生存競争
#生存競争
私は、季節の変わり目になると気管支喘息の発作が出る。意味が分からないままにボロボロの|埃塗≪ほこりまみ≫れの家に案内されて、どうにかその旨を伝えたかったけれど、伝える間も無くクロウリーさんは去ってしまった。此処に泊まるのなら綺麗にしないと自分が辛い。直ぐに着ていたシャツを顔に巻いてマスク代わりにした上で、パンツとブラジャーだけを身につけて、その辺に落ちていたボロい何らかの生地を雑巾にして、窓全開でマットレスを叩いて埃を落としてから、寝床になる部屋を拭き上げた。汗だくでちょっと喉がヒュウっと鳴った。未だ、大丈夫。その最中にあの耳が燃えている猫が飛び込んで来たので、邪魔にならない様にゴーストと遊んで貰いなさいと、ゴースト達の方へ任せたりもしたが、一先ずは何とかなった。
其処までしてシャツを着直した時、クロウリーさんが夕食を持って来てくれた。空腹だった為、有り難く頂いた。

窓は開けっ放しでドアは閉めて…水シャワーを浴びて、下着とシャツを石鹸で洗って、落ちていた錆びた針金で窓際のはみ出た釘にくくり付けて干した。
埃は布からは中々落ちない。頑張って綺麗にしたマットレスに埃は残っているだろうし、|黴≪かび≫臭いし、ダニが居るのは分かっている。仕方なく、黒くて上等そうな服をマットレスに敷いて裸で寝た。長く伸ばした髪が、素肌に触れて体が震えた。
幽霊は正直言ってファンシー過ぎて怖くなかった。私が怖い心霊系はジャパニーズホラーである。海外のビックリホラーは驚くだけで心霊系としては、あんまり怖くは無い。

肌寒さで目を覚ませば、未だ夜が明けたばかりだった。昨日洗った衣類に手を伸ばして乾き具合を確かめた。もうちょっとかなと、裸のままでバスルームでクロウリーさんに渡されていたパンをそのまま囓って、渡された水差しに口を付けないように水を喉に流し込んだ。耳が燃えているブルーの被毛を持つ猫みたいな生き物ーーグリムと言うらしいーーが、ツナツナ煩いので昨晩貰っていた食材からツナ缶を開けて渡しておけば静かになった。贅沢者め、ツナ缶は結構高いんだ。

静かになって考えた。起きたら帰れるって言うか、夢だろうって思ってた。其れなのに、帰れないし目も覚めない。意味が分からなくて、裸で黒い上等そうな服を被って部屋に立ち尽くした。何だか無性に叫びたかったけれど、その気力も時間も勿体無い様な気がして、未だほんの少しだけ濡れているパンツとブラジャーを身に着けて半ばヤケクソでキッチンの掃除を始めた。
帰れないのなら、一枚ずつしか無い衣類を無駄に汚せない。タオルなら三枚有るからシャワーを浴びれば良い。欲を言えば全体的にあと一枚ずつ欲しいのだが、闇の鏡が私の魂を呼び寄せた責任が有るからと当面の宿は学園長のクロウリーさんが無料で提供すると昨日言っていた。けれど衣食は自分で支払って貰わねばならないとも。
まあ当然だろう。働かざる者食うべからずだ。学内整備と言った雑用をしたら衣食は保障されるのなら喜んでやるさ……私が此処を掃除したのも見た上での処遇だろうから。頑張って待遇改善してもらえたらシャツやスラックスを希望してみよう。出来たら少しでも給金を貰えたら有り難いんだけど……ああ、そうだ雇用契約書を貰いたい。ちゃんと書類にされた方が気を付けるべき事も分かり易いし。
しかし、二人一組の『雑用係』か……掃除が主な仕事だろうけど、掃除って必要に駆られてやってるだけで好きじゃないんだけどな。でも、そうする事で滞在許可が貰えるんなら、頑張ろう。そうすれば過ごす上で知っておくべき一般常識の習得から帰る為の情報収集として、図書館も仕事終わりに使えるって言うんだから。
でもな、図書館でクロウリーさんが地図や本を調べている時に見せて貰ったけど、全部英語だった。私は日本語しか分からない。聞いて話すのは、幼児未満レベルでしか出来ない。何故か話し言葉だけは通じる有り難くて不思議な状態だった。某十二の国の話で読んだ制度の様で不思議だ。魔法だろうけど。

