それは、突然訪れた。
「しずりちゃあああん!!」
壊れそうな勢いで開け放たれた扉に、リビングに集まっていた彼らは、各々の動きを止めて視線をそちらに送る。
枝の刺さったぐちゃぐちゃの髪に、ボロボロの洋服。至るところに傷を残して、突如として現れたころりとした幼い女の子。泥で汚れた顔のまま、こぼれるような笑みを浮かべる少女に誰もが驚く中――名前を呼ばれた彼女だけは、驚きに嬉しさと喜びを混ぜたような表情で彼女を見ていた。
「……小夜、か…?」
「…っ! しずりちゃん、ひさしぶり〜っ! 会いたかったよお〜!!」
彼女から呟かれた言葉に、少女――小夜は目を大きく輝かせて、溢れんばかりの笑顔で彼女に駆け寄り抱きついた。その体当たりでもするかのような勢いにしずりは軽くよろめいてしまったが、彼女も嬉しそうに小夜の頭を撫でる。
「……ちゃんと、無事だったんだな。それにしても、どうやってここに来たんだ?」
「えへへー、お魚ちゃんがしずりちゃんの場所探してくれたんだよー! だから、小夜…頑張って来たの!」
「…そうか。また会えて嬉しいぞ、小夜」
"お魚ちゃん"
彼女はそう口にすると、しずりから一旦離れて右腕を頭上に掲げた。その途端、彼女のカーディガンから魚のような青いものが次々と浮かび出す。それは彼女の右手に集まっていき、みるみるうちに鳥の形に姿を変えた。きっとそれが、この屋敷を探してくれたのだろう。自慢気に話して笑う彼女を見て、しずりは緩やかに微笑んだ。
一方。置いてけぼりな状態の霙は、目の前の彼女達のやり取りにぱちぱちと目を瞬かせる。じいは二人の様子に何かを察したように、にこりと目尻の皺を深くした。
「……その方が例のお嬢様ですか」
「…例の?」
「ええ、よく話しておられたのです。妹のようなやつがいる、と」
「っほ、本当!?」
「……言うなよ、じい。何か、ハズいだろ…」
ハテナを浮かべて頭を傾けていた少女だが、 少し照れくさそうに目を逸らすしずりを見て、再びその胸に飛び込んだ。突然走り出した彼女に驚いた魚たちは、バラバラになってまた彼女のカーディガンへと戻っていく。
全く追いつけそうにない会話に、霙は少しムッと口を尖らせた。
「……全然見えてこないんだけど、話」
「…ああ、悪い。こいつは小夜っていう…、まあ、じいも言ってたが……あたしの妹みたいなやつだ。こいつに手出したらマジで殺すからな、お前」
「あっはは、ないない。そんなチビちゃん眼中にないって」
どの口が言うんだ、とへらへらする彼にしずりはジトリと無言で睨みを効かせる。
話の流れからいくと、恐らくこの少女はあの中庭のポケモンたちと同様、彼女と同じ故郷に住んでいた子なのだろう。と、霙がその少女へと目を向けたとき。彼女からじっと視線を送られていることに気づく。まるっとした大きな瞳で穴が開く程に見つめられ、彼は思わず一歩後ずさってしまった。
「……しずりちゃん、この人だあれ? 彼氏さん、なの……?」
「んなわけねーだろ。こいつは霙ってやつで、あたしの護衛人だ」
「ごえい?」
「……あー、なんつーか…お前の魚と同じような感じだ。そいつらも、小夜が危ないときは助けてくれるんだろ?」
「…うん! お魚ちゃん、小夜のこと助けてくれるよ! そっかあ……えへへ、よかったあ!」
……即答だった。何なら魚扱いされた。
にこにこと笑って依然としてしずりから離れようとしない彼女に、モヤッとしたものが生まれる。何だ、よかったって。
イライラと脳内で愚痴を垂れていた霙だが、そのことに気づいてハッと我に返った。
(……いやいやいや、ガキかって。相手あんなちっちゃい子じゃん。てか、女の子だし。なに対抗心燃やしてんの)
苛立つ自分を冷静にさせようと、霙は目を瞑ってフッと自嘲気味に笑う。久々に会った友達なら、それは嬉しいに決まっているだろう。大人の対応をしなければ、と彼は黙々と自分に言い聞かせるように念じ続けた。
「つーか、小夜……お前汚れすぎだ。一回、風呂入ってこい」
「おふろ入るー! しずりちゃんも一緒に入ろ〜!」
「は? あたしは入る必要ねーだろ」
「だってしずりちゃんも汚れてるよ?」
「……いや、これはお前が汚したんだろ…」
しずりと、お風呂。
そこまで考えて微かに顔を赤くした霙だったが、遠くに行きかけた自分にまたハッとして、邪念を消すように頭を振る。呆れ顔のしずりにひっつきながら歩いていく彼女に、声を掛けそうになりつつも。グッとその気持ちは堪えて、開きかけた口を結んだ。
そんな彼女達の後ろ姿を眺めていると。
しずりに腕を絡ませていた彼女がふいにこちらを振り向き、ニィと勝ち気な表情で口元に笑みを作った。……それは、明らかに自分に向けられたもので。
「……ははー、まさか…ね」
小さな、敵意を感じた。
