えくぼもあばた
人間には誰しも調子というものがある。調子のいい日や悪い日があって、どうしようもなく気持ちが落ち込むときもある。人間だもの、当たり前だ。それは世の常、道理というやつである。だから多分、その日の私はいつにもましてむしゃくしゃしていたのだと思う。
私には想いを寄せる人がいる。
土方十四郎というその人は私の上司だ。私が彼に恋をしたのはいつのことだったか。気の遠くなるほど昔のことのような気がするけれど、恋に落ちたその時から彼の心の中には別の女の子がいたことだけは確かである。そしてその上で、私が彼を諦められなかったことも確かである。
土方さんは、優しい。一見すると怖いけれど、その怖さだって裏を返せばやさしさで出来ている。時もある。
彼はその優しさ故に、常に危険が纏わりつく自身の傍に誰かを置こうとしない。それは、想いの通った相手であろうと、想いの通わぬ私であろうと、等しく同じだった。
私が初めて土方さんに想いを告げたのはもう数年ほど前のことだ。かなりの勇気を要した一言は「悪い」その二文字でばっさりと切り裂かれた。切り裂かれたけれど、でもそれは言葉だけだった。想いの方は頑丈だったようで、何度彼の斬撃を食らってもピンピンしていた。我ながら図太いものである。――そうして、私は今日まで、日々土方さんに想いの丈をぶつけながら、切り裂かれながら生きてきているのだ。目指すは、彼が惚れてくれるような女の子。そのために仕事も頑張るしおしゃれも頑張るし、土方さんの前では凛とした自分を心がけるし。自分を偽ってでも手に入れたいものは、ある。「土方さん、おはようございます。好きです」「いい加減他の男探してこい」ちなみに本日の失恋はこんな感じでお送りされていた。これだけ告白が繰り返されると土方さんの方も断り文句に呆れが滲みつつある今日この頃である。
無数のお断りを重ねられても私が土方さんを諦めない理由は単純だ。彼のことが好きだから。そして多分、馬鹿だからだ。
土方さんはその隣に私を置いてくれない。でも、私だけじゃなくて、誰も置かないから。私はその場所を手に入れられなかったけれど、でも、他の誰かがそこを手に入れたわけではないから。だからもしかしたらこの先そこに収まれるのは私なんじゃないか。いま一番土方さんの近くにいる女は私だ。だから、いつか、もしかしたら。そんな望みを捨てられないのだ。
無論、本人から諦めろと諭されたことだって何度もある。けれど、全て拒んできた。コレはもう、もしかしたら執着に近いのかもしれない。薄々わかってはいる。でもやっぱり、彼の姿を見るたび恋を感じるのだ。ライターを弾く指先に、心が揺れる。そのたびやっぱり、彼の隣が欲しくなる。
私の恋心は隊内でも周知のもので、沖田くんあたりから向けられる呆れた視線は慣れたものだ。そんなものいくら向けられようと関係はない。大事なのは土方さんその人からの印象のみなのである。
しかし、こんな私も人間だ。ふとした時、どうしようもなく沈んでしまうときだって、あるのだ。――今日がそれだった。
仕事も上手くいかず土方さんからお叱りを受けるし、箪笥の角で足の小指をぶつけるし、見回りをしていれば傘もないのに雨に降られるし。雨宿りのため適当な軒下に逃げ込んで、濡れた上着を片手に途方に暮れていると、なんだか思考がズンズン悪い方向へ走っていってしまった。
私って仕事もできないし、性格がいいわけでもないし、熱を上げられることも土方さん以外ないよなあ。あの人に好きになってもらえる要素、なにもないじゃない。
毎日ちょっとだけ無理をして、勇気を振り絞って告白しても、報われることはない。見込みもない。私の頑張りは誰にも認められていない。あの人どころか、世界で自分がひとりぼっちな気さえした。私でなきゃいけない、と言ってくれる人なんて、この世に一人もいないような気が。心を誰かに押しつぶされるようだった。小さな屋根で区切られた雨の中だったから、余計にそうだったのかもしれない。誰かに、私を肯定してほしかった。
そして、自己嫌悪と孤独感に私が打ちひしがれていたそのときである。この雨の中、同じ軒下に飛び込んでくる影があったのだ。「だークソ、今日結野アナの天気予報見逃したばっかりに……」嘆くその声には聞き覚えがあった。
「……銀さん」
「あ? 誰かと思えばお前かよ」
銀さんは歌舞伎町で万事屋を営むチャランポランだ。彼らと真選組は色々と関わる機会が多いからそれなりに知り合いなのだ。というかよく愚痴を聞いてもらっている、主に土方さん関連の。
銀さんからはいつも散々なことを言われているのだ。「よくそこまで恋愛で病めるな、メンヘラ?」「勝算ゼロじゃね?」「つーか男の趣味が悪すぎる」「お前と多串くんの仲応援するくらいなら食パンマンとドキンちゃんの仲応援するわ」これらは今までぶつけられてきた台詞の一部である。外道と言うほかない。
私と同じく傘を忘れたらしき彼は、水を含んだ着流しを絞りながら「なにお前、今日もメンヘラやってんの?いつにもましてしけたツラしてんな」他人事のように投げてきた。
「なんかもうわからなくなっちゃったんですよね」
「お、とうとう諦める踏ん切りがついたか」
「ついてないですけど。でも自分が誰かに必要とされる図がみえません」
土方さんに限らず。
