瞼越しに差し込む陽射しに鬱陶しさを覚えた。冷えた空気や体の節々を襲う怠さに眉根を寄せる。襲ってきた欠伸を交わしながら、重い重い瞼を数ミリ持ち上げてみると、霞む視界には見慣れた天井が広がっていた。ズキズキと二日酔いを主張する頭をなだめるように眉間を揉む。察するにどうやら、こたつで寝落ちをしたらしい。俺ァ浮かれ大学生かよ。そんな呆れがうっすら浮かんだ。
 
 ついつい一瞬遅刻か?  と焦りかけるが、幸運なことに本日は冬休み二日目である。事務作業やら何やらが溜まっていないわけではないが、登校の必要はない。問題児どもの起こす問題に対応する必要もない。あーマジ一生冬休みでいいんだけど。そんな幻想を抱きつつ、とりあえず手探りでスマートフォンを探し、画面を点ける。曰く、現在時刻は一二時半とのことだった。
 昨日の飲み方を振り返るに、まぁ夕方に差し掛かっていないだけ上出来か。不意打ちで襲いくる大欠伸に耐えながら、片肘をついて体を起こすと、こたつの上には昨日飲み散らかした酒瓶やら空き缶、つまみの残骸が転がっていた。片付けるのめんどくせーな、後回しで。瞬時にそれだけ判断しつつ、寝起きのせいかまだ多少あやふやな部分も多い昨夜の記憶を辿った。
 
 昨日は俗にいうクリスマスだった。なんやかんやで俺は夜勤終わりのアルバイトを誘い、ここで酒盛りをしたはずである。そうして、……まぁ色々とあったが、気になる点は主に一つである。つまるところ。
 
 アレ、どこまで現実だった?
 
 俺の記憶が正しければ、昨日のクリスマス会はそれはもう盛り上がった。#name二##name一#と浴びるほど酒を飲み、つまみやら肉やらケーキを食い、下らないことで大笑いをした。確か終盤はもうかなり深い時間に差し掛かっていたか。ひょんなことから互いの体温がまざり、それまでのバカ騒ぎから空気が変わった。酔いに押されて、欲が迸った。
 正直、色々と箍が外れた記憶はある。潤んだ瞳も、紅潮した頬も、欲を孕んだ吐息も。そして、唇のやわらかさも。全て容易に思い出すことができる。俺にもそいつにも、熱があった。酒に押されたとはいえ、完全にそういう°気が出来上がっていた。
 そもそも俺としても決して下心のみからそいつを誘ったわけではなかったが、一方でそこに下心が無かったかと問われれば否だった。不覚極まりないが、俺は既にそいつに対する認識を、ただの無礼なアルバイトというものから改めてしまっている。どうしてこうなったのか誰かを問いただしたくもあるが、残念ながら俺の目にそいつはむしろ女として――正確には、触れたい、傍に置きたい女として映ってしまっている。……きっかけは一体何だったのか。軽口の応酬が心地よかったのか、変化の少ない表情に垣間見える温かい部分に惹かれたのか、その正直な不器用さに絆されたのか。ともかく、こんな据え膳を逃す手はなかった。……はず、なのだが。
 
 至近距離で視線が交わり、熱が交わされていたあの時。間違いなく対峙するその眼にも俺と同じ欲が浮かんでいた。しかし。『といれどこですか』それはまるで、自身にブレーキをかけるように。この、客とアルバイトという関係を守るかのように、その口から待ったがかけられたのである。
 酒が入っていたとはいえ、流石の俺も否を突き付けてきた相手に無理を通すような人間性は持ち合わせていない。よって快くそいつを解放し、持て余した欲は酒で誤魔化した。確か、#name一#が便所にこもっていたのは一〇分程度だったか。平静を取り戻したらしきそいつへ『ウンコかよ』そんな軽口をいくつかぶつけた覚えがある。その時には既に眠気を纏っていた#name一#は、その後缶チューハイを一缶空にしたあたりで睡魔に敗北したようだった。『ねむい、ねます』それだけ残して俺のベッドにダイブしていた。家主に何の断りもなくベッドのど真ん中へ寝そべったその神経は流石のものである。これは全く持って褒めちゃいねェが。おかげでこちらはこたつで夜を過ごしたのだ。アラサーだってのによ。どうしてくれんだよこの節々の痛み。
 
 昨夜の確かめ算をするようにこたつの上へ視線をむければ、最後まで飲んでいた記憶のある酒瓶が気持ちばかりの残量を主張している。その隣には、#name一#が最後に飲み干した空き缶が転がっていた。ダメ押しのようにベッドの方を見遣ると、すやすやと寝息を立てる布団の塊。どうやら俺の記憶に誤りはなさそうだった。
 と、なると。
 
