日本の冬には行事が渋滞しすぎている。これはコンビニバイトを始めてから改めて知ったことだけれど、この忙しなさは本当に常軌を逸している。現につい数日前までは赤と緑で彩られ、クリスマスだなんだの文言で埋め尽くされていた店内も、現在は紅白金やら年末やら謹賀新年やらおめでたい色で塗り替えられていた。そしてなんと本日、倉庫にバレンタイン用の飾りつけが入荷されてきた。どうする気なんだ日本。こんな高頻度で店内の装飾を入れ替わるアルバイトの身にもなってくれ日本。催事は三か月に一回にしてくれ日本。
まわりまわって怨嗟の対象がいち国家になってしまっている私はといえば、お察しの通り今日も今日とてワンオペ夜勤に勤しんでいるところだった。浮かれクリスマスに伴う連勤を耐え抜き、二日ほど連休が出来たかと思えば今度は浮かれ年末年始の登場である。それぞれ共に過ごす恋人やら家族やら友人がいる者が忌避し、経営陣が仕方なく時給アップという苦渋の策をとるこの時期は、またの名を独身フリーターの稼ぎ時という。そんなこんなで店長や同僚に純度一〇〇%の感謝が籠った目で見つめられつつ、年末年始も晴れて皆勤賞を成し遂げようとしていた。
どうせ同僚の皆々様は今頃家で年越しそばとか食べてるんだろうな。今年は紅組と白組どっちが勝つんだろ。そろそろ決着着くころだよな。まぁ全然興味ないけど。私は家に帰ったらユーチューブで炎上している素人を見下しながらカップ麺食べるし。マルちゃん製麺用意してあるから私の勝ちだし。内心そんな言葉を並べながら、流石に人の波も引いた店内を眺めていれば、まるで狙っていたかのように自動ドアが開いた。年越し寸前のお客とか面倒の塊だろうな、とうんざりした視線でそのシルエットを捉える。「……うわ」予想外に見知ったシルエットだったのでうんざりが増してしまった。
「客に向かってどういう態度だよてめーコラ」
「いつものことじゃないですか、心狭くなりました?」
「なに自分が正論側みてーなツラしてんだよ、最初からお前の接客がおかしいだけなんだけど」
確認するまでもなく来店したのは坂田さんだった。年の瀬までコンビニって。寂しい日々を送っているものだ、と自分のことは棚に上げ少し憐れんだ視線を向けてしまう。「どこまでも孤独なんですね」「どこまでもバ畜のフリーターに言われたかねーよ」独り身が寄ってたかって空しい話である。
「こんな寒い中何買いに来たんですか」
「蕎麦に決まってんだろー。年越さねーと」
「意外と年中行事重んじるんですね」
カップ麺コーナーに向かうその背を見つめて言いつつ、まぁでも意外でもないのか、と先日のクリスマスへ思いを馳せた。
ひょんなことから坂田さんとクリスマス会を開催してしまったのはつい五日ほど前のことである。あれも確か言い出しっぺは坂田さんだった。この男、この無気力加減の割にお祭りごとは好きらしい。というか人生を楽しむのが上手いのか。
レジ台へ頬杖をついて坂田さんを眺めながら、思い出すのはクリスマスの夜の出来事だった。酒をしこたま飲んだあの日は、結局記憶を失って気づいたら坂田さんのベッドで目を覚ましていた。その後は二日酔いを抱えながらもなんともアホなことにラーメンを食べに出かけ、そのまま解散。ちなみに坂田さんの家で潰れるのはストーカー事件解決に伴う祝賀会ぶりの二度目である。コンビニバイトと客にしては少々距離が近すぎるような気がしなくもないが、まぁ均衡がとれていないわけでもない、なんとも不思議な関係を築いている。……という、ことになっている。坂田さんとの間では。
思わず恨みがましい視線で銀髪天パを見遣っていれば、どうやらちょうどカップ麺を選び終わったようだった。
「やっぱきつね蕎麦だよな〜」
人の気を知ってか知らずか、緑のパッケージが印象的なカップ麺とイチゴ牛乳を差し出す坂田さん。一年の終わりの日まで食べ合わせは最悪である。
