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倉庫を照らす小さなランプを囲み、四つの影が揺らめいていた。
びっしょりと掻いた汗をエプロンで拭う司厨員の男は、兵太に向かい深々と頭を下げて言った。
「それにしても助かりましたよぉ。兵太さん……ですっけ? ありがとうございました」
「ピッカッチュウ!」
「ははは、このぐらいお安い御用さ。昴殿もありがとう。素晴らしい電磁波であった」
「ピッカピッカチュー!」
ぴょんぴょんと跳ねる司厨員の手持ちポケモンは嬉しそうに両手を上げ、ピースサインを作っている。
最初はびくびくしながら様子を見ていた絆優も、今では小声ながら、良かったですね、と声を掛けている。
「それにしても許せません、ロケット団の奴等……! 皆やお客さん達を、眠らせちゃうなんて!」
両手で拳をつくり、ぷんぷんと怒る青年。リョウと名乗る彼の話に、兵太は顎に手を掛け、身を乗り出して尋ねた。
「ふむ。その話なんだが……、もっと詳しく聞かせてくれねぇか。リョウさん、昴殿」
「はい! もちろんです!」
「ピッピカチュウ!」
リョウとその相棒、ピカチュウの昴は共に、このクルーズ船の司厨員である。
司厨員の勤めも様々であるが、彼等の仕事場は主にこの船のキッチン。いわば船内の調理員であった。
そんな彼が異変に気付き、そして先刻の二人に追われるまでの時間は短かった。
それはディナーの準備をひと通り終え、片付けを済ましていた時だった。
共に流しに立っていた同僚が一人、ぱたりと寝こけてしまったのである。
久しぶりの出港で疲れたのか、いやいやこんなところで寝なくても、と驚くやら心配するやらであたふたするリョウ。すると今度は司厨長までもが洗いかけの包丁を手にしたまま、こくりこくりと居眠りをし始めたのである。
慌てて包丁と司厨長を安全な場所に移動させたのもつかの間、どこかで皿が割れる音がした。
本当の地獄は、ここから始まった。
まず、人が次々と眠り始める。そして転倒。ここは調理場。広くはない。包丁、割れた大皿、まだ熱い巨大な鍋、ガスコンロ、固い作業台、他にも危険なものは沢山ある。
仲間が倒れていく中、リョウは必死に周囲の人が怪我をしない様、支えたり、危険な物から遠ざけようと努めた。けれど手の届かない所で、誰かが大怪我をしているかも知れない。そう思い泣きそうになりながらも、リョウは必死に仲間を守ろうとした。
そんな中である。あの黒い制服の男が二人、彼の元へ現れたのは。
「全く、本当に何なんですかね、あいつら!?」
恐怖と怒りが治まらない様子で、未だに手を握りしめているリョウ。
どうやら本当に皿洗いの直後に追われたのであろう。腕まくりをした袖は未だ少し濡れていた。
彼の話によると、眠った司厨員は皆、船内に居るパーティ主催のスタッフから配られた水を飲んでいたのだという。
此度の船旅に乗船しているスタッフは、どうやら船員スタッフとパーティスタッフの二組に分かれているようだ。
スタッフの飲み水ぐらい船内に常備しているが、せっかくならと司厨員は皆、その水を飲んだのだ。
その結末が、これである。
リョウは幸いその水を飲まなかったので、こうして眠らずに済んでいるという。
「そうかそうか。大変な目に遭ってるな……。しかしこりゃあ、一大事だぞ」
兵太がううん、と唸る。
そんな兵太の言葉に、絆優が心配そうに尋ねる。
「一大事、ですか……?」
「ああ。俺が見た限りじゃあ、あの黒い制服はロケット団のもんだ」
「ロケット団……? ですか?」
絆優は首を傾げる。あまり聞いたことの無い名前だった。
ちら、とリョウや昴の方へ目をやったが、彼等も同じく首を傾げていた。
「ロケット団ってのは団体名だよ。悪い人間の集団、って覚えときゃ充分だ。奴等の服装は大体決まっていてな、さっきの連中も来ていたが、こう、黒っぽい上下の服に、赤いRの文字で……」
兵太が非常に簡潔な説明をし始めた。
その時である。
「っはーーーーい! たぁっだいまぁ〜〜〜〜!」
「もどったよー!」
ばーん!と勢い良く、倉庫の扉が開けられたのは。