「霙、今日…一緒に寝てもいいか……?」
「……はい?」
……いったい、何が起こっている?
――ほんの数秒前、ベッドに腰を掛けていた時。
彼女は何の前触れもなく、俺の部屋に訪れた。
暗闇に染まる外はあいにくの天気。風も強いらしく、雨が窓に叩きつけられる音と共にゴウゴウと唸る音も鳴っていて。しかし、その中でも彼女の呟く声はとてもよく聞こえた。
「え、急になに……てか、な、何で、俺……?」
「……何でって…。今日はじいも小夜もいないから、お前に頼むしかないだろ…!」
「……今、なんと?」
動揺を隠せない自分の問いに返された言葉、それにさらに動揺が激しくなった。枕を両手で抱えたしずりは、少し照れたような表情でこちらを睨む。それにドキリとしつつ、彼女の言葉を頭の中で思い返してみた。……聞き間違いでなければ、じいさんもチビちゃんも今日はいないと、そう聞こえた…のだが。
ということは、つまり。
屋敷にいるのは俺としずりだけ、ということになる。
「……お前、聞いてなかったのか? 次の任務対象の拠点がバラけてるからって、こっちも二手に分かれることになったじゃねーか」
「あー……、なんか、そんなこと…言ってたような……」
先日、作戦を計画していたときにそんな話になり、あのチビちゃんがうだうだ喚いていたのを思い出した。
行動するうえで、子供の彼女たちだけで組むのは危険だし、かといって俺とチビちゃんじゃ確実にソリが合わない……というか、恐らく向こうが合わせてくれない。それを考えると、この組み合わせが一番最適だろう、という結果になったのだ。
……にしても。
扉の前に立ったままの彼女に、そろりと目を配る。今の彼女は寝間着に包まれており、いつもの服とは違い何やらモコモコとした素材で出来ていて……その姿はまるで小動物のようだった。
ズボンはやたら短く、普段はあまり見えない彼女の白くて綺麗な足が太ももまで見えていて。おまけに上は少し大きいのか袖が余りだぼっとしている。……どこを見ていいのか分からず、俺の視線は泳ぐ一方だった。
「……で、でも、いつもひとりで……、」
寝てるのに。
そう言おうとした時、ピシャリと強く目映い光が部屋の中に差した。後を引くように鈍く響き渡る音が屋敷を覆い、雨音がさらに強くなる。どうやら、雷まで鳴り出したようだ。
こんなに空が荒れ狂うのは珍しい。あまり見ない光景に、カーテンの隙間から定期的に漏れる光をつい眺め続けていた。が、彼女の存在を思い出し、もう一度扉の方に視線を向けると――何故か彼女の姿が消えていた。
どこへ、行ったのだろうか。
扉を開けたような音はなかったし、彼女が無言で出ていくようにも思えない。疑問を抱きつつ、部屋の中を探るように見渡すと。窓の反対側の部屋の隅、彼女が丸く縮こまって震えているのを見つけた。
……何あれ。
なんかすげー可愛いのが、いんだけど。
◆◇◆
どうやらしずりは、雷が苦手らしい。
結局、怯える彼女を追い返すことが出来るわけもなく。ベッドの中で二人、一緒に寝ることになった。先に潜った背後で、毛布をめくられる気配がして。軽く沈み込み、ギシリと鳴るスプリング音にビクリと心臓が飛び上がった。
……どうしよう、顔が見れない。
「しっ、しずりが、雷怖いとか意外で…びっくりした。全然平気、そうなのに」
「……小夜には絶対言うなよ。つーか、誰にだって苦手なもんはあるだろうが!」
「……うん…、」
可愛すぎる、と言いかけた言葉は、また怒られそうだから口にしないでおいた。気を紛らわせようとして始めた会話はすぐに途切れ、部屋の中には嵐の音だけが響く。
その中で、バクバクと破裂しそうな程に脈を打つ自分の胸にそっと手のひらを乗せる。耳元で振動しているかのような、大きな音。誰かといて緊張するなんて、初めてのことだった。
……正直、恋とか愛とかそんなの、どうでもいいと思っていた。好きって囁いて、愛でるように触れて、嬉しそうに笑顔を浮かべれば。うわべだけの繋がりで、周りの子はみんな喜んで笑い返してくれる。
嫉妬で詰め寄る彼女達も幾度となく見てきた。その度に慰めて、その度に気持ちは冷えていく一方で。心に引いた周りとの境界線はより強くなっていった。本気になるから、そんな風に傷つくんだって。……きっと俺は、好きになって、また裏切られるのが怖かった。
しずりといると、初めての感情ばかりが生まれてくる。声を聞きたい、話したい、温もりに触れたい、笑顔を向けて欲しいって、どんどん欲深くなっていく自分がいて。女の子の怒る姿にはうんざりしてたのに、彼女の不機嫌そうに眉を寄せる顔だけは、どうしても愛しく思えてしまう。
苦しくて甘く広がる、知らない感情。
――この感情に名前をつけるなら。恐らくこれが、好きという気持ちなのだろう。
「……せっかくの、ブルームーンだってのに…」
「…ブルー、ムーン?」
