手が導く先
「――攫いにきた」
例えるならその手は、そいつの人生を幸せとは正反対の場所へ導くようなものだった。
*
「――どうかしたか」
とある月夜の、縁側。12月ということもあり寒さが猛威を奮うようになってきている中、ひとり胡座をかいていた俺を不審に思ったのか、背後からかけられたのはそんな声だった。
その主というのは、考えるまでもなく某ニコチンクソ野郎であり。
「べっつにどうもしてやせんよ、足滑らせて死ね土方」
「どうもしてねェ奴がんなツラしてるわけねーだろ。あと誰がんなマヌケな死に方するか」
「あり、マヌケじゃなきゃ死んでくれるんですかィ、そりゃいいや」
「話逸らしてんじゃねェよ」
ったく、とかなんとかぼやきながら煙草へ火をつける土方さん。どうにもここへ留まる気らしく。
そいつの紫煙が冬の澄んだ空気を汚していくのをぼんやり見つめる。寒さのせいかいつもより近く感じられる月へ視線を向けながら、ゆっくり口を開き。
「――どうにも、俺ァ相当なアホらしい」
「どうした、漸く自覚したか」
「土方殺す。…ま、未練がましいといいやすか」
そこでそいつは色々と察したようだった。紫煙とともに、声も吐き出される。
「……なまえか」
「てめーの中でまだ諦めがつかなくて困らァ」
頭に浮かぶのは今日届いた一通の手紙である。山崎が俺の元へ運んできたそれには『不器用ヤローへ』と宛名が書かれていた。……問題は、その中身だというか。
「心に決めたどこぞの誰かがいるから、縁談は絶対に受けねェらしい」
「……わかってんだろ、お前」
「鈍感気取る気はありやせん」
長らく文通をしているそいつがこちらへ想いを寄せていることなどとうの昔に知っていた。
自らの想いがそいつに向いていることも、そりゃもう昔から知っている。――しかし。
「まさかアンタの気持ちを理解できちまう日が来るたァ」
どうにも、だからといって奴を手に入れようと動くことはできなかった。……平和な世界を取り上げちまうようで。
腰に銀色のそれをぶら下げてちまっている以上、俺たちの世界に平和なんつーもんはない。命の保証も、ない。
ただ普通の娘として生きていけるはずのそいつを、こっちに引き込んで良いのか――否、良くない。そんな思いから俺はこの数年ずっと動けずにいるのである。…が。
……だが――それが本当に最善なのか、わからなくなるようなことが起こっちまったのだ。
「――せめて、誰かしらが傍にでもいてくれりゃァまだいいんですけどねィ」
ちっと前にじーさんが亡くなり、…ついこの間は姉上。友人も皆武州を出て行っちまったらしいそいつの周りに、きっと頼れる奴はいねーんだろう。――ならば、危険でもこちらへ呼んだ方が。
自らの欲も相まって、ついついそんな考えが浮かんじまうのはどうするべきか。
(……さっさとほかに普通の男でも見繕ってくりゃいいってのに。)
解決策が思い浮かばず、そんな考えまで浮かぶ始末だ。…んな、心にもねーことを。
それに、奴は“心に決めた人”でないとどうしても嫌らしい。
どこまでもアホな女め、とため息を吐いた。吐き出した白い息が、隣から排出されている紫煙によって掻き消える。土方さんは「アホかお前は」と横目でこちらへ視線を飛ばした。
「アホ?」
「アホだ。――テメェに気持ち解られてたまるか」
他人の気持ちなんざ完全に理解できるわけねーんだよ、とそいつはまた煙草を咥える。
「……言いてェことがあんならはっきり言いやがれ」
「さァな。ただ、俺とお前は違う人間だってこった。置かれた環境も惚れた相手も、何もかも」
「…つーと?」
「別にお前が俺の選択に縛られる必要はねェ。当人同士が納得いく答えならそれが最善なんだよ、世間から見て正しいもんだろうがなかろうが」
これでも自分がんなこと言える立場にいねェのはわかってる、なんなら殴れ。付け足された言葉はどこまでもそいつらしくなく気持ち悪かった。
なにより、かけられた言葉に多少助けられちまったのが気持ち悪い。
紫煙のもとを辿るように土方さんへ目を向けて。
「…生憎、俺ァ素手よりバズーカ派なんで。明日、ちゃんと当たって下せェよ」
「確実に殺しに来てんじゃねェよ」
呆れたように溜息を吐いた土方さん。どうやら一服も終わったらしい。
ゆっくり立ち上がるその影を視界に収めながら、俺はまた月の方へと視線を戻し。
(――世間から見て正しいもんだろうがなかろうが、)
そうか、俺ァ不本意ながらマヨネーズ野郎の選択に縛られちまってたわけか。なるほど。…溢れ出る気に食わなさは、ため息として昇華する。――とりあえず、アレだ。