やっと乾いたカッターシャツを着てスラックスを穿いて、キッチンに置いてあったスプーンの折れた|柄≪え≫を|簪≪かんざし≫の様にして髪を|纏≪まと≫めて身支度を寝室で整えていれば、カツカツと足音がした。
「おはようございます、二人とも。よく眠れましたか?」
クロウリーさんが今日の事を伝えに来てくれたらしい。
「ぐっすり眠れました。」
まあ疲れていたから。しっかり寝ちゃうに決まってた。
「異世界に飛ばされてきたというのに図太くて大変よろしい!」
グリムはベッドの底が抜けた事やゴーストの事を不満として訴えていたが、丸ごと無視されている。コレは面白い。ニッコリ笑ったクロウリーさんに言われて私も、ちょっと笑った。図太いと言われる事は|間々≪まま≫ある。自覚もある。
「さて、そんなわけで本日のお仕事についてお話しがあります。」
やっぱり話し方が学校の先生って感じがする。
未だ|大分≪だいぶん≫汚い談話室に移動して、話しを聞く事になった。

今日は学園内の正門から図書館までのメインストリートの清掃を任された。流石に魔法無しでの学園内全てを清掃するのは無理だろうという事で、こうなったらしい。そういう配慮は有り難い。ついでに、デッドストックだと言う学園指定の運動着をサイズが合う物が有れば、と渡してくれた。ちょっと黴臭いけど有り難く貰った。お昼に洗って干せば今夜からのパジャマ代わりと、明日以降の作業着代わりに使えるだろう。
そうそう、雇用契約書も守秘義務等も有るでしょうから書類にして貰えると助かります。とお願いした。数日の内に作ってくれる事になった。

その折、グリムを|確≪しっか≫り見張る様にと言われたので、グリムには騒ぎを起こしたら夕飯抜きだと|懇々≪こんこん≫と言い聞かせた。

それだと言うのに!
何と言うか、この世界では知っていて当たり前らしい事を、知らないのかと笑って来た新入生だと言うエースと名乗る男子に煽られて、グリムは喧嘩を始めようとした。
「グリム、働かざる者食うべからず。その上に問題を起こしたら明日も夕飯抜き!約束したよね?」
「ふん!そんなの知らねえんだゾ!」
そもそもエースに言われた事を|殆≪ほとん≫ど私は知っていた。けれど、内容の一部が何か違っていたから聞きながら掃除していたと言うのに。このグリムは名前の通りに不吉なのか、ただの馬鹿なのか……どっちだろうと、何としても止めないと私が責任を負わされてしまうじゃないか!
「グリム!やめて!」
メインストリートで魔法を使って喧嘩されたら、魔法も使えないし、格闘技の心得だって無い私に何が出来るって言うんだ。ただ、もうやめてと叫ぶしか出来ない。この飛び交う魔法に突っ込んだりしたら、私は無事じゃ済まないに決まってる。
ああ、野次馬まで|集≪たか≫って来た……この精神年齢五歳児連中を誰か止めてくれたりは、しないらしい。むしろ煽ってる。こう言うのって映画でよく見る光景だけど、別に今は経験はしたく無かった!経験するなら心置きなく煽れる立場じゃ無いと詰まらないってのに。
「グリム!お願い、もうやめて!学校の備品壊したら私達追い出されちゃうよ!」
私は追い出されたく無い!この働けば衣食住のある現状がどれだけ有り難いか、このモンスターには分からんのだろうさ。私は放り出されたら死ぬ自信しか無いんだ。今日の昼食は学食を使って良いと言う、その時を楽しみにしていたのに!その楽しみすら下手したら失うんだぞ。
「ああ、もう!こうなったら……」
一か|八≪ばち≫か!これ以上に何か起きる前にグリムを拘束して喧嘩を止めるしか、ない!
低い位置のグリムに思い切り飛び掛かった。
「痛ぁ!?」
痛いし熱いし臭い!コレは髪の毛が焼ける匂い……嘘だろ!髪が燃えてる!私はわざわざ髪を伸ばして手入れして大事にしていたタイプの人間だった。
「ああ、嘘……」
ヒリヒリと痛む右手をシニヨンに伸ばし簪代わりのスプーンの柄を引き抜こうと持てば、ジュ、と嫌な音がした。
「!!」
声にならなかった。右手の指が金属で焼けたのだと、理解は出来た。熱さより痛みで手を引いた。カラリと落ちた金属と辺りに舞い散る髪だったもの。
何処が火傷しているか何て分からなかった。タイルに散らばった髪だった物を、地面に|這≪は≫い|蹲≪つくば≫って呆然と見ていた。
「こらー!なんの騒ぎです!」
クロウリーさんの声だ。もう少し早く来て欲しかったかな。
「ああ、何をしているんです!やめなさい!女性の髪が大事なのは分かりますが、貴方の手も大事なものでしょう?ああ、酷い火傷だ……。」
何を言われているのか分からなくて、目の前に片膝をついて私の両手を掴むクロウリーさんを見上げた。
「髪を掻き集めても、もう戻りません……随分と伸ばしていた様ですから可哀想だとは思いますが、コレが現実です。前を見なければ。火傷は魔法薬で跡形も無く治して上げられますよ。ナイトレイブンカレッジには優秀な魔法薬の先生が居ますからね。」
ああ、私は無意識に髪だった物を掻き集めていたらしい。そうか、魔法でもどうにもならない事って有るんだ。クロウリーさんは氷を出して火傷した箇所を冷やしてくれていた。
「すみません……グリムを止められなくて。」
何だか申し訳なくて、小さく謝った。
「はあ……結局は身を|挺≪てい≫して止めたじゃありませんか。反省しているなら結構。ですが、当事者のお二人は罰則ですよ!」