「どうすっかねコレ」
 
 大きく伸びをし、頭をわしゃわしゃと掻きながら呟いた。押せばいけるかコレ、という半ば不埒な考えから押してはみたが、時期尚早だったか。これであいつが昨夜のことを覚えているなら話も早いが、相当出来上がってたしな。覚えてないとなると身の振り方を考える必要がある、気もする。……いや、やっぱ無ェか?  どう転んでも攻めるのみじゃね?  覚醒しきらない思考のせいか節々が投げやりになってくる。
 つーか二日酔いだってのに考えすぎて頭痛くなってきたんだけど。どーしてくれんのコレ。そんな思いをこめてベッドの上の塊へ目を遣った。すると、もしや八つ当たりを感じ取ったのか。こんもりとふくらんだそれがもぞと動いた。
 
「ようやく起きたか酔っ払い」
 
 俺自身も先ほど起きたばかりだとかそんなことは棚に上げ、その塊に言葉を投げる。寝起きで頭が回らないのか、そいつは声にならない声を発しながらのそりと顔を現した。這いつくばったまま自身のスマートフォンで時刻だけ確認したらしい。「あ゛ー……」既にそれが一三時付近を示していることに絶望したのか、怠そうに布団へ突っ伏している。その後、それはそれは怠そうに少し頭を持ち上げた。状況確認をするように辺りを見回していたその目が、俺のそれとかち合う。
 
「……さかたさん」
「今にも死にそうな顔してんな」
「ぎもぢわる……」
「文脈的にとんでもねー暴言みたいになってんだけど。やめてもらえる」
 
 みず……とうめき声を上げながらふらふらベッドから下りたそいつ。流し台へ向かうのかと思いきや、三歩歩いて力尽きたのかこたつにおさまった。
 
「いや限界すぎるだろ」
「さむすぎて……坂田さん水持ってきたくないですか?」
「なめてんのかコラ」
 寝起きと二日酔いでいつも以上に表情筋が全く機能していないようである。傍若無人もいつもより悪化しているらしかった。こたつ布団に包まって頭を伏せるその姿にため息を吐く。「しゃーねェな」まぁ水は俺も飲みたかったし?  仕方ねーから持ってきてやるけど?  言い訳がましく重い重い腰を上げ、用意したコップを二つ、こたつ机の上に置いた。「感謝しろよ」「わー感謝」冬の冷気でキンキンに冷やされた水道水が喉を通る。確かに少しは意識が覚醒したような気がした。#name一#も会話が可能な程度には回復してきたようである。
「二日酔いとか久しぶりすぎてやばいです」
「フラフラだったもんなお前」
「お互い様ですけどね」
 昨日キスをしたにしてはどこまでも味気ない会話が展開される、一三時過ぎ。コイツ覚えてんのか覚えてねーのかどっちだよ。そんな意を込めてその目を見下ろすと、「そういえば」冷えたらしい両手をこたつ布団の下に仕舞いながら、#name一#が思い出したように口を開いた。
「昨日、私どうやって寝たんでしたっけ」
「……覚えてねーの、お前」
「割と記憶はありますけど、最後の方が。気づいたらベッドで寝てました」
「へえ」
 やっぱり覚えてねーのかよ、とどこかで落胆するが、まぁ想定内だ。覚えていないにしろ、そいつが自我を失ってはいない状態で俺を受け入れたという事実だけあれば十分。あとはこれからどうにかすれば良い。そんな思いとは裏腹に「普通につぶれて勝手にベッドで寝ただろ、俺も細かくは覚えてねーけど」なんでもないように返した。「おかげでこちとら床で寝たんだわ、アラサーになんつー苦行強いてくれちゃってんの」恨みがましく付け足せば「……酔っ払いの割に良い場所取りしましたね、私」これまた生意気な返答である。
 一連のやり取りを経て、昨夜のあれこれやらそいつの記憶の有無やら、悩みの種が減った気がした。いや減っちゃいねーんだけど明確になったというべきか。ともかく進むべき指針は見えた。
 覚悟してろよフリーター。未だ寝ぼけ眼で水道水を啜るその女を、捉える。無防備極まりないその姿は、手を伸ばせば触れられる距離にある。が、今は一旦お預けだろう。そしてその距離を埋める日もそう遠くはない。……予定である。
 そこまで考えたあたりで、なんだか腹が減ってきた気がした。昨夜は飲んで食べてを盛大に行ったとはいえ、既に時刻は昼過ぎを指している。自堕落極まりない生活ではあるが、たまにはこんなもんも悪くはねーな、というのも正直なところだ。そしてここまできたら自堕落を極めるのもまた一興である。ということで。
「ラーメン食いいかね?」
「二日酔いでそんな脂っこいもん食ったら死にますよ、バカですか。でもまぁありです」
「決まりだな」
 予想通り、この自堕落の渦中に飛び込んできたその女に笑いが漏れる。お前はそういう奴だって信じてたぞフリーター。「お前何派?」「そりゃ塩でしょ」「それでも日本人かよ、しょうゆに決まってんだろ」下らないやり取りにやはり悔しいが心地よさを覚えながら、俺は先ほどより軽くなった腰を上げたのだった。


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