機械仕掛けのお姫様(4/7)


しずり達がすっかり寝静まった夜のこと。
霙はある場所に訪れていた。

ひとつだけ開けられた窓の縁に飛び乗って、慎重にその中へと足を踏み入れる。作動音は鳴らず、彼は僅かに安堵の息を吐く。


「……もう、いないのかな」


数日前に訪れた、古びた洋館。
そのときに見かけた少女のことが気になり、彼は一人、またそこに足を運んでみたのだが。薄汚れた廊下を見渡して見るも、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。

いつ彼らに見つかるかも分からない状態で下手に動くことも出来ず、霙はその場で立ち往生する。どうしようかと頭を悩ませていたとき、ふとある扉が目に入る。先日逃げ込んだ書斎の隣に位置する、ボロく所々に穴の空いた扉。確か彼女は、その扉の前で外の景色を眺めていた。

少しの期待を込めて、静かにそこを開けると。


(……いた)


扉に背を向けて、今度は壁に掛けられた絵画を眺めている女の子。その額縁の塗装は至るところが剥がれ落ち、ガタついて斜めになっていた。


「こんばんは」
『……初めまして、こんばんは。』
「うっわあ! 何それ、びっくりしたー!」


ちょっと驚かせてみたい、とイタズラ心が沸いた彼は、気づかれないよう天井に身体を移動させそこにぶら下がったまま声を掛ける。しかし、振り向いた彼女は特に顔色を変えることなく。突如現れた文字入りのスクリーンに、彼は逆に驚かされてしまった。

気が緩んで離れてしまった身体を慌てて回転させ、地面に着地する。危うく、頭から突っ込むところだった。


『大丈夫ですか?』
「ああ、うん…大丈夫。ちょっと、ビックリしたけど。ていうか、ほんとそれ何? 初めて見た、俺」
『……私は言葉が話せませんので、会話をするときはいつもこうして話しているのです。』
「ほえー、そんなことできんの。すげーね」


腰を下ろしたまま間抜けな顔でスクリーンを見つめる彼に、彼女はぱちりと瞬きをする。

すごい。よかったね。そんな言葉は何度も言われてきた彼女だが、その言葉に嬉しさを感じたことは一度もなかった。その言葉の裏では、"可哀想に"と同情の目を向けていると、彼女には聞こえていたから。

しかし、彼の心からはそれが見当たらない。本当に感心しているらしい彼に、表情は変わらずとも、彼女は少しばかり驚きの感情を抱いていた。


『何か私に、ご用でしょうか?』
「あー、うん。そうそう、えーっと……名前、」
『ヒメと申します。』
「おっけー、ヒメちゃんね! あ、ちなみに俺は霙って言うんだけど。……でね、ヒメちゃんをこの間見かけてさ。ちょっと気になってたから、話してみたいなって思ってたの」


ペラペラと話しながら立ち上がる彼に、ヒメと名乗る彼女はまたぱちりと目を動かした。そういえば、ここに住まう彼らが何やら慌ただしくしている日があった、と彼女は記憶を思い起こす。

あの日は、何となく外に出てみたくなって。見つかったら怒られてしまうだろうとは思ったけれど、少しだけ、と廊下に出てみたのだ。まさか、彼ら以外の誰かがいたなんて。――そんな、周りも気にならなくなる程、あの日の月はとても綺麗だった。


「……ヒメちゃんさ、どう見てもあいつらの仲間じゃないよね? もしかして……あいつらが盗んだ宝石って、ヒメちゃんのこと?」
『……そう、ですね。彼らが私を誘拐した目的は、私の宝石と…父と母の財産目当てでしょう。それにしても、よくそんなことご存じで。』
「ちょっと、そういう情報が入ったもんでね。……じゃあ、あん時は逃げて正解だったかもなー。宝石が女の子とか思わないから、探しても見つからなかった気がする〜」


