痘痕も笑窪
「私は一体どうしたらいいんですか」


とある夜。きっと悲壮感が漂っているだろう顔をひっさげて私が現在座っているのは銀さんの隣だった。目の前のテーブルにはたこわさと枝豆、そしてとりあえずの生中が並んでいる。間の抜けた顔で枝豆を頬ばる銀さんは「あ?」横目でこちらを見下ろした。


「どうもこうもねェだろ、元々なかった脈が途絶えただけだろ」

「脈を!通わせたかったんですよ私は!」

「でも誘ってきたのお前じゃん」

「断れたでしょうが!銀さん理性あったんだから!!私はなかったんです!!」


言い争いの種は先日の、……アレである。私が血迷って銀さんに救いを求めてしまった、あの一件。
その場限りの救いを求めた結果数年をかけて追い続けていたものへの距離が更に遠くなるという地獄のような経験を経て、私は病んだ。病みに病んだ。その証拠にもうしばらく土方さんの顔を直視できていない。怖いもの。だってもしも『お前ビッチの顔してるな』『万事屋と一晩……?』『お前まさか非処女か?』そんなこと言われたら私は泣いてしまう。全部被害妄想だけど。でも泣ける。「もぉーうわぁぁん」投げやりに顔を伏せれば「突然どうした怖ェんだよ」冷静なツッコミがとんできた。しかしそんなもん気にしている余裕はない。


「今までならギリ行けたと思うんですよわたしもぉー……でもよりによって銀さんとしちゃったからもう、むり……」

「いや元から無理だったけどね。精神追い込まれてK点超えに救い見出す奴に処女性なんつーもんは元からねェよ。古今和歌集にも書かれてっから」

「うるせえ!」


ドン。
空になったジョッキを勢いよくおいて「麦お湯割!」カウンターの向こうへ叫ぶ。いよいよヤケなのだ、私も。


「ビッチでも彼女にしてくれる土方さんそこらへんに転がってないですかね」

「転がってたところでお前に振り向くほどチョロかねーだろうよ」

「ダメかぁー」


ハァーとうなだれた。運ばれてきた麦のお湯割りからはアルコールの匂いがするけれど、まだまだ私はシラフだ。もっとキツイの頼めばよかったな。後悔交じりにがぶ飲みした。すると「つーかそれならもう逆に振り切っちまえば」銀さんから、そんな声。

「振り切る?」

「そもそもお前にゃ清楚さなんかねーんだし、夜這いでもして骨抜きにする方が早ェんじゃねーの」

「よばッ、……夜這い?」


そんなこと考えたこともなかった。というか土方さんによば、夜這いってそんなの!


「ナシではない……」

「おまえやっぱバカだわ」


銀さんの呆れ交じりの響きは聞き流して、「処女性回収してくよりは可能性みえるじゃないですか」タコを咀嚼しながら返す。「ふうん」中々嚙み切れないな。永遠に咀嚼することになりそ。もう飲み込んじゃおかなコレ。私の頭の中がタコ一色で染められたそのとき。


「んじゃ試してみっか」


不意に落とされたのは、とてもじゃないけど飲み込めない一言。頬杖の上から私を見つめる、その目。
試す。試すって何をだっけ。私は暫し硬直した。私はいまタコの咀嚼で忙しいのである。その上銀さんの言葉の咀嚼もしなければいけないだなんてタスクがマルチすぎる。
で、試すだ。試すってそれはつまり。


「ソレッテー……」


なんとなあく、察しはしながらも尋ねれば「銀さん直伝、夜の寝技」彼は冗談を言うかのように、しかし妖しく口の端を上げた。


「仕込まれてみちゃう?」








場所は変わって、ベッドの上。全面鏡張りの中、私はバスローブを纏ってシーツのど真ん中に正座していた。見つめる先は無論銀さんその人である。胡坐をかくその気の抜けた顔を見つめて、息を吸う。


「では、ご教授お願いいたします」

「めちゃくちゃ乗り気じゃねーか!」


さっきまでのアレはなんだったんだよ!?と銀さん。耳がキィンとした。


「いやぁ、銀さんとはもう一回しちゃったし、もう何回しようと変わんないかなぁって思うんですよね」

「さっきまで処女性得ようとしてなかったお前」

「どうせなら確かにいつかの夜這いのためにテクニック習得した方が賢明じゃないですか」

「賢明ではねーよ、何がどうまかり間違っても賢明だけではねーよ」


ハア。そうため息を吐く銀さんだけれど今回の言い出しっぺは彼の方である。「責任取ってください」「あーハイハイ」しゃァねーなァ、と銀さんはその銀髪をわしゃわしゃ掻いた。そのまま流れるように引き寄せられて、至近距離、3センチ。私が息をのむより先に、この場の雰囲気は一転した。






いや、コイツほんとバカ。
深夜、のどの渇きから目を覚ました俺は、隣で眠りこける女に目を落としてそんな感想を抱いた。皺の目立つシーツやそいつのはだけたバスローブからは先ほどまでの情事の痕跡が見て取れる。両腕をあっちこっちへ投げ出しているその肩まで掛け布団を上げてやり、静かにため息を落とした。


