初めての恋はレモンのお味(3/5)


「はあ…、だっせ……」

次の日の朝。
ベッドに寝転ぶ霙の瞼は、薄赤く色づいていた。

あの後、今まで溜め込んでいた気持ちが止まらなくて、散々泣き続けてしまったのだ。ポンポンと赤子をあやすように背中を撫でてくれる彼女の手が心地よくて、ずっと泣いていた。あんな、自分よりも年下の女の子の前で、ずっと。

でも、彼女は子どものように涙を流す自分を見ても、笑うことはなく泣き止むまで傍にいてくれて。その温もりが、とても嬉しかった。


「……あ、お嬢様…」


目を数回擦ってベッドから起き上がり、窓の外にふと目を向けると。ちょうどそこからは、中庭の噴水が見えた。何気なく近づいてみれば、そこには噴水に腰を掛けて食事をする彼女がいて。その姿を見るだけで、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。


「ん…? 誰、あの子…」


しばらくその姿を眺めていると、見知らぬ少年が彼女の隣に座る。友達、だろうか。彼女から食べ物を分けてもらったようで、彼もその隣で食事をし始めた。

よく笑う彼と、それに微笑み返す彼女。自分の知らない、彼女と親しい存在にモヤリとわだかまりのようなものが生まれる。言い知れないその気持ちを抱えながら、二人の様子を窺っていると。


「……は?」


あろうことか、彼は彼女にキスをした。



◆◇◆



「……おい、じい。何かあいつの様子、おかしくねーか?」
「そうでございますね。挙動不審、といいましょうか」
「…こんなあからさまに避けられると、さすがに腹立つな」


しずりが今朝、リビングに戻ったときのこと。そこにはソファに腰を掛ける霙がいて。挨拶でもしようかと近づいた彼女だったが、彼はその姿を見るとすぐさま立ち上がり、リビングからそそくさと出ていってしまったのだ。

トイレにでも行きたかったのだろうか、とその時はあまり気に止めていなかったが、彼の不審な動きはそれだけではなかった。

洗面所で鉢会えば流れるようにその場をあとにし、廊下で声を掛ければ「出掛けてくる!」と言って颯爽と姿を消す始末。

……明らかに、自分を避けている。


「……ぜってー捕まえてやる」
「ほっほ。お嬢様、その意気です」
「じい、お前も手伝え! あいつ取っ捕まえて、どういうつもりなのか全部吐かせるぞ」


理由もなく避けられるのは癪に触る。
それが、彼女の闘志に火をつけた。

彼女の隣で小さく拳を握り応援するじいの耳に、彼女はとある作戦を囁く。それに了承する彼の返事を聞くと、しずりは腰に手を当て満足げにニヤリと笑った。……これまでにないほどの、悪どい笑みで。



――その日の午後。
じいは霙の部屋を訪れていた。


「霙様、いらっしゃいますか?」
「…い、いるけど」
「アップルパイを作りましたので、ご一緒にどうかと思いまして」
「……お嬢様、は…」
「お嬢様は出掛けておられます」


ドアをノックし、話しかけること数分。じいの言葉を聞き、彼は恐る恐る扉を開ける。見た限り、彼女がいないというのは本当のようだった。彼一人しかいない光景に、霙はホッと胸を撫で下ろす。

安堵の面持ちで身体を覗かせた彼に、じいはにこにこと微笑んだ。



――辿り着いた、ダイニング。
長いテーブルの上に置かれた、お店顔負けのアップルパイに、霙は目をキラキラと輝かせる。


「……うっわ、すげー! これ、じいさんが作ったの!?」
「ええ、そうでございますよ。甘いものはお好きですか?」
「うん、超好き!! はあ〜、うまそ! 食べていい!?」
「はい、お好きなだけどうぞ」


ガタリと椅子を引いて少年のように喜ぶ霙に、じいは笑いながらアップルパイを切り分ける。焼き上がったばかりのそれからは湯気が立ち上ぼり、芳醇なりんごの香りを漂わせていた。

扇状に切られたアップルパイとフォークを霙の目の前に差し出せば。彼は嬉しそうにフォークを手に取り、意気揚々とアップルパイにそれを突き刺した。一口分の大きさに切り離すと、パリパリの生地がはらりと皿の上に舞い落ちる。中に入る砂糖で煮詰められたりんごは、美味しそうな艶やかな色を纏っており、彼の食欲をそそるには充分だった。


「いっただーきまーす!」


声高々にパクリとそれを頬張る。口の中にはしっかりとした甘さが広がり、ごろりと入ったりんごは食べ応えがあって噛む度に美味しさを感じた。そして、もう一口食べようとしたとき――ゴン、と鈍い音が机を揺らす。フォークを持ったまま机に突っ伏す霙に、じいは少しだけ驚いているようだった。


