その男、不真面目につき(3/5)


「……へえ、今日はバックれねーんだな」
「まあ、そりゃ、ね。……あの、さ。その……、腕、大丈夫…?」


豪華な装飾が施された屋根の上、歯切れ悪く彼が問いかける。夜空を切り取るように浮かんだ満月に照らされたその顔は、どこか気まずそうな表情を見せていた。


「…なんだ、まだそんなこと気にしていたのか。もう1ヶ月も前の話だ、ちゃんと治ってるから余計な心配すんな」


――1ヶ月。
彼女に会わないその間、彼はどうしてもそのことが気掛かりでならなかった。幼い身体につけられたあの傷は、数日で治るような小さなものではなかったから。

しかし、彼女が言っていた"掠り傷"というのは、あながち間違いではなかったようで。ほら、と袖をめくる彼女の腕には傷らしい傷がひとつも見当たらなかった。傷痕が残ってもおかしくないケガだったのに、まるで――


「……時間が戻ったみたい」
「ッ触んな! 気持ちわりぃな!」
「なはは、お嬢様相変わらず口悪〜い! いいじゃん、減るもんでもないし」


信じられない光景に思わず肌を触ると、しずりはそれを目にも止まらぬ速さではたき落とした。いつもの調子に戻った彼の、ヘラヘラした顔が闇夜の中でも容易に浮かび、しずりはひとつ大きめの溜め息を吐く。それには呆れと諦めが入り交じっているようだった。


「ったく、お前といるとほんとロクなことがねえな…。あたしは月の光さえあれば、大抵の傷は回復…、ッゴホ! っ、ゴホ、ッ…!!」
「……えーっと、言ってるそばから咳き込んでるけど、大丈夫? 風邪でも引いたの?」
「…ッうるせえな、何でもねーよ。とりあえずあたしの心配するくらいなら、ちゃんと仕事しろって言ってんだ。……そろそろ、行くぞ。じいの準備が整ったみてえだ」


彼女の言葉になるほど、と霙は納得する。恐らくはポケモンの技、"月の光"のおかげだろう。このポケモンが住む世界で、人型のまま技を使えるのはきっとそう珍しいことではない。――この忍が使う"水手裏剣"もまた、ポケモンの技のひとつなのだ。

彼女が少し咳き込む隙間から、ジジ…という通信機の音と合図を伝えるじいの声が聞こえる。どうやら、警備システムの解除を終えたらしい。


「次は逃げんじゃねーぞ、クソ忍者」
「ははっ、逃げるだなんてご冗談を。必ずお守りしてみせますよ、お嬢様」


午前0時に針が重なる頃。
獲物を狙うため、二つの影が静かに揺れ動いた。今日もまた、カラリと飴の音が鳴り渡る。



◆◇◆



「……おや。おはようございます、霙様」
「…あ、おっはよー」
「本日はこちらに居られるのですね。お飲み物でもお持ち致しましょう」
「……いや、いいよ。ちょっと聞きたいことがあっただけだからさ」


今朝、じいが壁に寄りかかって立っている霙を見つける。普段は目にしない姿に声を掛けると、彼は閉じていた瞼をゆったりと上げ、いつものようにヘラリと笑いながら返事をした。

紅茶でも、と思い立ったじいだったが、それは彼の言葉に制される。……ずっと居座る気はないらしい。


「俺、不思議に思ってることがあるんだよね」
「はて、不思議なこと…でございますか。私がお答えできることでしたら、何なりと」
「…お嬢さんとじいさんは何で盗みなんかやってんのかなーって。そんなことしなくても金ならいくらだってあるでしょ、ここ。なのに、わざわざそんなことする理由は…何?」


人当たりのいい笑顔とは裏腹に、探るような赤い瞳。確かに、彼の言うとおりこの屋敷で金銭面の不自由は何一つない。むしろ、有り余るほど。何故――、そう問われたじいは、一度開いた目を再び閉じて、しずりの姿を思い浮かべた。

――いずれは、話さなければならないことだとは思っていたが、こんなにも早く訪れるとは。


「……気になりますか、お嬢様のことが」
「え? いや、お嬢さんがっていうか……何でかなって、純粋に…思っただけ」
「ほっほ、顔に気になると書いてありますよ。…いいでしょう。私の後についてきていただけますか?」


隠していたつもりの嘘は、あっさりとバレてしまった。

まだ、彼女とは数える程しか顔を合わせていない。しかし、その少ない中でも、彼女が私利私欲のためにそんな真似をするとはどうしても思えなかった。聞けば、彼女が何を守ろうとしているかを、知れる気がした。……誰だって、あんな中途半端に言葉を切られたら、気になるに決まっている。これはただ関心があるという、それだけのことだ。

彼の指示に従い、その後をついていく。お互い言葉は交わさず、靴の音だけを鳴らしながらただ黙々と。リビング、廊下、ロビー……と無駄に広い屋敷内を移動すること数分。

じいと霙が辿り着いたのは、草や花が生い茂る広大な中庭だった。


「……あ、」
「ほっほ、今日も賑わっていますねえ」


一通り見渡していると、噴水の近くでたくさんのポケモンと戯れているしずりの姿が目に入る。わらわらと周りを取り囲まれている彼女は2人の存在にまだ気づいていないらしく、彼らひとりひとりに食料を分け与えていた。


