのせた。
 
「……サンタって、子供のとこにしか現れないんですよ」
「俺心は少年だから」
 
 坂田さんの顔はこれ以上なくいつも通りだ。目は死んでいるしマヌケだし。対する私も普段通りただの疲れたアルバイターの顔だろう。「へー」無味な返答を落としたのち、「サンタって酒が好きらしいですね」豆知識を教えてあげた。
 
「そりゃタメになるな」
「つまみにはスルメが欠かせないらしいです」
「オヤジじゃねーか」
「サンタなんで」
 
 商品の入ったビニール袋を坂田さんへ手渡す。バイトあがったら私のサンタも終了なんだけど、とは言わないでおいた。坂田さんは「ウチ煙突ねーけど勘弁しろよ」だなんだと言いながら自動ドアへ向かっていく。
 
「煙突って」
 
 何言ってんだか、と呆れがわいた。坂田さんにも自分にも。でも、私はてっきり、今日が人生最悪の日なのではないかとすら思っていたけど――案外そうでもなかったのか。
 少しバイトを終えるのが楽しみになってしまった自分に気づいてため息を落とした。絶望しかなかったはずなんだけどな、今日は。だから、まぁ、なんというか。
 
 煙突がないくらいは勘弁してやらないこともないですよ。
 
 もう見えなくなった背の主に、少しゆるんだ口もとを見られないことが救いだった。


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