ポアロの従業員、榎本梓の言葉に名前は微笑んで頷いた。
「じゃあ、其れをお願いします」
「はい、かしこまりました」
席に着きノートPCをPCバッグから取り出した。本業をガンガン進めたいところだが、さすがに警察庁での仕事は持ち出せない為、いつも通りに新しくテキストファイルを開き、プロットのテキストファイルとウィンドウを並べて、時折考え込みながらストーリーを文章にして行く。今日は客数の割に若干騒がしいが、気にする程でもないだろう。
「はい、ハイレンジのホットです。ミルクとお砂糖はどうなさいますか?」
「ありがとう。ハイレンジならストレートが良いわ。んん、美味しい……見た目も香りも味も、癒されるわね」
赤みがかったオレンジ色の美しい水色に、爽やかなオレンジの花の様な香り。この紅茶は飲みやすいし、夏にアイスティーでも美味しいから名前の好みに合う。尤も、名前は紅茶全般が好きなのだけれど。
「やっぱり名前さんって詳しいですよね」
「好きだもの。それなりには、ね」
爽やかな香りが鼻に抜け、久々の非番の日に良い気分で執筆を続ける名前の耳に悲鳴が聞こえた。
店内だ!ハッと、辺りを見渡す。四人の男女の居るテーブル席からの様だ。一人は床に転がりもがき苦しんでいる。
誰も動けない様を見て名前は歩み寄り、倒れた男性の周りを確認する。
ーー甘酸っぱい、アンズの様なオレンジの様な匂い!!
「この匂いは……!」
「名前さん!救急車を……」
「梓さん、警察に事件だと連絡をお願いします。救急車には、私がします。そして、店から誰も出してはなりません!皆さんはその場にいて下さい!オーナー!水の入ったピッチャーとゴミ袋を!この男性の名前は?」
「き、京谷浩二よ」
「京谷さん!聞こえますか?さあ、水を飲んで……飲んだら全部吐いてもらいますよ……苦しいでしょうが、頑張って。」
水を飲ませながら、救急へ連絡した。
「救急車をお願いします。米花町の喫茶店ポアロです。はい、三十代の男性、名前は京谷浩二さん。身長170程、痩せ型、シアン化カリウム中毒だと思われます。今、水を飲ませて、今から吐かせるところです。ええ、分かりました。はい、警察にも連絡をしてあります。」
電話を切った名前は京谷浩二へ向き直り、手を口へ突っ込んでゴミ袋へ吐かせる。其れを繰り返す事八分程で、警察が到着。送れて二分、救急車が到着し、京谷浩二は搬送された。
警察による事情聴取が行われ、それを一緒に聞く羽目になった名前は被害者の所持品、状況証拠、同席していた被害者の恋人と友人達の話から推理し、現場に現れた刑事達に上手く推理させた雰囲気にして、犯人を特定させた。
手当ての甲斐なく、被害者男性は搬送先の病院で亡くなった為、殺人未遂ではなく殺人の容疑で、被害者男性の恋人女性に横恋慕していた女友達が任意同行されて行った。
この事件をきっかけに、名字名前は何故か事件解決の糸口を見つけてくれた小説家として、捜査第一課に知られる様になった。
意図しないところであったが、カモフラージュとして悪い事じゃあ無いとの判断で、続けろと言われた。
人の良い笑みを浮かべ、小説家であり事件解決のヒントを出す探偵として少しずつ知られていく。剣千夏と言う本名や公安の作業班であり、ゼロの指揮下にあると言う事実は隠し通す。しかし、ゼロの指揮下とは言え直属の上司は同じ警視庁公安部の作業班である風見裕也。一体どんな人物がゼロ内の上司なのかは知らされていない。尤も、その方が自分が何かヘマをしても何も引き出せない分、安全と言える。今後、必要があれば姿を見られるだろう。今は、自分の役目を演じるのみ。
***
昔取った杵柄、と言えば良いだろうか、名前はハッキング、クラッキングに関しては、一日の長がある。此処より未来だった時代にサイバー犯罪対策課に居た。そしてそう言う情報だって読み尽くす勢いで読んだ。やり方と隠蔽方法はちゃんと知っていた。情報収集としてあちこちのサーバーにバレない様に潜り込むのも、ちょっとずつ出来る様になって来ている。そういった練習中に、見つけたクラッキングによる事件が起きそうなモノ等は
その結果、知らないうちに幾人もの警官や一般人を助け、犯罪者を見えない糸で絡めて諦めさせ続けていた。
その地道な功績は当然、表沙汰にはならないが、上司には認められていたらしく、上司の上司であるゼロの人からも直接の指揮を受ける事を許された。顔合わせの為に、普段は自分と風見を含めて五人だけの仕事部屋ではなく、全く違う場所に呼び出された。
「風見さん、お疲れ様です。」
「ああ、お疲れ様。もうしばらく待て」
小さなシンクがある他は、窓も無い小さな会議室の様な部屋で風見と並んで座り、上司を待つ。
殆ど音も無く扉が開き入ってきた人物に千夏は、顔にも声にも出さなかったが驚いていた。その人物は警察大学校に同期入庁した降谷零だった。
「お久しぶりです、降谷さんとお呼びした方が?」
「久々だな、千夏。お前にそう言われると気味が悪い」
立ち上がりそう尋ねれば、降谷はちょっと笑って首を振った。
「お知り合い、でしたか」
驚いたらしい風見が二人を交互に見る。
「同期なんだよ、警察大学校の。お前程の奴がゼロに居ないのは驚きだがな」
「随分と買ってくれてるみたいね。ま、ご期待に沿える様にするわ」
降谷は連絡先を書いた紙を見せ、覚える様に言った。
「覚えたら、そこのシンクで燃やせ。火種は有るか?」
「ええ、マッチを持ってる……ん、覚えた」