真選組に所属し、どこぞのマヨラーに想いを寄せるその女の愚痴を聞くようになったのは一体いつからだったか。最早思い出せねェほど前のことに思えるが、ともかくいつの間にか俺はクソつまらねェ愚痴を飲み代の代わりに聞いてやることが多くなっていた。そのうち、適当にアドバイスをすることもそれなりに多くなっていき、そんな適当なアドバイスに従った結果泣いて帰ってくるそいつを慰めることもそれはもう多くなっていた。循環型社会である。

そしてそんなことを続けているうち、俺の中では時折、なんとも形容しがたい欲求がうずくようになった。
フラれてもフラれても一人に拘る、この果てしなく一途な単純バカが、違う方向を――こちらを見たらどうなるのか。どこまでもひとりしか映していないその視界に映り込んだら、そのときこいつはどんな顔をするのか。そんなことを考えちまう自分に戸惑い、呆れ、自分の趣味を疑っていた。


そんな折である。雨の中偶然遭遇したその女から誘いをうけたのは。
あのときのなまえは相当追いつめられていたように見えた。元々メンタルも強くないんだろうが、色々と積み重なったもんが爆発したのだろう。そしてきっと血迷って、たまたまその血迷いの先に俺がいた。それだけの話。
そこでなまえを抱けば、そいつはきっとあのマヨラーの好みからは大きく外れることになる。……まァ元から好みに入っちゃいないんだろうが、だがしかし、決定打になり得る。そんなことはすぐにわかった。なまえは先のことを考える余裕もなく血迷っているようだが、もしここで俺に抱かれてこの瞬間の気持ちを楽にできたとしても、きっと後から事の重大さに気づいて後悔することになるだろう。ずっと一途に奴を想ってきたそいつのことだ。きっとその後悔も並大抵のものではないのだろう。
これらがあの日そいつに求められた際、俺の中に廻った一連の思考である。それらを踏まえ、吟味に吟味を重ねたコンマ三秒。そののちに俺は決断した。


つまるところ、抱きました。
無論全く罪悪感がなかったわけではない。多少はあった。ただ、あまりにも一方向しか見ていないそいつの視線を揺らがせることのできる貴重な機会だったのだ。
気づかぬうちに恋路を塞がれたその女には同情もするが、そもそもその恋路は一方通行だったし。別ルートを与えてやったと言えば聞こえはいいか。ともかく、据え膳食わぬは男の恥。そんなことわざにも背中を押され、美味しくいただいたというわけである。それが少し前の話だ。

そこから多少の時間が経ち、しかし相も変わらずひとりを見つめて暴走していたその女。さすがに一線を越えてからしばらくは俺に対しても挙動不審だったが、すぐに元通りになった。目の前の男が何を考えているのかなど微塵も気づかず、いつものように愚痴を吐いている。それをどうにも気に食わないと思っちまうあたり、俺も相当ヤキがまわったらしい。気づけば今度は俺の方から手を伸ばしていた。そして、相当なアホでなければ食いつかないだろう誘い文句にまんまと食いついてきたそのバカとホテルに入ったのが数時間前、抱きつぶして今現在に至るというわけだ。


ったく大丈夫なのか、コイツはコレで。
そのあまりのアホさ加減に、お前が言うなと言われそうなセリフが浮かぶ。夜這いの練習とか下手な同人誌でも聞かねーだろ。ナニがご教授だ。アホすぎる。マヨラーに夜這い云々は俺が言い出したことだが、まずあの野郎相手に夜這いをかけるなど至難の業だということに気づいた方が良い。相手は実戦経験豊富な現役警察官である。万一夜這い出来たとしても、あの清純派が好きですと顔に書いてあるような男が手練手管に弱いとも思えない。つまりどう転んでもこいつは負け戦なのだ。
結局、本人は気づいていないが、『土方さんに好きになってもらうため』努力した結果出来上がったのは、俺によって俺好みの手練手管を仕込まれた、尻の軽い積極的な女。頭も軽いけど。


「……おまえ実は俺のこと好きだろ」


呑気な寝顔に投げかける。そうであった方が納得がいくレベルで、道を踏み外しすぎだ。俺もそれなりに狡猾だった自覚はあるが、それ以上にコイツがアホすぎて罪悪感も薄れる。「どう転んでもムリなモンはとっとと諦めろよ」届いていないと知りながら小さな頭へ手を置いた。白い耳の後ろにちらと覗いた赤い痕は、指通りの良い黒髪の下に沈めておく。……まァ、アホは俺も同じなのだ。

結局アホはアホ同士が似合いだぞ。しらねーけど。
そんなことを考えていると欠伸が出た。まだ時間はあるし、もう一眠りしておくか。そいつが夢の中から出てきていないのをいいことに小さな体を抱き寄せると、俺は瞼を伏せたのだった。


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