皆さんは深夜のコンビニバイトを耐え抜くために必要なものをご存じだろうか。答えはいたって簡単、無心である。心を無にすると書いて無心である。
深夜に課された数時間の労働を全うするには自身の時間間隔を多少故障させる必要があるのである。心を無にして、時間経過をやり過ごすのだ。例えば単純作業中などにおすすめである。各備品の補充やらゴミ出し、トイレ掃除の際に有効だ。そして現在私が従事している品出しにもこのテクは有効だった。ひたすら心を無にしながら、手だけを機械的に動かしていく。時刻は深夜一時を回った頃である。視界の端に映るレジ前に人影が表れないかどうかだけチェックし、ただただ単純作業をこなしていく。そうして、ようやく一つ目の段ボールが空になりかけた、そのとき。
「よー」
「うわ、」
不意打ちのように頭上から声が降ってきたものだから驚いた。思わず段ボールを潰すところだった。反射的に見上げてみると、こちらを見下ろしていたのは他ならぬ坂田さんその人。「珍しく集中してんな」イチゴ牛乳片手に意外そうな顔をしていた。一応この人も客だというのに、もはや当たり前にそこにいることに驚きが湧かない。常連客ここに極まれりというのか、どこまでもコンビニに馴染むその姿に半ば呆れが湧いてしまった。
「……坂田さん、ほんとに深夜のコンビニ似合いますね」
「森羅万象を着こなすイケメンだからな」
「チープさが共鳴してるんでしょうね」
「誰の顔面が二四時間営業中だコノヤロー」
「いやどういうツッコミ?」
辺りを見回せば現在のお客は坂田さんのみらしかった。まぁまだ寒いし、こんな季節にイチゴ牛乳欲しさでコンビニまで繰り出すような輩の方が少数派なのである。もの好きな男だ、と改めてその変人ぶりを認識した。
もの好きこと坂田さんと顔を合わせるのは毎度のことながら久しぶりではない。何しろ彼は多いときは日に二度来店することもあるほどコンビニのヘビーユーザーなのである。出勤日はほとんど毎日顔を合わせているレベルだ。なんなら昨日の朝も坂田さんの会計をした覚えがある。
ただまぁ、しかし。面と向かって会話を交わすのは大体一週間ぶりだろうか。最近見かけるのは忙しない時間帯が多かったし。さかのぼって考えると前にこうして会話したのは坂田さんの家に看病をしに行った時あたりか。そういえばいつの間にか健康体を取り戻しているらしい。
「治ってよかったですね、風邪」
「今更かよ。おかげさまで」
その節はどーも、とどこか社会人らしさの滲む返答をされた。少々気色悪い。「今度何か礼するわ」食いたいもんでも考えとけ、と。どうしよう、ますます気色が悪い。
「……坂田さん、まだ具合悪いんですか? 気遣いなんてらしくない……」
「お前に人の厚意を素直に受け取るって選択肢は無ェのかよ!」
「人なら受け取りますけど。坂田さんですし」
未だ怪訝な視線を向け続けていれば、「ったくこれだから社会不適合者はよォ」だなんだと好き勝手わめいている。とても人に厚意を受け取ってほしい人間のやることではない。ただ、確かに平常運転ではあるようである。
「坂田さんが私にお礼とか、どういう風の吹き回しですか」
「社会人として? 常識? てきな?」
「慣れない言葉遣わなくて大丈夫ですよ」
坂田さんの思考回路は読めないが、どうしてかお返し的なアレをしたがっていることはなんとなく察した。「別に私も助けてもらったりしてるんで、ほんとにいいんですけど、」単純作業の甲斐あって空になった段ボールを潰して、立ち上がりがてら告げる。「まぁでも、坂田さんがそんなに私を崇め祀りたいのであれば」からかうようにそのやる気なさげな眼を覗き込んだ。
「今度、また飲みましょ。坂田さんちで。お酒は坂田さん持ちで、それでチャラです」
段ボールを小脇に挟んだ私へ、「……良心的だな」しみじみと坂田さんが呟く。「普段は高嶺の花なんで、今回限りですけど」「どこに段ボール片手の高嶺の花がいんだよ、アスファルトにしがみつく雑草の間違いだろ」私の寛大な譲歩をコケにするその男には渾身の足踏みを繰り出しておいた。坂田さんの情けない声を背に、段ボールを片付けるためバックヤードへ向かう。
関係者以外立ち入り禁止の扉をくぐり抜けならが、確かに流石にあの提案は良心的すぎたかも、とは私自身も思っていた。なにより、――この前風邪にかこつけてベッドに引き込んできたような男の家で飲み会を持ち掛けるのは流石にアレだっただろうか。けれど、まぁ、坂田さんだし=B
と、そこで思わず立ちすくむ。
当たり前のように、息をするかのように浮かんだその言葉だけれど、この場合の『坂田さんだし』の用法は決して、彼なら何もしないだろう、という方向の信頼ではない。
そうじゃなくって、彼になら何されても、だ。ということに気づいて死にたくなった。
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