初めての恋はレモンのお味(4/5)


薄く明かりが灯る部屋の中。
二人の男女の吐息が混じり合う。


「霙くん、久しぶりだね。全然連絡取れないから、寂しかったんだよ? …今日も、来てくれないって思ってた」
「……ごめんね。最近、忙しくってさ」


ベッドの上で霙の首に腕を絡ませる彼女は、甘く撫でるような声で話しかける。それに応えるように軽くキスをして、髪を撫でながら彼はにこりと微笑んだ。その彼の顔に満足したのか、彼女は嬉しそうに頬を赤らめる。


「会えない間も、アヤメのこと好きでいてくれた?」
「…うん、もちろん。俺、アヤメちゃんのことだーい好き」


可愛らしく首を傾けて問いかける彼女を、彼は愛でるような瞳で見つめて、優しく抱き締める。

しかし、そんな彼の頭の中を占めるのは、目の前の彼女ではなく――自分に瞳を向ける、しずりの姿だった。

微笑んだ顔、眉を寄せて怒る顔、目を伏せて照れた顔――そして、涙を伝わせ泣いた顔。綺麗な髪やすらりと伸びた足、小さな手のひらさえ。彼女のどれもが、記憶の中に鮮明に映り込む。

誰かと過ごせば、彼女を見るたびに、思い出すたびに苦しくなる心を、忘れられると思っていた。気のせいだと、思いたかった。……それなのに。


「…んっ……、あッ……」


過る映像を振りほどいて、彼女の身体に舌を這わせる。柔らかな膨らみに手を滑らせて包み込むように動かすと、彼女から艶めいた声があがった。

……それすらも、あの少女の声に聞こえて。
きっと、彼女なら。細い腕で口を抑えて、溢れそうになる声を我慢して。涙を滲ませた苦悩の表情で、自分の目を見つめるのだ。

自然と上がる体温に、瞼を強く閉じて歯を食い縛る。ベッド残るもう片方の手のひらが、シーツに深く皺を作った。

「……っ、……俺…、」
「えっ? 何か、言った?」
「……ううん、何でも…ないよ」


思わず溢れた言葉を隠すように、彼は目を細めて笑顔を作った。

――俺、お嬢様のこと…エロい目で見てる。
乱して、啼かせて、俺のことしか考えられなくさせて。あの甘くて耳に残る声をもっと聞きたいと、そう思っている自分がいる。見つめる瞳も、優しい声も、気持ちも……心も身体も全て、俺だけに向けてほしい。

胸にどくりと沸き立つ苦しさを紛らわせるかのように、彼は荒々しく唇を合わせた。急に激しさを増す彼の愛撫に、彼女の声も一際高くなる。

……しかし、視線の合わない彼の目を見て、彼女は訝しげに眉を下げた。


「……っ、霙くん…」
「…ん?」
「今、誰のこと…考えてるの?」


自分の腕に埋まる彼女の言葉に、目を見開く。心を見透かすようなそれに、一瞬だけ動きを止めて。ゆっくりと身体を起こした彼は、変わらぬ笑顔で笑いかける。


「……はは、何言ってんの。もちろん、アヤメちゃんに…決まってるでしょ?」


それに安心したように微笑み返す彼女を再び抱き締めて、消えない彼女に思いを馳せながら。
二人は、深い夜を過ごしていった。

……これはきっと、認めてはいけない気持ちだ。



◆◇◆



屋敷の中に敷かれた長い廊下にて。
彼は昨日の熱を僅かに残したまま、その上を憂鬱そうに歩いていく。

今日もまた、彼女は出掛けているらしい。


「……はあ、忘れないと…」


今日ばかりは、彼女がいなくてよかったと胸を撫で下ろす。こんな気持ちを抱えた状態で彼女に会ってしまったら、きっとまた自分は……彼女を傷つけてしまう。

なかなか消えてくれない心持ちに溜め息を吐きながら、当てもなく廊下の上を歩き続ける。すると、ある部屋から微かに音が聞こえた。目を向けた先にあったのは、綺麗な彫刻に彩られた1枚の扉。――彼女の部屋だ。

先日訪れたその部屋に、霙の心臓がとくりと揺れる。恐る恐る近づくと、また小さな音が部屋の中で鳴った。庭のポケモンたちでもいるのだろうか……非常に、気になる。

よくないことだと思いつつも、確かめるだけだ、と自分に言い聞かせて。丸いドアノブに手を掛けて、静かにそこを押し開ける。

その視界の端に見えたのは。


「……何だ、じい…どうした」
「……お嬢様、出掛けてたんじゃ…」
「げ、お前かよ」


いるはずのない彼女の姿に、彼の身体がドキリと強張る。布団を山なりにして背中を向けていた彼女は、動きづらそうに身体を転がしながら振り向いて。そして、バチリと繋がる視線に、惜し気もなく嫌そうな顔をした。


「なに、具合…悪いの……?」
「別に…、ただの風邪だ」


そう言いながら、辛そうに咳き込む彼女に慌てて駆け寄る。彼女の前に膝をついてその頭を撫でると、彼女は自分を落ち着かせるように、緩やかに息を吐いた。


「…何で、言ってくれなかったの」
「……言ったら、お前はどうせ…余計な気を使うだろ」


……まただ。
青ざめて、見るからに辛そうな顔をしているのに……どうして彼女は、自分よりも一番に周りのことを気に掛けるのだろう。

睫毛を伏せて細い声でそう告げる彼女に、先程までの情欲はなくなって。代わりに込み上げたのは――、抑えきれようのない愛しさだった。


「……そう言えば、お前……飴、食べなくなったんだな」
「…え?」


ゆるりと目を開いた彼女に言われて、初めて気づいた。前は、無くなればすぐに食べていたのに。

霙はそっと口元に指を乗せて、いつの間にか飴に手を伸ばさなくなっていた自分に戸惑いをみせる。無意識に変わっていた、心境の変化。飴を舐めていると、不安な気持ちが和らぐ気がして。ひとりでいるときも、口に広がる甘さが心の隙間を埋めて、寂しさを紛らわせてくれるようで。

……もしかしたら。


「……昔のこと、考えなくなったから…、かもしれない」
「……そうか。それは、よかったな」


彼女に話して、受け止めてくれて……その言葉に救われて。いつしか周りを怖れる気持ちは、薄れていた。自分のことのように嬉しそうな顔で微笑む彼女に、胸を締められるような苦しさを感じる。たった一言。ただ、それだけで。

――ああ、これはもう。


「……俺、しずりのこと…、」


ベッドに乗せた腕に熱を持つ顔を隠して、自分にしか聞こえないような掠れた声で、零れた想いを口にする。

今までの子とは、全く違うタイプの女の子。ちっとも笑顔を見せないし、口だって悪い。胸も身長も全然なければ、強情ですぐに怒りだす。

――でも、今まで出会った誰よりも優しかった。

日に日に、嘘では誤魔化しようがない程に、彼女への想いが強くなる。溢れ出す募った想いを、もう隠すことなんて出来なかった。


陽だまりが窓から差し込む部屋の中。
俺は小さな彼女に恋をした。


「…ねえ、俺のこと名前で呼んでよ」
「……なんで」
「だって、そっちの方が仲良くやってけそうでしょ? だから、俺もしずりって呼びたい。だめ?」
「……知るか。勝手にすればいいだろ」

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