「ああ。稀に満月が月に二回現れることがあるんだが……その二回目の満月のことをそう呼ぶって、じいが言ってた」
雷のせいか、いつもよりしおらしく感じる彼女の声。聞き逃してしまいそうなその声に、向けていた背中をもぞりと動かす。彼女と向かい合わせ、緊張はいまだに解けないものの……最初よりは落ち着きを取り戻したように思う。
――そういえば、任務の夜はいつも満月だった。
「……しずりは、満月が好きなの?」
「…本で読んだことがあるんだ、月の光には人の心を浄化する力があるって。何でも、負の感情が抑えられるんだと。だから、満月の日に悪党共を懲らしめたら、少しは自分の過ちに気づいてくれるんじゃねーかなって、思ってよ……まあ、ただのあたしの願望なんだけどな」
どこか諦めたように目を細める彼女に、とくりとまたひとつ、好きな気持ちが募る。この子はどこまで、周りのことを考えれば気が済むのだろう。
そのくせに、自分には厳しくて。他人に一切、隙を見せようとしない彼女を甘やかしてあげたいと思ってしまうのは……俺の、わがままだろうか。
「…しず、」
「……ッ!!」
「ぎゃあ!!」
思わず、彼女の頭を撫でようとしたとき。再び激しい光と共に、バリバリと耳をつんざくような轟音が窓を揺らした。
先程よりも近づいた雷鳴に驚いたのか、しずりが勢いよく俺の胸に飛び込んでくる。心の準備がまるで出来ていなかった俺の口からは、びっくりするくらい情けない声が出た。咄嗟に口を覆ったが、もう既に遅かったらしい。
俺の服にしがみつく彼女はカタカタと震えていて、相当雷が天敵なことが伺える。……しずりには悪いが、思わぬ彼女の弱点ににやけが止まらない。その弱味を見せてくれるのは、自分を頼りにしてくれている証しのように思えたから。
――これは、抱き締めても……いいのだろうか。
一向に鳴り止まない雷に、彼女の服を握る力も強くなる。ためらって彼女の背後でさ迷う自分の手を、一度グッと握り締め、ぎこちなく彼女の背中に腕を回した。優しく包み込むように抱くと、安心したのか彼女の震えが止まる。
……が、この行為は失敗だったと後悔した。
(……あれ?)
自分の腕に埋まる彼女の身体に、ある違和感を覚える。バレない程度にそこを手のひらで何回も往復させてみるが、本来あるはずの引っ掛かりが全くもってないのだ。確信してしまった事実に、冷や汗が一筋垂れ落ちる。
(……ブ、ブラ…、してない!!)
気のせいにしておけばいいのに、頭の中で文字に起こしてしまい、一気に顔が熱を持つ。せっかく収まっていたというのに、また心臓がドキドキと忙しなく脈を打ち始めた。
お世辞にも胸があるとは言えないが、彼女は年頃の女の子な訳で、そういうことも気にする年齢のはずだ。仮にも男の前で、こんな無防備な姿で……警戒心とかないのか、このお嬢様は。
そんな人の気も知らない彼女は、あどけない表情ですやすやと寝息を立て始めた。男として意識されてないとも、気を許してくれてるともとれる彼女の行動に、はあ…と深い溜め息がこぼれ落ちる。
きっと、前までなら本能のままに動いてた。無防備な身体に手を這わせて、キスをして――そして、感じる声を聞いて。……でも、今は。
(……大事に、したい)
溢れそうになる欲を抑えるように、しずりを抱く腕に力を込める。もう、彼女の傷つく顔は見たくなかった。泣いた顔よりも笑った顔を見たいと思った。俺が誰よりも、彼女を笑顔にさせたいって……そう思った。
――いくら見た目が子供だとしても。
俺にとって彼女は、一人の可愛い女の子なのだ。
彼女から時おり漏れる小さな声に、寝つけなかったのは言うまでもなく。眠れない、長い夜はゆっくりと更けていった。
◆◇◆
翌朝。
瞼を開けると、目の前には彼女の顔があった。
「……はよ」
「お、おはよ。ちゃんと、眠れた?」
「…お陰さまで。……ありがとな、霙」
にこりと笑って自分の名前を呼ぶ彼女に、それだけで胸が高鳴った。眠気も一気に吹き飛ぶ程、簡単に嬉しい気持ちにさせてしまうしずりは、本当にずるいと思う。
「……えっと、これからも…怖いときは一緒に寝るし、不安なときだって、全然……頼ってくれていいんだけど……、その、ひとつだけ……お願いがあって」
「…お願い?」
「……その、寝るときもブラはつけててほしい、です…」
それを聞いた途端。彼女は目を見開いて、みるみる内に頬を赤で染めていく。瞬時にベッドから飛び起きると、その真っ赤な顔を隠すかのように枕を俺の顔面にぶつけてきた。
「バカ、死ね!」と単刀直入な暴言を吐いてこの部屋を出ていく彼女を、呆然と見送って。つられるように赤くなってしまった顔を、投げられた枕の中に埋め込んだ。
初めて見る、彼女の顔。彼女のことを知れば知るほど好きになる。だけど、気持ちを伝えるというのは、なかなか難しいもので。
――ああ、恋とはなんてめんどくさい。