宮野志保、其れが今の私の名前。
呼ばれてもピンと来ない。余り呼ばれたく無い名前。姉や両親には悪いが、ずいぶん塩対応をしていた。
両親が研究中は会社の一室に預けられていた。そして姉は学校に通っていた。たまの帰宅時には、付いて行きたくないと言う態度を隠さなかった。あまりに其れが続く為に、幹部社員が引っ張り出された時に、ようやく気付いた事が有る。
自分自身はきっとモブの研究者の子だが、ココは頭脳は大人で身体は子供な探偵少年が主人公のサンデーと言う雑誌に連載していた連載漫画の、悪役の組織で有ると。
始めは全く気付かなくて、帰りたく無い一心で、幹部社員のコートの裾を握りしめていた。周りの大人が、ギョッとするのも気にせずに、図々しくも脚に抱き付いたりもした。
幸い、蹴られたりはしなかったし、帰らなくても良くはなった。テコでも動かないとばかりに、幹部にくっ付いていた為だ。其れが、訳がわからん、と言う顔をしたジンとの出会いだった。
何故かジンに懐いた(つもりは無いが、そうとしか見えない)未就学児として認識された私は、上からの命令でジンに連れ回されたりする様になる。
子供を一人放っておかれた、始めの部屋に有った申し訳程度の子供用の絵本やオモチャは全て、男の子用だった。だから私が車に興味を持っても変に思われなかったのは、有り難かった。
私は元々、レトロカー等が好きだった。そしてジンの愛車は何とあのポルシェ365だった。私は興奮して車に駆け寄った。
「わあ!ポルシェさんろくご!」
と思わず叫んでいた。
「ジンさんの、さんろくご?」
ハッとして振り返った私をジンは、ポンと助手席に放り込み運転席に座った。
「ああ、俺のだ。中々の車だろ」
そのドヤ顔すら妙に決まっていて、黒の組織だとか、コナンだとか、そう言うモノを一切合切忘れて、私は頷いた。
***
両親が他界後、在籍していた会社と言うか組織から、次世代の研究者が欲しいからと私はアメリカの大学へ行くように言われた。
前世の記憶なんて関係ない。この頭脳は飛び級が出来る程に明晰だった。両親のDNAの賜物だろう。だから、そう言われたのだと分かっている。
アメリカへ渡った時には当然の様に監視がついた。大人しくしておく方が良いだろうと判断した私は、今まで通りに勉学に集中していた。
唯一の趣味と言えるのは、空き時間に本を読む事だった。ただ、その対象は前世にも存在した文学だけと言う偏りが有った。その結果、相変わらずのレトロ趣味だと思われたらしい。
日本に戻って親の研究を引き継いだ。まあ、あの主人公君が飲まされた奴じゃあ無いだろう。アレは灰原哀になる誰かが、何処かで作っているのだろう。そう思って、私はシェリーと言うコードネームにも、宮野志保と呼ばれずに済むと言う事以外は思うところは無いままに、研究者として過ごしていた。ずっと閉じ込められている訳じゃあ無くって、相変わらずジンに連れられて出掛けては、彼らの仕事を何度も見たし、銃の扱いを教えられたり、慣れろと言われて殺しもさせられた。自分の受け持っている研究が終わっても、組織に消されないで居られる様に、と言うジンの遠回りな情だと分かっているから、私は拒否出来なかった。
***
監視も兼ねてジンやウォッカが側に居る事は多い。けれど、その他の幹部が監視につくことも有る。
何となく前世の記憶に有るのはジン、ウォッカ、ベルモットくらいで、後は覚えていない。けれど、他の幹部も当然居る。
十五歳の、ある日、監視役として現れたのはライと言うコードネームの男だった。黒いロングヘアにモスグリーンの鋭い目。極め付けは声だ。あの赤い彗星の声で話す男は姉の恋人だと言った。姉の声何て、半分くらい忘れてしまっている。人間は声から忘れていくのだ。ずっと会っていないのだから忘れて当然だった。
こんな声でモブな訳が無いと思った。もしかしたら、全然見てないから知らないだけで重要な役割何だろうか、と。
それからあと一人、気になる声の幹部と会った。スコッチと言う男。二人共ウィスキーだが、意味は有るのだろうか。
いくら考えても、情報がないなら答えも出る訳が無い。けれど、この二人の声を聞いて悪い人に思えない何て、元オタクの悲しい性だろうか。
ーーー比古清十郎にグリッドマン……懐かしい声だなあ。
基本的に声フェチだと自覚している。ジンの声もウォッカやベルモットの声も結構好きだし、ジンのあの低い声にはドキドキしてしまう。この三人に関しては最初から組織の人間だと分かっているから、声に関しては慣れて来てから、やっと意識出来た。
今は、大人しく研究を続けているが、ずっと、こんな時間が続くとは思っていない。完成した時に、せっかくジンが鍛えてくれた事が無駄に成らなければ良いけれど、未来の事なんて分からない。
だから、研究する薬品に関しては平行して、効果を打ち消す物を作っていた。両方を研究して行く内に変だなと思い出した。
恐らくは合っている。この薬品は工藤新一が江戸川コナンになってしまった時の毒薬だ。じゃあ、灰原哀は……自分なのだと言うのか。可能性としては有るだろうが、余り認めたくないと思っていた。
「はあ、疲れた」
一人だけの研究室で、デスクに突っ伏して誘われるままに微睡んだ。
***
夢を見た。前世の自分が成りたかった仕事に私が就いている夢だった。警察官、ずっと昔に憧れた夢。
あっさりと目が覚めてしまって、名残惜しいと思いつつ、誰かの気配を感じて部屋を見回した。夢を見ている時の目覚めが一番良いのだと聞いた事が有るが、夢によっては最悪だと思い知った。
「あら、何の用?」
そこに居たのはライだった。
「以前した話、覚えているだろう?」
遠慮なく煙草に火をつける男に溜め息を吐いて、灰皿をよこす。
「姉さんだけ連れて行って。私の事は放っておいて。」
「だが、シェリーはそれで良いのか?」
「良いって言ってるでしょう!さっさとしないと、貴方がNOCだってジンに言うわよ!」
何を考えているのか分からないが、ライは私を組織から連れ出そうと言う魂胆らしい。唯一の肉親となった姉に対して少しくらい情は有る。私が居なくなれば姉は絶対に殺されると分かり切っている。其れなのに煮え切らない男だ。
***
「嘘、ライがNOC?そんな……ジン、姉さんは無事なの?」
ライがNOCだと判明した後、疑いからシェリーの元へ行けば、真っ青な顔で縋り付いて姉を心配する様子に苛立ちが少し収まるのを感じた。
「今のところはな。だが俺のやり方は知っているだろう、シェリー」
そう言って口角を上げれば、ハッと息を飲んで震え出す。
「ジン、私も連れて行って……せめて、最後を見させて?」
擦れた声だが、二人きりの部屋ではよく聞こえた。
「ああ、構わねえぜ……。」