セカンドストリート
いつも通り仕事に疲れた帰り道。本日は華金と名高い金曜日だけれど私に予定はなかった。なんとなく電車に乗って、なんとなく最寄り駅で降車、そうしてなんとなく足を踏み入れたのは、セカンドストリート。何の変哲もないリサイクルショップだった。

誰かの使用済みで溢れるその店を回るのが、私はどうしてか好きだ。行き場を失くすと足がそこへ向いてしまうことがよくある。今日も例に漏れず、それ。顔なじみというわけでもない店員の前をスルーして、中古品の海を泳ぐ。シミのついたソファに張られた大特価の札がなんともこう、わびさびを感じさせた。まさにこれこそが風流。日本の心はここにある。いや全然知らないけど。でもどの商品もきっと少し前までは誰かの日常を彩っていたんだろうな。そう考えると少し空しくなってくるような気もした。


そんなこんなで諸行無常を感じつつ家具コーナーを回り終えて、その奥の衣料品コーナー。中古品特有のなんともいえない哀愁の中、掘り出し物でもあったらなあと邪な気持ちで視線を飛ばす。お買い得品でも良いし、高く売り飛ばせそうなブランド物でも全然あり、なんかないかな面白いもの。金曜夜7時過ぎ、ゴールデンな一日のゴールデンなタイムに私と言えばこれである。悲しくならないと言えば嘘になるけれど、まぁ仕方ないものは仕方ない。恋人も気軽に遊べる親友もいないOLの週末なんてこんなもんだ。多分街頭アンケートをとったら独身女性の6割は週末をセカストで過ごしていることだろう。私が断言する。内心を吹き荒れる寂しさの嵐は見ないふりをして、そんなことより眼前の掘り出し物。こんなにコスパの良い現実逃避もそうないだろう。
と、そんな風に現実から目を逸らしたその瞬間。また店内へ視線を向けた私の目の端に、なんとなく既視感が過った気がした。妙な、見覚え。
違和感を辿ると、そこにあったのは小さなナニカだった。近づいてみると長方形のそれはどうやら財布らしい。同時に既視感の正体も理解して、ため息をひとつ。

某有名ブランドのそれは今でこそ1万円強の値札の下敷きになってしまっているけれど、まともに買ったら5万はくだらない高級品である。ちなみに人気ブランド財布ランキング一位、彼氏にプレゼントするならコレ♡ランキング一位、20代後半男性へのプレゼントに最適な財布ランキング一位を総ナメするほどの高評価品でもある。さらにちなめば、税込みで56,380円。いつか痛めた懐が驚くほど正確に金額を覚えていて、アタタと内心苦笑した。
私がその56,380円を支払ったのはつい数ヶ月前のことである。用途はお察しの通りというか、その当時は実在していた恋人への誕生日プレゼント。付き合って一年経つしそれなりなものを送らなきゃな。財布ならばセンスや好みの懸念も少ないし、少なくとも邪魔になることはないだろう。そんな考えからだった。不可抗力で脳裏に浮かぶのは少し前までは見慣れていたはずの銀髪天パだ。考えてみると別れてから4か月くらい経つから、それだけ会っていないのか。今となってはもう特に何も思わないけれど。

銀時と私が付き合っていたのは一年と少しほどの期間だった。といっても大恋愛をしたとか壮大なエピソードがあったとかそんなわけではない。気まぐれに参加した合コンでたまたま意気投合、その勢いで一線を越えて、そのまま気づいたらそんな仲に、という王道パターンである。そして気づいたら別れていた。別れた理由だって『なんか違う気しね?』というふわっとしたものだった。違うってなんだよと思わなかったわけではない。でもそう言われると確かに違う気もしたのだ。なにかが。
そんなこんなでお友達に戻りましょう宣言をしたのち、気づけば銀時とはすっかり疎遠になってしまった。別れた男女なんてそんなもんなのかもしれないけど。これもまた諸行無常だ。中古品を眺めるときと同じ類のむなしさがわいてくる。


でも、まさかこんなところで銀時に思いを馳せるなんて思わなかったな。まったく予想外のところで予想外の回想をすることになってしまったものだ。思いを馳せるついでに、元凶たる財布を手に取ってみた。ものに罪はないとは言うけれど、もしかして銀時もまだコレを使ってくれていたりするんだろうか。ブランド物が似合わない男ではあったけど、もしそうだったとしたらそれはそれで嬉しくもある。懐かしさと共に財布を開けば、どうやら色も私がプレゼントしたものと同じらしかった。そうそう、小銭が結構入りそうでこれに決めたんだった。ちょうどキャンペーン中だったからついでにイニシャルも入れてもらって、あぁそうそう、まさにこんな感じで『G.S.』そうそうコレコレ……――いや、まさに、これ。
いつか購入したプレゼントを思い返していた私の手が止まったのは、決してそこに付随する想いが蘇ったからなどではない。そうじゃなくて、コレ。コレなのだ。間違いなく、コレ。私が、プレゼントした、財布。
視線は財布の内側、銀色で刺繍されたアルファベットにくぎ付けである。G.S.。だってそれは、だって。ギントキサカタ。
たまたま足を踏み入れたリサイクルショップで、いつか恋人に贈った財布と同じ種類のものが売られている。そこまではいい。色も同じだった。そこまでもいい。ただ、――刺繍されたイニシャルも、同じである。
これはつまりなんというか、アレ。チョットマッテ。頬がヒクヒク引き攣っているのがわかる。脳内を駆け巡るのはクリスマス後にメルカリでたたき売りされるハートネックレスの濁流だ。いや、メルカリのほうがまだ救いはあった。セカストって。自分で梱包する手間すら取りたくないと来た。「新品未使用品!」その煽り文句がここまでネガティブを纏うこともそうそうないだろう。愛情はプライスレスとはいうけれど、プライスダウンすることなんかある?しかし眼前の現実を見るに、どうやら私のあのときの精一杯は5分の1に縮小されてここへ流れ着いたらしい。

いやいや、マッテマッテ。人気のないセカスト1階、私は静かに頭を抱えた。セカンドストリート。その言葉すら今は胸を抉ってくるようである。いやたしかに、別に私にとやかく言う権利はないけど。銀時へプレゼントした以上それは銀時のものだし、そもそももう別れてるし。銀時が財布をどうしようと知ったこっちゃないのだ。だから別にいい。いいんだけど、……でも売ることはなくない?セカストに売ることある?