「……手紙でも、書くか」
静かに夜へ消えた白には、ようやく固まった決意が微かに滲んでいたのだった。
俺がそれを行動へ移したのは、返信を投函して少しした頃のことだった。
奴がそう望むならこちらへ連れてくることを近藤さんにも話をつけ、いつぶりか踏みしめた武州の地。雪がちらつくそこには、これでもかというほど思い出が詰まっている。…が。
(久しぶりな気もしねーな。)
それはもしかしたら、頻繁に奴からこっちの様子を聞いていたからかもしれない。雪の積もり具合も寂れ具合も、やはり予想通りであった。
そんな中、見慣れた道を歩く俺の足に迷いはない。段々近づくのはそいつがいるであろう一軒家だ。昔は俺もよく遊びに行ったもんだと懐かしみながら、しかしそこで一人過ごしているそいつの心情を思い、溜息。
(…心配なんざ柄でもねーことしちまって。)
いつから俺ァドSから聖人に転職したんだか。気持ちが悪いことこの上ない。
らしくねェ自分を振り切るように足を進めた。とうとう目の前に迫ったそれへ、微塵の遠慮もなく足を踏み入れる。一声もかけず玄関の戸を開けば家の奥でガタゴトと音がした。…つーか鍵もかけてねェたァ。
職業柄人の気配を察知することには慣れている。夏ぶりのその気配の方へ迷いなく近づき――…そして。
「―――よー、久しぶりじゃねーか」
「…へ……っ、」
ある一室の襖を開けばちょうど立ち上がり右往左往していたらしきそいつに鉢合わせた。……この間会ったのが四年ぶりほどか。未だどこか見慣れない大人びたそいつの目は大きく見開かれており。
「…そ……ッ!?」
どうにも驚きすぎたあまり腰を抜かしたらしかった。尻餅をつくそいつ――なまえからしたら、この状況は予想外を極めているんだろう。
しかし、目の前のその動揺加減を汲んでやるほどの優しさが俺にある訳もなく。
「――攫いに来た」
重ねるように言えばなまえが息を呑んだ。ようやく言葉を発するという行為を思い出したのか「どうしてここに」とまだ少しだけ混乱しているような声がこの部屋を泳ぐ。
「どうしてもこうしても、手紙に書いただろーが」
「手紙?」
「“貰いに行く”」
「――な、」
どこぞの頑固女がアホみてーなこと抜かしてやがるんでつい来ちまった。付け足すも、いつもとは違い反論は返ってこない。そこまでの余裕はないんだろう。
まァ俺も既にここまで来ちまっている以上引き返すことはできねェ。ならばさっさと済ませちまおうと腹を決め、右手をそいつへ差し出した。
「俺ァお前を、不幸にしに来た」
「……不幸?」
――俺は惚れた女の普通の幸せというやつをこの手で潰そうとしている。常に血の匂いがつきまとう場所へ、誘おうとしている。
「もしお前ェがこの手取るってんなら、世間一般の幸せなんつーもんは2度と手に入らねェと思え。…なんつっても身の回りの奴がいつ死ぬかもわからねェ環境でィ」
選ぶ言葉は敢えてキツイものにした。――手を取ってしまえば引き返せないことは――もう二度と、自分にそれを手放す気がなくなってしまうことは目に見えていたのだ。
そいつの普通の幸せを願う以上に、側に置いておきたいと思っちまうだろうことも。
だから、迷えばいいと思った。あわよくばこの手を振り払えと。……だが。
「……世間で言う幸せなんて、最初っから望んじゃいないもの」
きっとこの急展開への動揺は収まっていないくせに、昔から変わらない真っ直ぐな瞳でこちらを射抜くなまえ。それに視線を合わせて、続く言葉を待つ。
「私が望む幸せってね、手紙一枚で手に入るようなものなの」
そいつの視線はゆらりと宙へ向けられた。口元には笑みが浮かんでおり――遠くを見るように、どこか幸せそうに、声が続けられる。
「毎月1枚でも馬鹿みたいに嬉しくなって、何度も何度も読み返して。些細だけど、かけがえがなくって」
それに代わるものなんて、この世にひとつもない。言ったそいつの瞳がまた俺の元へと帰ってきた。
「――私の幸せって、総悟にしか生み出せないものみたい」
それはそれは優しげな、愛おしげな微笑みがなまえに浮かぶ。…いつの間にこんな表情できるようになっちまったんだか、というのは俺のちいさな現実逃避だろう。――それはあまりにも綺麗だったから。
こちらの微かな動揺に気づいているのか、いないのか。やはりその笑みを消し去らぬまま、目の前の口が開かれ。
「だから、もしも総悟の隣にいることが世間で不幸だなんて謳われてるなら」
なまえは、ふわりと微笑んだ。
「――総悟」
「……何でィ」
「私を、不幸にしてください」
そして、幸せに溺れさせて?
