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事前に集合すると言っても、軽く順番の確認をしたら終わりだ。最後に牛島君の一声で気合を入れ直した後、私達はそれぞれの持ち場へと散り散りになった。その寸前。

「苗字」

牛島君の声が私を呼び止めた。もう集合場所には私と牛島君しか残っていない。走って行くみんなの背中を視界の隅に捉えながら、私はゆっくりと振り向いた。

「何? 牛島君」

すると牛島君は表情を緩め、小さく笑った、気がした。

「お前の緊張を取るのに俺が声を掛けたら逆効果なのではないかと思っていたが……どうやら必要なかったようだな」

それはつまり、牛島君は元々私の緊張を解そうとしてくれていて、今の私は牛島君から見ていいコンディションにあるということだろうか。何と言ったらいいのかわからず口ごもっていると、走り出した牛島君が私の横を通り抜けた。

「勝つぞ」
「うん!」

牛島君の背中を追って私も走り出す。夏の白い光に照らされて砂塵が舞い上がるのがやけに鮮明に映った。私はこの光景を一生忘れないんだろうな、と頭の奥でぼんやり思った。



『一年優勝、九組――。二年優勝、五組――。三年優勝、三組――。』

間延びしたアナウンス部の声を聞きながら私は小さく拍手を送った。残念ながら優勝は逃したが、私のクラスはまずまずの成績だろう。優勝旗の譲渡が終わると、次はまた校長と生徒会長による閉会式のスピーチだ。

あれから、あっという間の出来事だった。持ち場に着けばすぐにリレーが始まり、寺島君が走り出した。バレー部は一位ではなかったが十分勝ちを望める順位だ。そのまま白布君、神田君とバトンが渡る内に色々とあり――主に相手チームが転んだりバトンを落としたりだ――私は第九走者のマネージャー達の中で一番に走り出した。もう緊張も恋心も関係ない。ただ牛島君の信頼に応え、牛島君の顔に泥を塗らないために。最後のコーナーを曲がった後見えた牛島君の顔に私はどれほど安心したことだろう。

「苗字」

そう言った牛島君にバトンを渡し、後はただ牛島君がゴールテープを切るのを見ていた。終わった後隣に並んだ白布君は一度だけ私の方を見ると、何も言わずに退場門へと走った。ここまで全てが夢の世界のようだった。私は牛島君とリレーを走り、それを成功させたのだ。夢見心地で生徒席へと戻った私は、友人達に揉みくちゃにされた後ぼうっと残りの競技を眺めていた。牛島君がこの後に出る競技がなくてよかった。そして私はこの高校最後の体育祭を、終えようとしている。

普通ならばここでふらふらと家に帰り、私は牛島君の余韻に浸ることだろう。だが忘れもしない。「体育祭がうまく行ったら一緒に帰る」と牛島君が約束してくれたことを。今日の私は牛島君から見て合格点だっただろうか。

友人からの誘いも全て断り、試されるような気持ちで自席に座っているとふと教室のドアが開いた。

「苗字、いるか」

そんなことを聞かなくても、私が牛島君と下校するチャンスを捨てて帰るはずがないことくらい、そろそろ牛島君も気付いているだろう。私が立ち上がると、クラスから冷やかしのような声が上がった。
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