機械仕掛けのお姫様(5/7)


ヒメが屋敷に来た、翌日。
愕然とした様子のひとりの少女が、とある扉の前でやや半ベソになりながら大声を上げていた。


「なんでなんで、おじいちゃん! 中に入れてよー! 小夜、しずりちゃんとお話ししたいのー!!」
「今日はだめです、小夜様。お嬢様は熱が出て休まれておりますから……」
「じゃあ、なにもしないで静かにしておくから! それならいいよね、おじいちゃん…?」
「…ふむう、困りましたねえ……」


彼女と対峙するように扉の前に立っていたじいは、一向に引き下がる気配のない小さな少女を一目見て。顎に指をあてがいながら、どうしたものか…と思い悩む。

今日、数日ぶりに寝込んでしまった彼女は、39度を越える高熱が出ていた。そして、熱にうなされる彼女を看病していた際、"誰も入れるな"と強く釘を刺されてしまったのだ。万が一、周りへうつることがないように、というのを配慮してのことだろう。

薄々こうなることは目に見えていたじいだったが……なかなかいい打開策が思いつかず、彼女を宥めながら辺りを見回していたとき。


『おはようございます。小夜さん、おじいさま。』
「あっ、お姉ちゃんおはよ〜っ!」
「これはこれは、ヒメ様。おはようございます。良いところに来てくださいました」
『……え?』


廊下の向こう、たまたまやって来たヒメに小夜は泣きそうだった顔をころりと変えて、彼女へと飛びついた。軽くその肩を抱きかかえながら彼女の頭を撫でるヒメを見て、じいは晴れやかな笑顔を浮かべる。

彼から向けられた言葉に、ヒメはぱちぱちと目を瞬かせた。



◆◇◆



『わたしは ここのことを あまりしらないので、小夜さん あんないして いただけますか?』
「……いただくー?」
『……おみせまで つれていってくれる?』
「…っうん! 小夜ねー、おっきいお店があるの知ってるのー! この前、そこでしずりちゃんとお買い物したんだー!」


――お嬢様へ、何か甘いものを買ってきてくださいませんか?

数分前のこと、にこやかに笑う彼にそう言われ、ヒメと小夜は森の外へと来ていた。まだ小さな彼女にも分かるよう、ひらがなで文字を打つヒメだったが、丁寧すぎるあまりにそれは伝わらなかったようで。今度は砕けた口調で話しかけてみると、次は彼女にも理解出来たらしく満面の笑顔で手を握ってくれた。

しずりのことになると途端に言葉を弾ませながら話し出す小夜に、ヒメは微かに笑みをつくる。ルンルンとした様子で繋いだ手を振る彼女は、心から嬉しそうにしていた。


『小夜さんは、しずりさんと なかが いいのですね。』
「そーだよー! しずりちゃんは、可愛くてかっこよくて…すっごく優しいの! だから小夜、しずりちゃんのこと大好きなんだー!」
『すき……ですか。』


彼女が何気なく言った、"好き"という言葉。
それを聞いたヒメは、彼女に引かれ動かしていた足をピタリと止める。急に進まなくなった身体に後ろから転びそうになった小夜は、彼女を守る魚たちに支えられ、何とか倒れることにならずに済んだようだ。


「……お姉ちゃん? どうしたの?」
『……ごめんなさい。すき というきもちが どういうものか わからなくて……。』


立ち止まってしまったヒメを不思議に思った小夜は、彼女に近寄り覗き込むようにしてその顔を見上げた。返事を並べる文字は戸惑う彼女の気持ちを代弁するかのごとく、ポツリポツリと映し出されていく。

彼女には人と同じように感情があった。嬉しい、悲しい、怒り、喜び……その他にもひとつの言葉では括れないような、複雑で細かな感情が。しかし、"好き"という感情だけは今までのどの感情に当てはめればいいのか分からない、不可解なもので。彼女はどうしても、理解することが出来ないでいた。

手を口に当てながら、考える素振りをする彼女を見ていた小夜は、ぱちくりと丸くなっていた瞳を細くして、幸せを含ませたような顔で笑みをつくる。その表情に、今度はヒメが目を丸くする番だった。


「小夜はねー、しずりちゃんと一緒にいると嬉しくなっちゃうんだー。それでね、お話ししたいからしずりちゃん見つけたら追っかけちゃうの! あとは、そうだなあ……しずりちゃんのこと考えると、楽しくてしあわせな気持ちになるからね、小夜はしずりちゃんとずっと一緒にいたいって思うのー!」


好きじゃないと、お話ししたり一緒にいたいって思わないでしょー?

