「――ふたりとも゛、本当に゛良かったなァ……おべでどう……!!」
――向けられた、涙と鼻水とで大洪水になってしまっているその顔に、私と右隣のそいつの顔が少々引きつるのがわかった。
「近藤さん、ちっと飲みすぎですぜ。祝って貰えるのはありがてェがソレ今日15回目」
「いいじゃねェかよォ、今日くらい。今まで生きてきてこんなにめでてェ日はねェ!!」
そりゃそうですが、とそいつ…総悟が呆れたように笑う。――本日は、私たちの祝言だったのだ。
……まぁでも、祝言といっても教会で挙式だとか大勢招いて豪勢にというわけではない。ただ朝から総悟は紋付袴、私も白無垢を着て、隊士たちと数人のお客さんに料理なんかを振舞って。
そんな、こじんまりしていながらも幸せな儀礼を終えたところなのだ。そして昼過ぎからは私たちも普段着に着替え、しかし収まらないお祝いムードに押されて二次会が始まり、
「近藤さん、お酒もほどほどにしとかないと明日に響きますよ」
普段のストレスやらなにやらを発散するように飲めや歌えや騒げや祝えやと盛り上がりに盛り上がった祝宴は、既に21時を回ろうとしている今現在も続いているのだった。
近藤さんなんて昼から大分とばしていたからかなり酔いも回っていることだろう。そう促せば「新婦さんに言われちゃ仕方ねェか…」とコップを置いてくれる。
「…新郎の言葉も聞いて欲しいもんでィ」
「まぁまぁ」
再び宴のざわめきの中へと戻っていった近藤さんを微笑んで見つめつつ返した。軽くあしらわれた総悟は少し不機嫌そうで、ちょっとだけ面白い。
私は中々見られないその表情をからかうように、右隣を見上げた…んだけれども。
「総悟って近藤さんのことになると子供だよね」
「ガキにガキ認定たァ頂けねェ。一昨日の死闘忘れたとは言わせねーぜ、ベッドの上でどんだけ、」
「バカ!!」
やっぱりいつまで経ったって上手は総悟の方らしかった。というかこんな日にこのタイミングでそんなこと言ってくるってどういう神経をしているんだ。私はこの先どんな新婚生活を送ることになるんだ。
私が抱いた一抹の不安を知ってか知らずか、不意に総悟は腰を上げた。どうかしたのか問うてみれば「ちっと風にでも当たらねーか」と。
「酔い覚ましでィ、付き合いやがれ」
「酔ってたの?もちろんいいけど」
総悟が酔うことなんてあるんだなぁとどこか感心しつつ、私は喧騒の中から静かに抜け出したのだった。
「――やっと静かなとこに逃げられた」
――春の暖かさが、少しだけ冷やされたような風の中。縁側に腰掛けた総悟の言葉に、私は思わず笑った。
「そういえば今日はずっと囲まれっぱなしだったっけ」
「ったく何が面白れェんだか。こちとら見世物じゃねーんでィ」
「総悟の紋付袴は面白かったよ」
「ぶん殴らせろ」
眉間に皺を寄せたそいつをまた笑いながら「冗談」と返す。……実を言えば格好良かった。言ってやらないけど。
二人並んでぼうっと夜空を見上げる中、口を開いたのは私で。
「――一緒になったんだね、とうとう」
「あ?」
「名字とか、いろいろ」
その言葉が纏うのはなんとも言えない感慨だった。それと、大きな大きな幸せ。
私の言葉にそーだなとほんの少し口角を上げた総悟は、不意に視線を夜空へ移した。その遠くを見つめるような横顔を、いまだ幸せに覆われたまま見つめていれば。
「――昔」
「え?」
突然落とされたのはそんな音だった。遠くを見ている総悟が今一体何を言おうとしているのか、何を思っているのかは分からないけれど、続く言葉をじいと待つ。
宴の喧騒からは切り離されたかのようなこの場に声が落とされたのは、それから数秒してのことだった。
「昔お前を手放してたらと思うと、気が狂いそうにならァ」
「……それは、」
昔。その言葉が指すものなんて、すぐにわかった。
あの頃――あの、手紙を送り合っていた頃。どうやら私たちはお互いに同じ気持ちをもちながら、便箋には載せぬよう隠していたらしい。それを総悟から聞いたのはもう幾年か前のことで。
そしてその時、私は総悟が私の気持ちに気付いていながら自らの想いを封じ込めていた理由も聞いたのだ。どこまでも私のことを想ってくれているそれは嬉しかったけど、でも、ちょっとだけ切なくもあったのを覚えている。
(……だって、もしもあのとき総悟に迎えに来てもらえなかったら。)
私は今頃、やっぱりひとりぼっちのまま、武州のあの広い家に取り残されていただろうから。毎日毎日総悟の手紙を待ちながら、――きっと今のような幸せなんて、しらぬまま。
ありもしないたらればへ思いを馳せながら、なんて返せば良いだろうかなんて頭を回していると。
「――もし、あんときお前を手放してたら」
多分、私に向けたというよりは独り言。そんな空気をまとった言葉が月夜にとけた。
「……ま、いくら強情張っててもいつかは嫁に貰われてたんだろーな。お前ェも」
「……総悟?」
「んで、どこぞの馬の骨と仲良くやって、子供でも出来ちまって」
月を見つめながら、ぽつぽつと。落とされる言葉たちの真意がわからなくて、私は思わず声を上げていた。
だって、折角今幸せがあるのに、総悟のいない未来なんて思い浮かべたくなかったから。
そいつがどうしてそんなことを言いだしているのか微塵もわからないまま、せめてもの抵抗に着物の袖を引っ張ってみる。しかし、効き目はゼロなよう。
それどころか総悟はまた息を吸って、
「俗に言う、幸せってやつがあったんだろーな、そこにゃ」
何とも言えない色を纏った声を、ひとつ。
その、そいつらしくない言葉に。私の現在の幸せを否定するかのようなそれに、私はどうしようもない憤りを感じた。……一回肩でも叩いてみようかと意を決し、右手を持ち上げようとした――その瞬間。
「――まァ、んなもん許せやしねーけど」
「………はい?」
「てめーの隣に俺以外の男が立ってるってだけでトチ狂っちまいそうにならァ。……ったく、変に格好つけようとするもんじゃねェな」
「………はい?」
「あのときお前に縁談勧めてた俺の気がしれねェ」
……話の流れが予想外の方向へ行くものだから驚いてしまった。持ち上げかけた右手が、不格好に萎れていく。――でも、気持ちの方は真逆だった。
総悟が現在の選択をこれっぽっちも後悔していないことに安心して、むしろ過去を悔いていることに笑いが溢れる。本当、バカで、男前で、――好きだ。
先程萎れた右手をそっとそいつの左手に重ねれば、自然と指が絡まった。「なまえ」不意に呼ばれた自らの名は、今日この日が特別な日だからか、それか、その出処のせいか。多分後者のせいで私の胸をときめかせる。
先を促すように総悟と目を合わせ、その口が音を作るのを待っていると。
「――他の誰でもなく、俺がお前ェを幸せにすらァ」
俺以外にんなことできる奴、いねェってわかっちまったからな、なんて。
(……あぁもう、)
嬉しくて涙が出そうだった。だって、その通りだったから。私の幸せは、ここにしかないから。
「――私だって、総悟を幸せにするよ。絶対」
「ヘェ、そりゃ楽しみでィ」
交わされた誓いに証人はいないけれど、月明かりの下のそれは、きっと何よりも確かで強力で、変わりない誓いなのだと私は思うのである。