「…ねえ、あの子たちの身体……」
「お気づきになられましたか。彼らはみな、どこかしらに傷を負った野生のポケモンたちでございます」


シズクモやキャモメ、パラス…と様々なポケモンが集まっていたが、彼らの誰もが共通して身体に怪我を負っていた。昔のもののようではあるが、顔に火傷の痕が残る者、背中に縫合の痕が見える者――そして、中には片腕が使えない者も。

彼女は彼らへの食事を与え終わったのか、今度は中庭に設けられた大きめの池に移動する。その最中も後をついてくるポケモンたちは、相当彼女のことを慕っているようだ。池の中に身を沈めていたポケモンも、彼女の気配を感じ嬉しそうに顔を出す。……彼らもまた、同じように傷ついていた。


「…お嬢様は、元々野生の子なのです。彼らは、その時一緒に暮らしていた者たちでございます」
「えっ、あの子元からお嬢様だったわけじゃないの?」
「ええ、お嬢様とはたまたまお会いしまして。その時は、彼女も私も独り身でございましたから……、私がこの屋敷へお招きしたのです」


豪邸とお嬢様と執事、何となくそれっぽいでしょう?

そんな冗談めいた調子で笑うじいに、霙はぱちくりと目を瞬かせる。あのポケモンたちと彼女の関係は分かった。そして、何故野生だった彼女がここへいるのかも。……ただ、ひとつ疑問が残る。

彼は確かに、"彼女も独りだった"と、そう言った。


「…ちょっと、待ってよ。お嬢さんはあの子たちと暮らしてたんだよね? なのに、独りだったって…おかしくない? あんなに引っついてる子たちが周りいないなんて想像できないんだけど、どういうことなの?」
「……お嬢様は過去、事件に巻き込まれ故郷を失われておられます。その時に一度、彼らと離ればなれになってしまったと…、そう仰っておりました」
「故郷が、ない…?」


彼からの返答は、予想もしないことだった。
まだ年端もいかない、幼い彼女の…生まれた場所が、ないだなんて。


「今いる彼らは、お嬢様が自らの足で探し、ここへ迎え入れた同郷の者たちでございます」
「それで…あんな、嬉しそうにしてんだね」
「…お嬢様はそれ以来、幸せまでも奪ってしまう悪党が許せないのでしょう。金目のものを盗むのは、全て自己利益のためだけに悪事を働く者から。手に入れたものはお金に変えて、食料や遊具として彼らに与えておられます。全ては、周りの者のためなのです。……お嬢様が屋敷の財産を使ったことは、たったの一度もございません」
「そう、だったんだ……」


彼女の過去に触れて、うわべだけしか見ていなかった自分の言葉を後悔した。自分の信じた道を否定されて、彼女は何を思っただろう。反抗もせずに、ただただまっすぐと見つめていたあの瞳を思い出す。

"住処をなくしたやつらの気持ちが分かるわけがない"

彼女が怒りを込めて言ったその中に、まさか彼女自身も含まれていたなんて、誰が思うだろうか。


「しずり様は本当にお強い方です。故郷を無くして、自分もお辛いでしょうに」
「…ねえ、事件って……、あの子にいったい何があったの?」
「……それは、私から申し上げることではございません。そう簡単に踏み入っていい話ではないでしょうから。…ですが、あなた様にならいつか打ち明けてくださるような、そんな気が致します」


柔らかく微笑みながら話す彼に、霙はぐっと押し黙る。確かに、他人がそう気安く聞いていい話ではないのかもしれない。秘密にしておきたいことの1つや2つ、誰にだってあるだろう。――でも、もっと彼女のことを知りたい、と思う自分がいるのも確かだった。

いつか打ち明けてくれるだなんて、彼は何を思ってそう言ったのだろうか。……自分は彼女に、嫌われているというのに。


「……じい、いたなら声ぐらい掛けろよ。つーか、何で忍までいるんだ」
「ほっほ、お嬢様のようすが気になるとのことでしたので、ご一緒に連れて参りました」
「…っいや、気になるっていうか! 別に…理由聞きたかっただけだし」
「……理由? 何のことだ?」
「ううん、何でもないよ。こっちの話」


ようやく、こちらのようすに気づいたらしい彼女が不満気な面持ちで向かってくる。彼らの食事もちょうど終えたらしく、手元の食料は空になっていた。

からかうように話す彼に、ついムキになって弁解してしまう。本当のことではあったが、知られるのは何となく、嫌で。不思議そうに顔を傾ける彼女にはニコッと作った笑みを見せて、その気持ちを誤魔化した。


「…じゃ、用も済んだし俺はこの辺で」
「何だ、もう行くのか? 朝飯くらい食っていけばいいだろ」
「……え? や、でも……お嬢様、嫌でしょ。俺と、一緒にいるの」
「まあ…、お前のことは気に食わねえけど、ちゃんと"仕事は"出来るみてーだしな。というか、あたしもそこまで鬼じゃねーし…飯くらい一緒に食ったっていいだろ? それに、飯は人数多い方がうまいしな」


仕事は、と強調する彼女からのまさかの誘いに、霙は驚きを隠せないでいた。…彼女が分からない。虫酸が走るとまで言っていたのに、助けたり…食事にも誘ったりして。

それでも、ほんのりと笑顔を見せる彼女の姿に気持ちが温かくなったのは本当で。


「……あり、がとう…」


彼女の言葉が、素直に嬉しい。
……誰かと囲む食事なんて、いつぶりだろうか。

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