霙がチラリと下げた視線、それは彼女の服に飾られた色鮮やかな宝石たちに向けられていた。その問いに対して、彼女は少し迷うように言葉をポツポツと乗せていく。それを見て、彼は大きく伸びをしながら、気の抜けた独り言を口にした。


『……見つかる前に、早くここから出られた方がよろしいかと思います。』
「え、なんで? ヒメちゃんは?」
『私のことはお気になさらないでください。もうそろそろ、助けが来ますから。』


薄暗い部屋の中でぼんやりと浮かぶ半透明のスクリーンに、白い文字が乱れることなく綺麗に並べられる。"助けが来る"――願望ではなく確信したような言葉に、霙は伸ばしていた腕をおろして眉をひそめた。


「……ふーん? なんか、分かったような言い方するね」
『ええ、いつもそうでしたから。お金目当ての誘拐にはよく巻き込まれ……その度にいつも、お母様達が助けをくださいました。ですので、私は大丈夫です。』
「そのわりには、全然嬉しそうじゃないけど?」


彼の声に、彼女は伏せ目がちだった瞼をゆっくりと上げた。驚きを映すその目に、霙はにこりと口元に笑みを作る。心を覗くかのようなその視線から、彼女は顔を逸らすことができなかった。


『……すみません、表情を作るのが苦手なもので。』
「いーや、違うね。……ヒメちゃん、嘘ついてるでしょ」
『……なぜ、そう思われるのですか?』
「だって今のヒメちゃん、昔の俺と……おんなじ目、してるから」


彼女の瞳が、さらに丸くなる。
先ほどの陽気に話しかける彼とは別人のように、目の前の彼は悲哀に満ちた表情をしていて。

――言葉にしなかった気持ちがバレたのは、彼が儚げに見つめる目と何か関係があるのだろうか。


『同じ、目……?』
「うん。……誰も信用できない、っていう目」
『……そんな、ことは…』
「…ねえ、ヒメちゃん教えてよ。人に話して、楽になることもあるよ?」


まるで、彼にも心の声が聞こえているかのように、その言葉は的確に私の内に秘めた思いを捉えていた。

……人間なんて、信用できない。彼らはいくらだって、偽りの言葉で見かけをよくして、媚を売っていた。嘘の会話で成り立つ、素敵な世界。その裏側には醜く浅ましい姿がいつもあることを、私は知っている。

こっちで話そう、と彼は強引に手を引いて、近くの一人掛けのソファに腰を掛ける。テーブル越しに置かれた向い合わせの同じソファに指を差し、また最初の明るい笑顔を見せる彼。話すなんて、一言も言っていないのに。でも、彼には嘘はつけない気がして。言われるままに、静かにそこへと腰をおろした。


『……霙さんは、マギアナというポケモンをご存じでしょうか。』
「あっ、知ってる知ってる〜! 可愛いって女の子に人気のポケモンでしょ。でも、ほんとにいるのか分かんないって聞いたけど」
『そうですね、一般的には幻のポケモンと称されていますが……私の身体は、そのマギアナを元に作られているのです。所謂、』
「あ、ごめん。俺、漢字ムリ」
『……いわゆる、アンドロイド。ポケモンでも、人でもない存在です。』


……彼のペースに乱される。
なはは、とふざけたように笑っているかと思えば、私の話にはちゃんと相づちをうってくれて。こんなに私の言葉に耳を傾けてくれた人は初めてで……昔の嬉しくて、暖かくなる気持ちが蘇るようだった。


『唯一、マギアナとして形が残っているものは、このソウルハート。これが、心臓の役割を果たしています。』
「……なるほどねー。にしては、むき出しになってるけど大丈夫なの?」
『こうしなければ、スクリーンが映し出せませんから。仕方のないことです。』


彼女が手を添える胸の中央付近、そこに埋め込まれているものが彼女の言うソウルハートというものらしい。服の装飾同様、むき出しにされたそれも宝石で飾られているらしく、綺麗な赤と青の二色が僅かな光を反射して美しく煌めいていた。