「おやおや、こんなに上手くいくとは……さすがお嬢様でございます」


すやすやと眠りにつく彼の脇に腕を通し、じいは目的の場所へと彼を引きずっていくのだった。



――壁に背を預けた彼が、重い瞼を開けると。
目の前には得意気に笑う、彼女の姿があった。


「…お、じょうさま!?」
「よお、あたしの眠り粉はよく効くだろ?」


イタズラが成功して喜ぶような……そんな珍しく子どもっぽい表情を見せる彼女を少し可愛いと思ってしまい、ジト目になりながらぐっと黙りこむ。

自分の両手は、彼女の小さな手で握られていた。どうやら拘束しているつもりらしい。


「……てか、ここどこ…」
「あたしの部屋だ。じいに扉は開かないようにしてもらったし、もう逃げ場はないぞ。大人しく、あたしを避けてた理由を吐くんだな」


彼女の、部屋。
言われて見渡せば、女の子の部屋にしては多少スッキリしすぎているようにも見えるが、中には彼女と同じ、花の香りのようないい匂いが漂っていた。使われている色もシンプルで、見れば見るほどに彼女らしい部屋だと思う。……だが。


「……お嬢様は、密室で男と二人きりで…何とも思わないの」
「あ? もっと大きな声、で……っ!?」


ぽそりと呟く声に聞き返そうとする彼女の手を軽く退かし、逆に掴み返して引き寄せる。バランスを崩した彼女を、自分の足に抱きかかえて――そして、そのまま彼女の唇に、キスをした。

突然のことに目を見開く彼女の口から、苦し気な声が漏れる。頭を大きな手で押さえられ、顔を背けようにも動くことが出来なくて。息つく隙間もない程、何度も角度を変えて深くなるそれに、彼女の身体は空気を求めた。

押し退けようとする彼女の手に、ようやくその唇が離れていく。潤む瞳と交じりあう彼の目は、辛そうに揺らめいて。彼女は怒鳴ろうとした口を、開くことができなかった。


「……あの子とは、こういう関係?」
「…だれ、だよ……あの子って」
「朝、いたでしょ。お嬢様の隣にいた……男の子」


横に逸らされた彼の目を見て、口に手を当てた彼女は息をひとつ取り込み、今日のことを思い出す。

今朝は、中庭にいた……
それで、そのとき隣にいたのは確か――、


「……ああ。何を思ってそう言ってるのか知らねーけど、あいつとはそんなんじゃねーよ」
「…嘘。じゃあ、お嬢様は誰とでもそういうことするの?」
「……そういうこと?」
「見たよ、俺。あの子と、キスしてた」


その言葉に、しずりは眉をひそめる。
そんなことした覚えはない。しかし、一向に視線を合わせようとせずに口を閉じてしまった彼が、冗談で言っているようには見えなかった。

謎の食い違いに、彼女はしばらく考えを巡らせる。そして、あることが頭を過った。


「……お前それ、どこで見た」
「どこって……俺の部屋、だけど…」
「……あー…」


どこか納得したようすの彼女の声。
それにそろりと目を戻すと、今度は彼女が目を逸らして、溜め息を吐いていた。


「あれは髪についたホコリ、取ってもらってただけだ」
「……へ?」
「角度的にそう見えたんだろ。あいつは他のやつと違って、人の姿で食べるのが好きみたいでな。よく一緒に飯食うんだ。……ったく、そんなことのためにあたしは1日を無駄にしたのかよ……バカみてえ」


霙の部屋は屋敷の2階に位置し、中庭を見るときは見下ろす形になる。その状態で誰かが彼女の影に重なれば、そう見えてもおかしくはないだろう。

彼女がげんなりと話すその言葉を聞いて、彼の頬に徐々に赤が差す。離れかけていた彼女の身体をもう一度抱きすくめ、その表情を見られないように顔を埋めた。それに彼女は怒っていたが、今はそれすら耳に入らない。

……勘違いしていた恥ずかしさよりも、彼女が自分のために動いてくれていたことが、何よりも嬉しくてたまらなかった。


「……でも、多分あの子はそう思ってないよ」
「は? 何が」


彼はそれに返事をすることはなく、代わりに抱き締める腕に力を込める。

――彼女に笑顔を向けるあの子は、自分と同じ目をしていた。



◆◇◆



彼女が屋敷の中を駆け回っていた頃。
森の奥、小さな影がその中を通り抜けていく。

鳥のような姿をした青いそれは、木々の間を潜り抜け、ある少女の手にとまる。彼女がその頭らしき部分をひと撫ですると、それは散々になり彼女の長いカーディガンへと吸収された。


「…ありがとう、お魚ちゃん! もう少しで、会えるんだね…!」


三つ編みにした髪はボサボサになり、木の枝で全身を傷だらけにした少女だったが、その顔は嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。


「……うん、頑張るよ! だって、小夜……しずりちゃんに会いたいから!」

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