付け足しながら、涙が出そうだった。否、出た。「わたしに土方さんに好きになってもらえるほどの魅力はないし、だれも私のことなんか好きになってくれないし、実際がんばってもなんにも意味ないし、でも他の女にかっさらわれたらヤダぁー」ついでに本音まみれの駄々も出た。「追いつめられてんねェ」対する銀さんはいつもの間抜け面である。
「どーせ、銀さんにはわかりませんよ」
「……さァ、そりゃどーかな」
銀さんが何を考えているかはわからない。ただ、暫しこの場を無言が満たしたことは確かだ。不規則な雨音が、気分をさらに押し下げていく。このまま、雨粒になって地面に打ち付けて四散してしまいたいな。細く息を吐きながらそんなことを考えていれば、「まァ多串くんはしらねーけど、お前を必要としてくれる誰かはそのうちでてくんじゃね」銀さんの、一言。
「……そのうちって、いつ」
「しらね。動け自分で」
「……じゃ、」
銀さんは、私のこと求めてくれますか。
私は今、多分、血迷っている。でも、だれかに認めてほしかった。認めてもらえないと、今日を、今この瞬間を乗り越えられない気がした。それがどんな手段でも。
ぐしゃぐしゃな思考回路は使い物にならないのだ。目の前でかすかにその目が見開かれるのを、捉える。銀さんは私を見定めるような視線をこちらへ向けていた。
「ソレ、どういうコトだかわかってんのお前」
それが意味することは何なのか。どういうことなのか。何が待っているのか。そんなのは、見えない。もはや、どうでもいい。ただ、それがないと私は今を乗り越えられないということだけが確かなのだ。
銀さんのその確認も、私がこくんと頷いたのも、雨の中の単なる気の迷い。でもその気の迷いに、その瞬間の私は救われてしまった。
そいえば、銀さん今日、天パのボリューム感欠けてるな。雨に濡れたせいかな。頭のどこかでそんなことを考えながら、私は彼の手をとったのだった。
「――お前さァ、いよいよやべェって」
夜も深まった時刻、ベッドの上にて。
一切のことを終えたのち、銀さんが発した言葉はそんなものだった。ぼんやり天井を見つめていた私は、「エ」回っていない頭を回すように彼を視界の中心におさめる。
「ただの恋するメンヘラだったのがとうとう恋するメンヘラビッチに進化しちまったじゃねーかよ」
「ひとをポケモンみたいにいわないでください」
「反論できねーだろーが。地雷女一直線だぞお前」
「青年よ、地雷を抱けっていうじゃないですか」
「端から端まで間違ってんだよ抱くの意味が違げーんだよ!」
こういうの、ピロートークっていうんだっけ。こんなに色気のないピロートークもないだろうなあと頭の隅でぼんやり考えた。
もちろん、ほぼ全裸の銀さんを前にして、やっちまったなぁと思わないわけではない。
わけではないけど、私に触れるその手のやさしさに、世間からみたら間違っているかもしれないけれど、誰かに求められたという事実に、救われてもいるのだ。
だからやっちまったけど、やっちまってないというか、後悔はそんなにしていない……わけではないけど、大きくないというか――とそんなことを考えていると、「大体、」銀さんが大げさにため息を吐いた。
「多串くん、明らかにビッチ嫌いだろ」
「…………ハ?」
「明らかに処女性とかに夢みてんだろアイツ」
まどろんでいた思考回路の中に突然投下されたその名。瞬時に硬直した私をよそに、銀さんはわざとらしく私の素肌をなぞった。「そんでお前は明らかにその理想から外れたワケだけど」
「そこんとこ大丈夫?」
大丈夫なワケがあるか。
エ、マッテ?土方さんそうなの?そういうの好きなの?ア、でもたしかに言われてみればそんな気も、する?いやでもそもそも私非処……いやまて。心の問題?心の問題か?なら私の心は処女なんじゃ?まだある?チャンス息してる?
先ほどまでのまどろみなど最早そこには残っていなかった。一気に頭がフル回転する。フル回転しすぎて絶望よりも怒りが湧いてきた。なんでだよ!地雷を抱けよ!私を抱けよ!土方さん!
そして怒りの矛先は、眼前の天パにも向けられる。
「銀さん、気づいてましたか」
「なにが?」
「私がああ言った時、土方さんこういうの嫌そうって、気づいてました?」
銀さんは私の怒気満天の顔を見ても微塵も動じない。「コレおさまりいいな」もにゅもにゅ私の胸を片手で揉みながら「忘れた」
「…………ゆるさねえ、ぜったいにゆるさねえ」
「おっまえそれさっきまでアンアン言ってた女の顔じゃねー……って痛ってェな!」
銀さんの銀さん潰れたらどうしてくれんだよ!お前も世話になっただろーが!
ギャーギャーほざいている天パの言葉は聞こえない。聞かない。ただただ無心に急所を狙う。――あぁもうほんとうに、わたしは、もうほんとうに、バカヤロウだ。
このことの重大さ、及び取り返しのつかなさを自覚して、私は先ほどの言葉を訂正することにした。後悔は、しています。とてつもない大きさのやつを。
怒りと絶望と後悔の渦の中、明日土方さんに顔を合わせることがとてつもなく怖くなる。仮病使おうかな、とか考えてしまう。もしや私の恋路はここで終焉なのか?いやそんなのは認めない。まずこの事態を土方さんに隠し通さなければ、なんとしても。
全力で脳みそを活性化させながら、冷や汗をかく今現在。なんだかんだ今日を乗り切って、明日を生きることは出来そうになってしまっているなあ、多分、銀さんのおかげで。そんな気づきには見ないふりをして、私は彼のみぞおちに一発キメたのだった。