彼女がそこに手をかざすと、文字を並べたスクリーンがかき消され、離すと再びそれが現れる。動力となるコアであり話す手段でもあるそれは、文字通り彼女の命の源と言えるだろう。


『私を生み出してくれた父と母も、初めは私の存在に喜んで、本当の娘のように愛してくれました。……でも、それはひとときのこと。人間離れした私の力に、彼らは私を遠ざけるようになりました。』
「えっ、でもさっきは助けてくれるって……」
『ええ、彼らが一番大切にしているのは世間の目に触れることですから。』


静かな部屋にピピピ、とタイピングの音が響く。彼はそれを、神妙な面持ちで黙って見ていた。彼女は、平然としてそれを打ち続ける。さも、それが当たり前のことかのように、機械的に黙々と。その表情には、何の感情も映し出されてはいなかった。


『今回も、恐らく彼らが仕組んだことでしょう。名家の娘が誘拐されたとなれば、マスコミが騒ぐ。……父と母の望みは、民衆の記憶や歴史に名を残したい、ただそれだけです。ですから、心配しなくとも助けは必ずやって来ます。』
「……ヒメちゃんは、それで幸せ?」
『そ、れは……』
「…な、わけないよね。でもね、俺……ひとつだけ、いい方法知ってるよ」


彼の問いに、無表情を崩すことのなかった彼女が初めて動揺の色を見せる。丸くて大きな瞳は横に揺れて、きちりと結ばれていた口も何か言いたげに開けては閉じるを繰り返した。どうにかして返そうとした返事は、遅く、たどたどしく。表示されるスピードは、明らかに今までのものとは違っていた。

霙は惑う彼女の言葉を遮って、膝に手をつきながら立ち上がると。目を細めて一言、彼女に告げる。


「ヒメちゃん、俺と一緒に逃げよっか」


そう、彼が言った途端。
彼女の世界が揺れていた。

霙は彼女を横抱きにすると、目にも止まらない速さで扉や窓を抜けていく。空を切って、風に乗るように森の中を駆け抜けて。彼女の見る景色は、目まぐるしく動いていく。

彼らから――父と母から逃げるだなんて、考えもしなかった。彼らの元で生まれて、彼らのために生きていくのが私の使命だと思っていた。たとえ、彼らの礎として駒のように扱われようとも、それが私の運命だと。

――でも、彼は。一瞬でそれを、こんなにもあっさりと翻してしまった。


「……よっし、ここまで来れば大丈夫かな」
『…逃亡なんて、初めてのことです。お母様達にバレてしまったら、あらゆる手を使って探しだそうとするに違いありません。やはり、戻った方が…』
「大丈夫大丈夫! 一応、俺にも考えがあるからさ。それに、任務も続行中だったからね。あんな分かりやすいとこにお宝置いといたあいつらが悪いでしょ」
『……You are a villain person.』
「……ヒメちゃん、ちょっとそれはズルいんじゃないの」


絶対俺の悪口言ってるでしょ……と口を膨らませて拗ねる彼に、つい、笑みが零れた。楽しくて、底抜けに明るくて。ころころと表情を変える彼といると、本当の自分になれるようだった。

心の中でくすくすとひとしきり笑って、見上げると。柔らかく微笑む彼の瞳とかち合った。


「…やっと笑った」
『え…?』
「うん、やっぱり女の子は笑った方が可愛いからさ、ヒメちゃんももっと笑いなって。絶対その方がいいよ! ……って、そうだそうだ。忘れるとこだった……ヒメちゃん、ちょっと待っててね」


笑った方がいい、そう言って。太い木の枝で休憩していた彼は何か思い出したように呟くと、地面に降り立って彼女をそっと腕から離す。そして、素早く指を組み替え始める彼の姿を、彼女はただただ呆然と見つめていた。