「これで締めくくられる今年の気持ち、考えたことありますか?」
「これ以上ない幸福だろ、泣いて喜んでらァ」
小銭を差し出しながら彼は「そこで食ってっていい?」とイートインスペースを指さしている。「大晦日にイートインでカップ麺とか全米が泣きますよ」「だってもう年越し間に合わねーじゃん。湯沸かすのめんどくせーし」言われて時計を確認してみると今年も残り一〇分をきったようだった。店内にお客は坂田さん一人、店員は私一人。私、もしかして年越しもこの人と共にするわけ? なんかちょっと、それってあれじゃん。油断すると湧きかける邪念を振り払うように「まぁ、どーぞ」なんでもないような声を発した。
「今日は多分暇なんですよね。近くに寺も神社もないし」
「だからワンオペか」
「みんな誰かしら過ごす相手がいるらしいんで、こういうとき独り身の使い勝手は良いんですよね」
レジ周りのストローやら割り箸やらの補充をしながら、イートインスペースに腰かける坂田さんと会話を続ける。「かわいそーな奴」蕎麦にお湯を注ぎながら零されるその声には睨みをきかせておいた。効力はゼロに等しいようではあるが。
坂田さんの蕎麦が出来上がるまでの五分を待ちながら、私もこの夜の雰囲気に押されて今年を振り返ってしまった。あっという間に過ぎ去った一年だけれど、色々なものが凝縮されていた気がする。コンビニバイト始めたのも今年だし、坂田さんと出会ったのも今年。なんやかんやで坂田さんの家で一晩を過ごしてしまったのに関しては数日前。あまりの濃度に喉が渇いてくるレベルである。
よくこの濁流のような時の流れに耐えきったものだ、と自分で自分を賛美していると、不意に。
「あ」
「あ」
坂田さんと声が被った。というのも、どこかから鐘の音が聞こえたのである。どうやら近所の寺か神社かが人間の煩悩の数を知らしめ始めているらしい。時計を見上げればちょうど〇時〇分を指していた。
「年越したな」
「さすがにこんなに風情のない年越しは初めてです」
コンビニでカップ麺の時間待ちながらとか悲しくならないんですか? カウンター越し、頬杖でその人を見遣る。ちょうど五分を待ち終えたらしい坂田さんはカップ麺の蓋をぺらりと剥がして自慢げに見せつけてきた。
「ワンオペ中に年越してる奴憐れみながらだとカップ麺もミシュラン星五だぞ」
「ミシュランは最高星三だわ」
「それすらも超越する」
まったく下らないやりとりである。しかし下らないなりに楽しさを感じてしまっているあたり私も末期だ。「明けちゃいましたね、年が」「お前の未来は開けてねーのにな」「人生閉ざされたいんですか」「うわ、油揚げうま」成り立っているのかいないのかもよく分からない会話を交わしながら、幸せそうに蕎麦を啜る坂田さん。なんとコスパの良いことだろう。羨ましい限りだ。
一方の私は、遠くから聞こえる鐘の音に引きずられるように、煩悩のあれやこれを思い返していた。大晦日の夜、というだけでなんとなく特別なものを感じてしまうのだから不思議なものである。相変わらず頬杖の上から、また坂田さんの方へ向き直った。
「坂田さんは、今年の思い出とかあります」
「小学生かよ、そんな大層なもんねーよ」
「へー……」
それは何の気なしに振った質問ではなかった。故に恨みがましい声が漏れてしまう。へえ。内心で再び呟いた。大層なもんなかったんですねえ、へえ。
つい数日前、私にキスしたくせに。よくもそんなことが言えたものである。
忘れもしないクリスマスのあの日、私と坂田さんは飲み潰れて記憶を飛ばした、ということになっているとは先ほど述べた通りだ。けれど、あの夜の記憶を私は失ってはいないのだ。坂田さんと視線が交わって、吐息も唇も重なった。その後なんとか平静を取り戻してからベッドにダイブするまでの記憶は曖昧だけれども、重要な部分は何も忘れることなく、むしろ鮮明に覚えている。確かに私を求めていた彼の熱も、全て。