結局、グリムとエースーーエース・トラッポラと言うフルネームらしいーーは逃げようとして愛の鞭で捕まり、放課後に窓拭き掃除百枚の刑となった。
私は一旦、保健室へ行く事になった。落ち着いて見れば、随分酷い有り様だった。コレはクロウリーさんが私を隠すようにして保健室へ連れて行く訳だ。服も焼け落ちてブラジャー丸見えは流石に恥ずかしい。
保健室に着いて直ぐに、洗面器に氷水を張って良く冷やす様に言って、クロウリーさんは魔法でシャツを出して被せて出て行ってしまった。直ぐに戻ると言っていたけれど、保健医さんは居ないのだろうか。

程なくして、クロウリーさんは背の高いーークロウリーさんだってとても背が高い。そして彼も同じくらいの身長に見える。ーー男性を連れて戻って来た。
「こちらはクルーウェル先生です。魔法薬学や錬金術の優秀な教師ですよ。」
この人がさっき言っていたナイトレイブンカレッジの魔法薬の優秀な先生なのだろう。
「デイヴィス・クルーウェルだ。ふむ、手持ちの魔法薬で何とかなるだろう。これを飲みなさい。」
凄くファッショニスタな人なのか、|拘≪こだわ≫りが強いのかはこの世界のファッションの流行も何も知らないから分からないが、兎に角、お洒落な人だと思った。受け取った薬は、色は綺麗なのに、匂いが酷かった。コレは味の方も期待してはならないだろう。
「っ!あ、ありがとうございます……。」
表現し辛い不味さだった……ハリポタの|魔法薬≪ポーション≫のイメージと違うのは見た目だけは美しいってところだろう。
「凄い味がしますね。」
「まあ、味はどうしても、どうにもならん。薬効は確かだ。今日は一日安静にしている様に。」
良いんだろうか、とクロウリーさんを見た。仕事は殆ど出来なかった。何なら髪の毛だった物をばら撒いただけだった。
「その手での清掃は今日は無理でしょう。言われた通り、安静にしている事です。そうですねえ……気になるでしょうから、放課後のグリムくんとトラッポラくんの罰則の監督をお願いします。ああ、昼食はここにお持ちしましょう。私、優しいので!」
何だかんだ言って、身元の知れない私をこうして置いてくれているだけで、結構優しいと思うけど、自分で言うのは何か違うと思った。まあ、置いているのは大人の事情ってモノだろうけど、私は助かっているから、それで良い……乗れるところまで乗っからせてもらおう。