純粋な彼女の眼差し。屈託のない笑顔で話す彼女の言葉は拙いものだったが、ヒメにはそれだけで充分なようだった。

彼女が脳裏に思いを巡らせるのは、黒を纏う彼の姿。自然と彼に目を向けてしまうのは、彼が皆の中心にいて存在感があるからだと思っていた。彼とずっと話していたいと思うのは、彼が話上手で楽しくさせてくれるからだと思っていた。彼といると暖かい気持ちになるのは、彼の赤い瞳が優しく、笑うからだと。


「あっ、それとねー! いつもよりここがドキドキするよ!」
『ドキドキ、ですか。……それは わたしには わからないもの、ですね。』
「え? なんでー?」
『わたしには しんぞうが ありませんから。』


両手を胸に当てて彼女が示すものは、からくりで出来たヒメの身体には存在しないもので。

――動悸。運動や緊張などにより、平常よりも心臓の鼓動が強くなること。知識としての、彼女の言う意味ならヒメにも分かっていた。ただ、それを物事として理解する術が彼女にはなく。少女を真似て胸に手を当ててみても、機械の動く微細な振動が手のひらに伝わるだけだった。


「ええー!! お姉ちゃん、大丈夫なの……? 死んじゃわない……?」
『ふふ、だいじょうぶ。しんぞうの かわりに はぐるまが うごいているから。』
「はぐるま……よく分かんないけど、大丈夫ならよかったー!」


白い眉を下げて今にも泣き出しそうな小夜に、ヒメは口元をゆるく上げる。彼女の目尻に浮かんでいた水滴をそっと指でぬぐって、安心させるように頭をひと撫ですると。また彼女の笑顔が、花開くようにほころんだ。

彼女の言う心の振動は、恐らくこの先もずっと感じ取ることはできないだろう。でも、彼女が楽しそうに紡いだ言葉のどれもが自分の姿に重なって。彼のことを考える度に心に浮かぶ、例えようのないフワリとした不思議な感情。この、気持ちが――、


「……ねえねえ、お姉ちゃんもお熱があるのー?」
『……どうしてですか?』
「だって、顔がまっかになってるよお…?」
『そ、そうでしょうか…。きっと きのせい、です……。』


彼女にそう言われ、両手で自分の頬に触れてみると。いつも無機質で冷たいはずの肌は、確かに熱を持っていた。まるで、オーバーヒートのような症状。でも、冷却材はきちんと機能していて、体内の温度制御は出来ているはずで。こんな、一部だけ発熱する、なんてこと。

今までにない不可思議な現象に、ヒメの頭の中にはぐるぐると様々な言葉が飛び交う。しかし、考えれば考えるほど手のひらは熱を帯びて。ぺちぺちと頬を叩いて冷まそうとするが、それは無意味なようだった。


『…そんなことよりも はやく いきましょう、小夜さん。しずりさんが まってます。』
「あっ、そうだったー! えっとねー、こっちだよ!」


小夜の手を握って誤魔化すように本来の目的を持ち出すと、彼女は窺うようにしていた目と口を大きくして、再び引っ張るようにグイグイと進みだした。前を行く彼女の背中にホッとしつつ、また思い浮かんだ彼の笑顔に頬が熱くなる。

――霙さん。
どうやら私は、あなたのことを好きになってしまったみたいです。



◆◇◆



――同時刻、某所。
小さくなる二人の姿を訝しげに眺める、ひとりの男がいた。夕焼けのようなオレンジ色の髪が、風に吹かれてさらりと揺れる。


「……あれは…、」


彼の視線が捉えるのは、裾がつきそうなほどに長い上着を着た彼女の方。身体を隠すかのように羽織られたそれが風に揺られ微かに出来た隙間、キラリと何か輝くものが見えた。それを見つけた瞬間、彼の蒼い瞳は細く歪み薄い唇が弧を描く。


「もーっ、灯様! こっちはあのちびっ子たちが一回来たって言ってたじゃないですかー! 早く帰りますよ!」
「……ああ、霰。でも、来て正解だったみたいだよ」
「え? どういうことですか…?」


彼が怪しく微笑んだ、ほぼ同時のこと。
その背後に小柄な少女が降り立った。彼女は彼の姿を見つけるや否や、その近くに歩みより喚くように注意の言葉をかける。しかし、慣れているのか彼女の小言を気にも留めない彼は、人の良さそうな笑みを作り、彼女に向かってそっと手招きをした。

口をヘの字に曲げて、不機嫌そうにしていた彼女だったが。根負けしたのか、渋々といったようすで彼の言葉に耳を傾けた。


「ちょっと、あの二人の尾行してくれる?」
「……ええっ、何であたしが女の尾行なんか…! それに、灯様ってばすぐ迷子になっちゃうじゃないですか。灯様を放ってどっかに行くなんて、あたし出来ません!」
「俺、そんなに迷ってるかなあ?」
「現に今、灯様は迷子になってたんです! 探すの大変だったんですからね!?」


のほほんと話す彼に、彼女の大きな瞳がつり上がる。再び荒くなる彼女の声、それを聞いて彼はグッと彼女に顔を近付けた。

そして、頭を傾けてねだるように甘く囁く。


「……霰、お願い。これ、霰にしか頼めないことだから」
「…〜〜ッもう、今回だけですよっ!? ちゃんと船に戻っててくださいね!?」
「うん、分かった。ありがとう、霰」


至近距離で微笑む彼の顔に、林檎のように顔を赤くさせた彼女は言葉を詰まらせる。その照れを隠すようにひとつ怒鳴ると、彼女は指示に従い瞬時にその場から姿を消した。

いなくなった彼女の跡。分かりやすい彼女の言動を思い出し、彼はクスクスと笑いを溢す。面白いなあ、と言って、一呼吸。口元に当てていた手を降ろした彼は、小さな一言を呟いた。


「ふふ、類さん…喜ぶだろうなあ」

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