――誰からも、言われたことのない言葉だった。


「変化の術〜、からの影分身っと! おっ、我ながら上手く出来たんじゃない!? どう、ヒメちゃんこれ。そっくりでしょ」
『すごい、です……本当に、私がもう一人いるようで……。』
「本人がそう言うなら大丈夫そうだね。この子をさ、さっきの家に向かわせとくから。結構丈夫に出来てるし、そうそうバレる心配もないと思うよ。ね、これで安心でしょ?」


彼の姿かたちが変わって、私の姿になったかと思えば、それはいつの間にか二つに分かれていて。そのもう一方はまた彼の姿に戻ると、もう一人の私を見て満足そうに指を鳴らしていた。

背丈や衣装、動きまでもが、本当に私そのもののような彼の分身。鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。ニコッと笑う彼に、私はこくりと頷くしかなかった。


『……それで、この後はどこに行かれるのですか?』
「あー、そうそう。それなんだけど……ちょっと癖のあるお嬢様がいるから、ヒメちゃんにも少し協力してもらいたくて。いい?」
『はい、私に出来ることであれば』
「よし、いい返事! えっとね……」


私と同じ姿をした彼女が、見えなくなるまで見届けたあと。行き先を尋ねる私に、彼はそっと顔を近づけて。耳元で秘密の話を密やかに口にする。

――頬が少し熱く感じたのは、私の気のせいだろうか。



◆◇◆



「……で、あのときターゲットにしてた宝石が、そいつだったってわけか?」
「そ! だからさ〜、ヒメちゃんもここに置いてていいでしょ?」
「……こういう言い方しちゃ悪いが、窃盗品で持ち主の分かっているモンは、その持ち主に返すっつーのがここでの決まりだ。お前にも、そう伝えてるはずだぞ? ……ヒメには、明らかに帰る場所があるだろ」


屋敷内の玄関、そこには霙とヒメ、そして起こされて眠そうにするしずりの姿があった。

洋館での出来事、ヒメのこと、彼女には帰る場所がないこと――霙がこれまでの経緯を事細かく説明すると、しずりは複雑な表情で視線をずらす。

盗まれたものは所有者の元へ。所在の分からないものだけ、手元に置く。しずりの決めた、何とも彼女らしい盗みのルール。

しかし、彼女がそう言うことは想定内だった彼は、心の中でニヤリとほくそ笑んだ。


「…って思うじゃん? 俺もビックリしたんだけど、どーやらヒメちゃん自分の名前しか覚えてないらしくてさ。……だったよね、ヒメちゃん?」
『……ええ、申し訳ありません。記憶が思い出せず……』
「多分、誘拐されたショックで記憶飛んじゃってるんじゃないかな〜って、俺思うんだよね。このまま一人とか可哀想だし……思い出すまで置いててあげようよ、しずり」


霙が悲しそうに顔をうつむかせて、ヒメに同意を求めると。彼女は予め決められた内容を、一言一句間違うことなく文字に起こした。それを見て、顔つきを変えるしずりを見逃さなかった彼は、最後のひと押しとでも言うように。手を合わせて、お願いの言葉を懇願するように声にする。

少しの間を空けて、しばらく迷うようにしていた彼女だったが。根負けしたように、はあ…とひとつため息を吐いた。


「……そういうことなら、仕方ねーな。じいに部屋は用意しとくように頼んどく。ヒメ、今日はあたしと一緒の部屋でも構わねーか?」
『はい、ありがとうございます。しずりさん』


こっちに来い、と言われるままに彼女に近づく。それを確認した彼女は後ろを向いて、ペタペタと音を鳴らしながら歩き始めた。その背中についていくさ中、ほんの少し彼に目を向けてみると。彼はパチリとウインクをして、ゆるゆると手を振り返してくれた。

何となく、その姿を見ていられなくて、また彼女へと視線を戻す。――嬉しいとも喜びとも言えない、不思議な気持ちが胸の中に広がった。

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