「お邪魔しますよ。さあ昼食です!私が適当に見繕った物ですが問題無いでしょう?」
ベッドサイドテーブルにコトリと皿に盛られたサンドイッチと温かい紅茶が置かれた。それぞれ二つずつ有った。
「クロウリーさん?これは……。」
「サンドイッチです。ユウさんの世界にはサンドイッチも存在しないのですか?」
そう言いながら、椅子を持ってきてベッドの側に座ったクロウリーさんに、一緒に食べるのかとやっと気付いた。
「サンドイッチは知ってますけど、一緒に食べて下さるんだなと思いまして……。」
一人でも平気だけど、誰かとの食事は美味しさが増すのだと知っているから、嬉しかった。
「コホン……ええ、まあ、貴方のその髪の事も話し合わなければなりませんし。(あんなに伸ばしていたのに、流石に哀れだ。)」
「クロウリーさん、何か言いました?」
「いいえ、さあ手を洗って……あ、未だ手は使わない方が良いのかな?そうですね、私が食べさせて上げましょう!私、優しいので!」
何か小さく呟いている様に聞こえて聞き返すけれど、答えは無く……サンドイッチはクロウリーさんの素手に持ち上げられていた。
「うん?!え?わ、自分で食べられます!」
食べさせようと言うことらしい。あーんってマジかよ!?
「ちゃんと手は洗いましたよ。何を嫌がっているんです?失礼な人だ。」
違う、そうじゃないんです!流石に恥ずかしい!

結局は抵抗虚しく食べさせて貰ってしまった。火傷の範囲が案外広くて、腕を動かすと皮膚がピリつくのだ。

「まあ、髪は、そう言う事が得意な生徒にお願いして整えて貰いましょう。こう言う時は素人が下手に弄らない方が良いでしょう。」
私に食べさせながら、自分も器用にサンドイッチを食べているクロウリーさんが、そう言った。実際のところ話し合うつもりは無さそうだと思った。この人の中ではもう決まった事になっているのだろう。大人しく頷いておいた。
「クロウリーさん、もうお腹一杯です。」
お皿に盛り盛り乗っていたサンドイッチは未だ半分以上残っているが、今日は動いていないから、そんなに食べられない。クロウリーさんの方のサンドイッチはもう殆ど残っていない。男の人の胃って凄い。
「おや、そうですか?では残りは夕食にでもどうぞ……はい、保存魔法をかけておきましたよ!明日の朝までは保つでしょう。」
某魔女子さんのお祖母様が出来たと言うお弁当を腐らせないお|呪≪まじな≫いみたいなモノだろうか。有り難い。クロウリーさんはそのまま自分の分を食べ尽くすと、薬の入っているらしい瓶を取り出した。
「さあ、コレを飲んで。クルーウェル先生から預かって来ました。コレを飲んで安静にしていれば放課後には治るそうです。」
魔法薬ってハリポタみたいに、この世界でも凄いんだ。本当に不味い以外は完璧な薬だと思う。一気にあおったが、やはりすっっごく酷い味でした。
「うう、良薬口に苦しとはこの事か……!」
「面白い言い回しですねえ。さあ、口直しに紅茶を飲んで……おやすみ。」
促されて紅茶を飲んだ。すうっと意識が遠のいて、気が付いたら、イケメン、いや麗人が居た。
「あら、目が覚めた?アタシはヴィル・シェーンハイト。学園長からの依頼で、アンタのその髪をマトモに見れる様にしてあげる。」
真っ先に思ったのは、個性が強い!だった。身長もクルーウェルさんやクロウリーさんと同じくらいに高い。
「あ、よろしくお願いします。」
なんとかそう言えたけど、ちょっと話すのすらドキドキするくらいに綺麗な人だ。
「アンタ、大変だったわね。異世界って本当なの?」
髪を切る準備をしながらヴィルさんに話しかけられて、美容院かな?と思える余裕が生まれて来た。オーケー、根拠なんて要らない、自信を持て!じゃなきゃ話せない!
「まあ、私とって有り得ないと思える事を昨日から沢山、経験してしまったので、此処は異世界なんだろうなって思ってます。」
「ふうん、例えば?」
鋏や櫛を動かし、細かにカットしながら話しているって器用過ぎる人だ。
「先ずは知らない場所に棺に入って気を失っていた事、そして喋る変な猫、鏡が話し掛けて来た事、


この不思議な魔法の有る世界については新生児と変わらない知識量だった故に、日本で言う小学校であるエレメンタリースクールに入る前に家族から得ているべき知識から学ばなければ、勉強について行けないと支給された教科書をパラりと見て震えた。やっぱり英語で書いてある。


ユウはサバイバル能力に長けていた。其れは己れの知識欲からの雑学によるもので有り、幼い頃に爺様や婆様世代の親戚達から聞いていた、戦中戦後の生きる為のリアルな知恵も持っていたからでも有った。
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