付け足された言葉と重ねられたちいさな手に、もう俺が迷う余地などなかった。未だ尻餅をついているそいつを思い切り引き寄せ、両の腕に収める。
先ほどの大人びた笑みが想像もつかないほど真っ赤に染まったなまえは、これでもかというほどガチゴチだった。「ガキ」笑ってみれば「同い年、だし」と。
「――まァそりゃ、そうだろーけどよ」
頭に蘇るのは先ほどのそいつの笑みである。…手紙じゃ貧相だガキだとバカにしちゃいたが――そいつも立派な女だと、もう認めないわけにはいかなかった。
反論が返ってこなかったことに驚いたらしいなまえは、こちらを見上げてぱちりと瞬きをする。
「総悟って自分の考えを曲げられたんだね」
「喧嘩売ってんのかてめー」
「……こんな勝ち目のない状況で、そんなことしないって」
「ちったァ賢くなったじゃねーか」
ほんのからかい程度にそいつを引き寄せる力を強めてみれば、黒髪から覗く耳の赤が強まった。こりゃ確かにこいつに勝ち目はねェ。
着物越しに伝わるその熱さにきっと満足気であるだろう笑みを浮かべつつ、しかし不意に脳裏に蘇ったのはほんの十数分前のとあることだった。…つまり。
「……そういやてめー、いくらか不用心が過ぎんじゃねーか」
「…不用心?」
「一応サルでも年頃の女だろィ。鍵もかけず一人たァ襲われてーのか」
そう、先程確か俺は鍵も何もされていない玄関をくぐってきたのである。滲む不機嫌を隠さず言うとなまえは気まずげに目をそらし。
「ごめんなさい次から気をつけます睨まないで」
「分かりゃいい」
「…また睨みが怖くなった」
次からは気をつけるから、と苦笑するなまえ。確かに現職警察である以上睨みもそれなりな威力を持っているだろーが、慣れてもらわねェと困る。――それに。
「――“次”があるかもわからねーぜ」
「…うん?」
「てめーもう撤回はさせねェぞ。全力で連れ帰る」
「………あ、」
そっ、か、などとぎこちなく紡がれた納得の言葉。そいつはゆっくりこちらを見上げ。
「手を取るって、そういうこと?」
「今更やっぱなしでとか言ったら殴る」
「言わないよ。――でも、…それなら、」
――それなら私は、もうひとりじゃないの?
向けられる視線はどこまでも不安げで、どこまでも寂しそうだった。当たり前ェだと伝えてやれば、目の前でほろり、水滴がこぼれ落ちる。それは段々その頻度を高めてゆき。
良かった、本当は寂しかった、ありがとう、ありがとう。紡がれる言葉は嗚咽混じりのなまえの本音だ。…それらを涙ごと受け止める役目が出来て良かったと、思う。――迎えに来て、良かったと。
心の奥に残っていた一抹の後悔が消えていくのを感じながら、「近藤さんに不細工面見せることになんぜ」と俺は小さく笑ったのだった。