▼ 23 ▼

「……何をやっている?」

唐突に体育館の扉が開く音がして、牛島君が足を踏み入れた。その姿に私の心臓は大きく跳ねる。上手く冷静を装わなければまた白布君に睨まれてしまうんだろうなあと思いながら私は必死に言葉を紡いだ。

「私がちょっと早く着きすぎちゃったみたいで、今白布君と二人だったところ」

脈打つ心臓を抑え込みながらそう言うと、牛島君はしばらく白布君を見つめた後「そうか」と言って靴紐を結び直した。

「あっちの練習も終了した。もうすぐ全員来る」

あっちとは恐らく牛島君や白布君、天童君達以外のメンバー、いわゆる二軍や三軍のことだろう。それまで白布君と牛島君と私の三人でこの空気をどう乗り切ればいいのかわからなかったので、彼らがすぐに第一体育館に到着したことで私は大きく息を吐いた。

「集まったな」

牛島君の声に全員が一列に並ぶ。こういうところが体育会系らしいと思う。

「体育祭までもう日はない。練習の時間を取ったのは今日だけだ。今日は走る順番の確認とバトンパスの練習をして後は本番で全力を出す。いいな」
「はい!」

成熟しつつある男の低い声の中で私の声はよく響いた。だけれども恥ずかしいなどと思っていてはそれこそ白布君に睨まれてしまうだろう。

私達は数メートル間隔を空け、リレーの順番に並び直した。窓の外はすっかり暗くなり、この体育館だけ煌々と強い照明に照らされている。普段とっくに帰宅している時間帯にこうしてバレー部の面々と体育館に立っているのは不思議な気がした。だが今はリレー、もといバトンパスに集中しなくてはならない。第八走者の伊波君が走り出すのを確認すると、私も構えた。そして伊波君が近付いたあたりから走り始め、牛島君を目指す。牛島君は何があっても私を待ってくれている。体の半分をこちらに向けて、私を真っ直ぐに見つめながら。

牛島君にバトンを差し出す寸前私はゴクリと唾を飲んだ。手は震えていないだろうか。顔は緩んでいないだろうか。差し出したバトンは無事牛島君の手に渡り、目的を達成した。牛島君はしばらくその場で立ち止まった後言う。

「もう一回だ」

バケツリレーのごとく流されるバトンを中継しながら私は早く終われ、と思った。この練習も体育祭も早く終わってしまえばいい。そうしたら、私は堂々と牛島君を好きでいられるのに。

バトンが第一走者まで渡ると、彼の掛け声と共にもう一度練習が始まった。勿論本番の距離を走ってなどいないから、バトンはすぐに私の手までやってくる。そして牛島君の手を目指す。

牛島君は私からバトンを受け取ると、またその場で数秒間考え込んだ。と思えば、静かな体育館に足音を響かせてこちらへやってきた。

「苗字」

物音一つしない体育館に牛島君の声が染み渡る。第一走者の寺島君が何だろうと身を乗り出しているのが見える。牛島君は今までで一番近い距離で私を見下ろしたまま口を開いた。

「お前が俺を好きだということは一度忘れろ」

その瞬間、心臓が止まったような気がした。別にバレー部のメンバーどころか今や学年の全員が私が牛島君を好きなことを知っている。だけど、だけれどもこんな場所で言わなくともいいのではないか。

そしてそれ以上に、牛島君にそう言わせている自分に情けなくなった。結局のところ私は恋愛にうつつを抜かして本気を出せていないのだ。少なくとも牛島君にはそう見えている。俯く私の横で、「今日は解散だ」と牛島君の声がした。少し戸惑いを含んだ下級生の返事を聞きながら、私は女子更衣室へ向かった。
prev | list | next