◆◇◆
「しっずりちゃんと〜、お買いもの〜!」
「おい、小夜…! あんまり振るな、危ねえだろ」
午後3時、しずりと小夜は街まで食料を調達しに来ていた。はぐれないように握られた手を、鼻唄混じりに大きく揺らす彼女にしずりは注意するが。いつまで経っても止まりそうにないそれに、しずりは仕方なさそうに笑みを浮かべる。
出掛けることに一人の忍が駄々をこねていたが、それはもちろん無視された。
「…そーいや、今日の晩飯はオムライスってじいが言ってたぞ」
「やったあー、オムライス〜! 小夜がしずりちゃんのにケチャップかけてあげるー!」
「おー、じゃあ頼んだ」
"オムライス"の単語を聞いて、小夜は一段と目の輝きを強くさせる。オムライスで彼女の頭の中は一杯になったらしく、先程まで動いていた手は揺れなくなった。
単純な彼女にしずりが思わず吹き出した時。
歩く道の角から、誰かが飛び出してきた。
「う、わっ!」
「……っ!!」
「しずりちゃん!?」
突然のことに驚いたしずりは、避けることが出来ずにそのままぶつかってしまい、尻餅をついて倒れてしまった。少しだけ顔を歪ませながら衝撃の元を見上げると。
そこには、顔を蒼白させて震える男の子が立っていた。
「……ご、ごっ…、ごめんなさい…!」
「…ああ、大丈夫だ。怪我した訳じゃねーし」
「で、でも……洋服、が…」
ついた砂を払いながら立ち上がった彼女が、その言葉に自分の服を見てみると。胸の辺りに赤いシミがベットリとついていることに気づく。ついさっきまではなかったそれに首をかしげつつ彼に目を向けると、その手元には頭のなくなった薄茶色のコーンが握られていた。
「プティー、危ないから走るのはやめなって……、」
「……っ!」
「…もう遅かったみたいだね」
なるほど…と彼女が納得していると、彼が出てきた角から別の誰かが現れた。彼はその声に身体ごと振り向かせて、一目散にその影に姿を隠す。彼にしがみつかれている少年はふうと一息吐くと、ポケットから白いハンカチを取り出した。
「……はい、これ。彼、悪気はないから許してあげて」
「…悪いな。別に怒ってねーから安心しろ」
彼から渡されたそれで、汚れた場所を拭いていく。シミは取れなかったが服についていたアイスは取り除けたようだ。ちらりと少年の後ろを伺うと、彼はコーンを見つめて少ししょんぼりとしていた。
「……これ、どこのやつだ? あたし達も食べたいから、店まで連れてってくれないか? これも洗いたいし」
「……別に、いいけど…」
「だってよ。やったな、小夜。うまそうなアイス食えるぞ」
「わあーい! アイス食べたい〜!」
まさか、自分に支払わせる気では…と内心疑っていた少年だが、自分達に否があるため断るわけにもいかず。多少の間を空けてそれを了承すれば、小さな彼女から喜びの声が上がった。いい笑顔をしている。
――5分程歩いた頃。
四人は白と茶色のストライプで彩られた、ジェラート店の前に辿り着いた。
「…ここか。ありがとうな、教えてくれて」
「……いいえ」
「あ、ちょっと待ってくれ。ハンカチ洗ってくる」
役目が終わった彼らが立ち去ろうとすると、彼女が待ったの声を掛ける。返事する間もなくパタパタと慌ただしそうに駆け出した彼女は、そのまま店の中へと入ってしまった。それに気づいた少女が「待ってよ〜!」と後を追っていく。
……自由な人たちだ。
――待つこと数分、店の中から彼女たちが姿を現す。ついでに注文も済ませたらしく、二つの赤いジェラートが器用に彼女の片手に持たれていた。
「悪い、ちょっと濡れてるが……これ、ありがとな」
「…ちょっとっていうか、ほぼ乾いてるんだけど……。何で?」
「手、乾かすやつで乾かしてた」
「……何かすごいね、君」
ジェラートとは別の手に持たれていたハンカチを受け取れば。それは多少湿り気を帯びて薄赤くなっているものの、使う前のような状態に戻っていた。感心すら覚える彼女の行動に、彼が驚きを隠せないでいると。
「……で、これはお前の」
「えっ、ぼ、僕にくれるの……?」
「おう。お前のアイス、あたしの服が食っちまったからな」
彼女は手に持っていたジェラートを、コーンをもつ彼にひとつ手渡した。近づいてきた彼女にビクビクとしていた彼だったが、渡された赤いそれに繰り返し目をぱちぱちと動かす。
彼女の後ろにいた少女の手には既に同じものが握られており、どうやら最初から彼に渡すつもりで買っていたらしい。
「……あ、あっ、ありがとう…!」
「別に。あたしも前見てなかったしな。小夜も喜んでるし……お互い様だ」
にこりと軽く笑う彼女は、フードを被る彼の頭を数回撫で。そして、その手をスッと上げて「じゃあな」と一言告げると、彼女は少女と手を繋ぎその場を去ってしまった。
「……変な人」