だというのに、この男ときたら。
クリスマスの次の日、目を覚ますと私は坂田さんのベッドにいて、こたつに坂田さんが収まっていた。それとなく昨夜のことを問えば『細けェことは覚えてねーけど』だとか抜かすし、その態度もまるで普段と変わらない始末。彼が覚えているのかいないのかは定かではないが、何もなかったことにされていたことは確かである。その上、大層なことは起きていない≠轤オいし。
「私も大したことはなかったですね」
憤る気持ちを抑え、対抗するように言えば「だろうな」憐みの目が向けられた。ほんとにこの人一回殴らせてくんないかな。メリケンサック付きで。
怒りやら他のあれこれやらを抱えた私はため息を吐いて一度心の鎮静化を図る。新年早々煩悩に支配されているあたり本当に救いようがない。しかもそれがコンビニのワンオペ中の出来事なのだから余計に。煩悩だけでも落ち着かせようと窓の外へ目をやれば、粉雪がちらつき始めたようだった。この時間に雪だなんて、外は相当冷えているに違いない。私が帰るのは三時間後くらいだけれど、きっとその頃が寒さのピークだろう。最悪。ついでにそこまでの防寒対策もせず来店している眼前の常連にも外を指さした。「坂田さん、雪ですけど帰れます?」「マジかよ、止むまで待つか」カップ麺を半分ほど食し終えた坂田さんが、今度はイチゴ牛乳にストローを指しながら言う。
「仕事は休みなんでしたっけ、この前も思いましたけど」
「冬休みだからな、一生このままでいい」
「ほんとなんで坂田さんに職があって私に無いんでしょうね」
世の中の不条理に打ちひしがれる私を尻目に、坂田さんが時計を見上げた。「お、そろそろじゃね」「はい?」つられて私も時計を確認した。現在時刻は〇時一〇分である。「何かあるんですか?」怪訝な視線を送れば、「そっちじゃなくてあっち」左手で窓の外を指す坂田さん。怪訝さを上乗せしながらその手が指す方を見つめてみると。
「――うわ、……花火?」
「そーそー。この辺新年になるとどっかで上げてんだよな、毎年」
「……なるほど」
空気が冷えているからか、やけに鮮明な輝きが夜空に昇っては消えてゆく。そういえば花火って実は冬の方が綺麗らしいよ。いつの日かそんな雑学をきいた覚えがあるような気がした。「割とありますよね、しっかりお祭り騒ぎしようとするところ」それは決して豪勢ではなく、つつましいけれど、そのこじんまりとした華やかさがちょうど胸におさまって心地よい。花火を見るのなんていつぶりだっけ。少し距離はあるけれど、少しの間見とれてしまった。コンビニのガラスに、炎色反応が反射する。
「悪かないですね」
「だな」
坂田さんはこちらを見てふっと口元をゆるめた。「今年は特に」そして、何気なくそんな言葉が付け足される。「……へえ?」それをどう解釈するかで一瞬私の思考は停止した。一方、何食わぬ顔でカップ麵を啜る坂田さん。場所はイートインコーナーである。年越しのための食べ物も場所も、少なくとも例年に勝っているということはないだろう。坂田さんが去年路上でうまい棒を食べながら年越しをしていたのなら話は別だけれど。その口ぶりからして、花火は毎年見ているんだろうし。だとすると、悪かない≠ノ含まれるもの、それは。
そのあたりで考えるのをやめておいた。
「坂田さん」
「どーした」
「今年もよろしくお願いします」
「おー」
そうそう。今はまだ、このくらいがちょうどいい。物足りなくなったらまた、その時に考えれば良いのだ。とても煩悩が除かれているとは思えない、今年最初の夜。過ごした相手がこの人で良かったと思えてしまうあたり、鐘の音の無力さを知るのだった。
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