社会の闇@白昼

 本日は晴天である。窓の向こうに見えるのは抜けるような青色と、それを薄く覆う鰯雲。長閑だなあ、なんて思いつつベッドの上で寝返りを打つ。現在時刻は一六時二〇分を回ったところである。
 今日は、実に十数日ぶりの休日だった。労働から切り離されたこの時間はまさに天国という他ない。面倒な客のこともおでんの管理方法も忘れて一日中家でゴロゴロしていた。数回トイレに行った以外ベッドから出た覚えがない。つまり最高の休日である。……が、そんな一日にも終わりが近づいていて。
 明日は確か午前四時から午前七時までと午後一一時から翌朝四時まででシフトを入れられていたはずだ。午後一一時からというのは百歩譲るとして、午前四時からの二時間はバカだとしか言い様がない。休んだ翌日に三時起きって。もしかして店長は私を殺す気なんだろうか。死ぬぞ私は。
 まあでもともかくそんなわけで、いつまでも休んでいるわけにもいかない。とりあえず何か腹ごしらえでもして、活動を開始しなければ。洗濯物とか溜まってた気がするし。――と、覚悟を決めて腰を上げたはいいものの。
「……なんにも、ないだと」
 さあまずは腹を満たそう。そんな思いで開けた白い扉と、その中に響いた私の声。
 すっからかん。まさにそんな言葉が似合うだろう冷蔵庫に、私は暫し呆然としたのだった。
 
 自身の生活レベルの低さに絶望してから、はや数十分ほど。私はビニール袋を提げてとぼとぼと歩いていた。食料調達のためスーパーに行ってきたのだ。 
 もう秋ということもあって、一七時を過ぎたばかりだというのにあたりは薄暗い。そのせいかあまり人とすれ違うこともなかった。すっぴんにマスクという干物ぶりを見せている私にとってはありがたいことである。まぁ誰かとすれ違ったとしてもそのひとが知り合いだったなんてことまずないだろうけど。そもそも知り合いいないし。……なあんて、フラグを立ててしまったのが運の尽き。
「――――?」
「―――――――」
「――――!」
 微かに聞こえてきたのは男女の話し声だった。その内容までは聞こえないけど、……どうにも男の声に聞き覚えがある気がする。誰だっけこの、なんかこう、聞いてるだけで眠くなるような声は。ビニール袋片手に眉根を寄せたそのとき、曲がり角から声の主たちが姿を表した。暗くて顔はよく見えないけど、セーラー服の女子高生が二人。そして銀髪の男がひとり。……その天然パーマには見覚えがある。咄嗟に電柱の蔭へ身を隠した。身を隠しながら、ガチ?  と内心でクエスチョンマークを飛ばす。
 だって待って、声といいあの頭髪といいあの男は坂田さんじゃないだろうか。彼はここ一ヶ月と少しの間私がまともな会話を交わした数少ない人間のひとりだから多分間違えるということはない。坂田さんだ。あの人に間違いない。――で、問題は。問題は残りのふたり。坂田さんはどう若く見積もっても二十代後半のリーマンである。そんな彼が、夕暮れに、女子高生二人を連れている?  それはだってそれはつまりそれは、……これが世に言う、パパ活……?
 社会の闇を垣間見てしまったような感覚に頭を抱える。実を言うと、私は深夜にコンビニへ来る客の中で坂田さんはまだマシな方だと思っていた。いやセクハラ野郎だし失礼だし味覚死んでたけど。でもまだ会話は成り立っていたしそこまでの不快感も覚えていなかった。私が迷惑行為を被っていたときは助け舟も出してくれたし、一応ある程度の常識も持っているんだろうと思っていた。それなのにやっぱりロクな人間じゃなかったのか。
 目の前の光景を見る限りあの男はとんだ変態野郎だったらしい。女の子買うにしても他に手はあったんじゃなかろうか。女子高生って。せめてキャバとかにしてほしい。女子高生って。犯罪じゃねえか!
 自身の中で坂田さんへの好感度が急降下していくのを感じながら、三つの影がどこかへ消えていくのを見送った。がちかよまじかよ、どこに消えちゃうわけ?  パパ活ってご飯だけで済んだっけ? ホテルとか行かないよね?  明日のニュースで容疑者坂田さん出たりしないよね?  大丈夫?
 勝手に冷や汗をかきながら電柱にもたれかかると、ガサリ。ビニール袋が音を立てる。そこでようやく本来の目的を思い出した。そうだ、帰って働く準備しなきゃ。
 考えてみれば私が坂田さん改め変態クソ男の心配をしてやる必要などないのである。真っ直ぐ家へ帰ってビニール袋の中のカップ麺を美味しく召しあがれば万事OKなのである。思わぬ事実が発覚したせいでちょっと動揺してしまったけど。気を取り直して、帰り道を進む。家に着いた頃にはあたりは真っ暗になっていた。流れ作業で電気をつけて、ポットに水を注いで。
 朝起きた時のままのベッドに腰掛けて、先程の光景をかき消すようにカップ麺へ沸かしたお湯を注ぐ。
 ――やっぱり深夜のコンビニ客って、ろくなのがいない。
 ぼやきながら食べたラーメンは、どうしてか少しだけしょっぱかった。


prevtopnext