五月、オセロみたいだと君は言う


ボウルにこぼさないようにミックスは二百グラム計ってそっと入れる。牛乳は百五十cc、卵は一個。殻が入っていないかよく確認する。
パッケージの裏に書かれたレシピを見ながら、泡立て機でぐるぐるとボウルの中身を撹拌する。キッチンの小窓からはすりガラス越しに乱反射した薄い光が差し込んでいる。

普段、私はあまり料理をしない。
仕事から帰ってくると大体二十一時前になってしまうし、次の日も早いからご飯を炊いている余裕もない。何でも器用にこなす秋紀くんは当然のことながら自炊は余裕でできるものの、私以上に会社での拘束時間が長い。朝は七時前に家を出て、夜は二十二時を回ってから帰ってくる。都心にあるオフィスからは約一時間。通勤時間も疲労を蓄積させる。

結局のところ二人ともヘロヘロになって帰ってきて、普段は適当に惣菜で済ませてしまうのが関の山、といったところである。
休日は主に秋紀くんが料理担当であったが、今朝は違う。
バレンタインデーの一件があってから、私は時間を見つけては“練習”に勤しむことにした。大型連休初日の今日はホットケーキを作るべく早朝からキッチンで格闘している。混ぜて焼くだけだろ——脳内で秋紀くんがツッコミを入れてくるのを無視して、火にかけたフライパンに薄くサラダ油を引く。

おたまで掬った生地を慎重に注ぐ。大きさってこれくらいでいいのかな。作り方には直径何センチくらいとか書いてないけど……。そうしている間にじゅ、と小気味のいい音を立てて、フライパンの上で生地は少し歪な楕円形に広がった。

キッチンにはじわじわと香ばしくて甘い匂いが漂ってくる。
……これ、いつひっくり返すの?
フライ返しで持ち上げられるの?裏を覗き込めばいい? 今? まだ早いかな?

「おー、やってんね」

表面にふつふつと気泡で穴の開き始めた生地と睨めっこしていると、パタパタとスリッパの擦れる足音がして、入口からひょっこり秋紀くんが顔を出した。四方八方に寝癖が跳ねていて、欠伸を噛み殺している。今起きたばかりなのだろう。

「おはよ。……ごめん、うるさかった?」
「いや? いい匂いしてきて起きた」

いい感じじゃん。秋紀くんは私のそばにやってきてフライパンを覗き込んだ。褒められると何だかこそばゆい。焼いているだけなのに。

「ねえ、パンケーキってどうやってひっくり返すの?」
助けを求めて私が彼を仰ぎ見ると、当の本人は不思議そうな顔をして、
「普通にフライ返しでこう……ひょいってやるだろ」
と至極当然のように答えた。

「あ! 出た! 秋紀くんの“普通”!」
「何だよ出た!って」
「秋紀くん“普通に”ってすぐ言うけど全然普通じゃないからね!?」
「急にキレんなって」
「こんなデカいのフライ返しでひっくり返せないし! 炒め物とかは味薄かったら後から足せるけどスイーツとかお菓子は調整効かないから難しいの!不可逆なの!」
「……そもそもホットケーキってスイーツか?」
「え、違うの? 甘いじゃん!」
「でもしょっぱいやつもあるだろ? エッグベネディクトとか」
「それ言い出したらクレープも同じ理論じゃない?」
「クレープはスイーツだろ」
「判定基準どうなってるの!?」

やいのやいのとホットケーキはスイーツか否かという議論に夢中になっているうちにホットケーキの片面を黒く焦がしてしまい(手伝ってもらいなんとかひっくり返した)今度は慌ててフライパンから引き上げるともう片面はほとんど焼き目のついていない白いホットケーキが出来上がってしまった。

私はもっと上手く焼けた方の皿をと彼に差し出したが、
「いやいいよ。……なんか、オセロみたいな色で面白いな」
と秋紀くんは一欠片のバターと共にそれを口に運んで、嫌な顔ひとつせず頬張った。




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