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夢見心地から醒めず集中できないのではないかという不安は杞憂に終わり、次の日からも私は受験勉強に励んだ。だが牛島君に直接会えばどんな顔をしていいのかわからないから、今が夏休みでよかったというところだろう。インターハイはもう終わったというのにバレー部は相変わらず厳しい練習を続けている。その中には牛島君達三年の姿がある。祭りの日の一言で残ることは知っていたものの、実際バレーに励む姿を目にするとほっとするのだった。


夏休みも終わりに近付くある日、私は書店に行くため例のショッピングモールへ行った。この辺りでは一番規模の大きな書店に受験生としては大助かりだ。お目当の本を数冊購入すると、そのままショッピングモールの中を歩いた。

早く帰って勉強を再開しなくてはならないとわかっている。しかしここは、私と牛島君が最初に訪れた場所だ。あの日と変わらない空気を吸い込むだけで幸せが満ちてくる。どうかほんの十分だけでも、息抜きとして私にショッピングモールを散歩することを許してほしい。

気の赴くままに歩いていたら足は自然とスポーツショップへ向かっていた。私は中に一歩も入らず、店員の不審な視線を受けながら外でひたすら待っていたあの店だ。
今回は私一人だが、入ってみたところでどうせ用はないので退散することにする。浮かれた気持ちでショッピングモール内を歩き回っていたが、何故かここに来て急に恥ずかしくなってきた。それは牛島君との思い出がより鮮明になってきたからだろうか。その牛島君と、今度は手も繋いだことを私は忘れてしまったのだろうか。

きっと赤くなっている頬を隠すように走りだそうとすると、唐突に後ろから声を掛けられた。

「あれ、名前ちゃん?」

見ると、スポーツショップの袋をぶら下げた天童君が店の出入り口から出てくるところだった。

「天童君……」
「何やってんのこんなところで。名前ちゃん文化部でしょ?」

痛い所を突かれ、私は言葉に詰まる。その様子を見て察したのか、天童君は「なるほどねー」と顔に笑みを浮かべたままそれ以上の言及はしてこなかった。助かったのかより恥ずかしい目に遭っているのかわからない。

「まあいいや。一緒に帰ろうよ」
「うん……」

天童君のおかげで私はこれ以上ショッピングモール巡りに無駄な時間を費やすことなく帰ることができる。私達は絶え間なく会話を交わしながら駅までの道を歩いた。牛島君とはすぐに会話が切れるし、沈黙も多いのだが、それは別に居心地の悪いものではない。しかし天童君のように会話の弾む男友達というのも新鮮だった。天童君を友達と言っていいのかわからないけれど、聞いたらきっと彼は笑って頷いてくれることだろう。

「あれ? 名前ちゃんこっちじゃないの?」

駅の改札を抜け、天童君は白鳥沢のある方を指差した。普段なら私もそちら側へ帰るのだが、今日はまた別の用がある。

「私この後予備校寄ってかなきゃ」
「そっかー、頑張ってね」

天童君達は目先の試合に集中しているだろうが、私達は受験生である。書店の袋を揺らしながらじゃあね、と別れようとすると天童君が唐突に口を開いた。

「大学、東京行くんだね」
「へ?」
「赤本、透けて見えてるよ」

天童君が指差した先を見ると、確かに書店の袋から私が買った赤本の大学名が透けて見えてしまっている。これで予備校など行ったら志望校を宣言しているようなものだ。

「ありがとう……」
「ううん。じゃーね」

本を裏側に入れ直しつつ、慌てて私は天童君の後ろ姿に手を振った。三年の春には決めていたことだった。私は高校を卒業したら、東京へ行く。
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