別れ方がこじれていたわけではないから余計に戸惑いが膨らんだ。エッ。そんな文字が脳内を埋め尽くす。結構かなり純度の高い私の真心と愛情となけなしの諭吉で出来たこの財布を、あの男は一体どんな気持ちで売ったんだ。売った金で一体何をしたというんだ。
ブランド財布片手に呆然と立ち尽くす私はもう、一周回っていた。一周回ってむしろうけてきた。セカスト、なるほどね。セカンドか。皮肉がきいている、いい感じに。
考えてみれば思い当たる節はあるのだ。銀時の一番はいつだって、私じゃなかった。それは甘味だったりジャンプだったりパチンコだったり。大体の煩悩は私の上に来ていた気がする。そう考えると多分私はセカンドどころではなかったのか。109番目くらいがようやく私の番だった。なんならあいつは財布を売った金で馬券でも買っているのかもしれない。うける。これで飲み会の鉄板ネタゲットじゃん、やったね。
そんなことを言いつつ心は泣いていた。何が嬉しくて金曜の夜に私はリサイクルショップのど真ん中で別れた男のことを思って辛くならなければならないんだ。私が一体何をしたというんだ。

でも、どれだけため息を吐こうとその新品未使用状態良好品から目をそらすことはできなかった。あんな奴が何をどうしようとどうでもいっか。そう、素通りしてしまえばいいはずなのに。それでもそこで立ち止まったまま動けないのは、やっぱりきっと、私にとったら間違いなくそいつが一番だったからなのだろう。ひとの心に居座るのが上手い男だったのだ。流れで付き合って流れで別れたけれど、その中で私は確かなものを芽生えさせてしまっていた。109番目なりに。

別れて時間を経てもこんなことを思ってしまうあたり、吹っ切ったと思ったそれが案外心の奥底に根付いていたのか。まだ居座ってんのあんた。カビじゃん。笑えない。そうしていると段々眼前の財布が自分の生き写しのように思えてくる。なんとも哀れだけど、でも。いいよなおまえは2番目で。私なんか109だぞ。そんなことを考えつつ気づいたらそれを手に取っていた。だって誰にも拾われずこんなとこに置かれているなんてかわいそうだ。私が可哀想。救いの手が必要、早急に。救いの手から飛んで行った諭吉はあのときの五分の一だった。懐への打撃は前より浅いはずなのに、どうしてか前よりよほど、痛い。安っぽいビニール袋に放り込まれた元56,380円は、前よりも軽くなったような気がした。




「ありがとうございましたー」

気の抜けた店員の声を背に自動ドアを越えれば、先ほどより黒を増した外気が身を覆う。よくわからない脈略で自己救済のまねごとをして、残ったのは思わぬところで心の傷を直視してしまった私のみである。財布はいいよな、わたしに救われて。わたしは一体誰に癒してもらえばいいんだよ。いたっけ私の救世主。
投げやりにスマートフォンを手に取って、開いたのはメッセージアプリ。心当たりがあるわけでもなく、救世主を探して連絡先をスクロールしていれば、『坂田銀時』。そこで思わず、指が止まった。そういえば、ブロックした覚えなかったな。うける。衝動的にタップしようとして、瞬時、我に返った。

いやいや、ナイナイ。これは救世主じゃない、元凶の方。付き合ってたって私のことを一番にしてくれなかったこの男に、いまさら一体なにを期待するというんだか。共に積み重ねた一年と少しの間も、惰性か色欲で一緒にいてくれただけだろう、多分。私が贈った財布はリサイクルショップに売るし、きっとその金で馬券を買っただろうし、あり得ないほどのロクデナシ。こんなの絶対地獄の蓋じゃん。

そう分かってはいるはずなのに、気づけば親指が動いていた。『今までありがと』そこにつけられた灰色の既読を見るのはいつぶりか。まして文字を送ろうだなんて。


今、自分が血迷っていることは分かっている。けれど止めてくれる存在がいないのも、事実。左手に提げるビニール袋がむしろ背中を押していた。そうして、「久しぶりに飲みにでもいきませんか」。

あーあ。やっちゃった。20代も半ばに差し掛かってする血迷いじゃないって。
無論まだ取り消そうと思えば、取り消せる。だけどそうしないあたり、私は、本当にバカ。だいたい仕事終わりに寄るのがセカストって。マトモな人間じゃない。そんな生活はそろそろ飽きたのだ。それならまぁ、地獄を見てみるのも、一興かな。
送信済みメッセージには、4か月ぶり、思ったよりも早く既読の灰色がのせられていた。案外私の方もブロックされていなかったらしい。財布は売られていたけど。数秒の間をおいて帰ってきたのは「OK!」のスタンプ。ニッコニコじゃん。絶対これ真顔で返したでしょ。文を打つほどの相手とも思われていないのかもしれない。財布売られたし。
まぁ、何にしろもう、後戻りはできないのだ。

勢いでやりました。いまは反省しています。
きっと後悔もするだろう未来の自分へ両手を合わせて、私は液晶を黒で染めた。


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