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あれから私はそのまま登校したが、牛島君はランニングを続けてから学校へ行くらしい。もう大会が終わったのだから部活はないのだろう。噂に聞いたところでは牛島君は世界ユースに選ばれたそうだ。つまり部活がなくなってもバレーは続ける。これはある意味私達にとって都合のいいことだった。私は受験に集中したい。牛島君はバレーにもう少し集中したい。想いは伝え合ったものの、自然と私達の付き合いは「今は見送ろう」という形になった。
だが今でも廊下ですれ違えば挨拶をするし、たまに帰りが合えば送ってくれることもある。相変わらず沈黙はあるものの、居心地は悪くなく少ない会話では牛島君のことを沢山知れていると思う。


これを聞いた目の前の友人は、呆れたという表情を顔いっぱいを使って表現していた。

「何、あんた達小学生?」
「いや、これでも『お前は誰だ』から考えれば進歩したなーと」
「当たり前でしょ!」

友人は拳で机を叩いた。その勢いに押されつつも私はまた口を開く。

「でもそれだけじゃなくて、牛島君部活引退してから自分で走るコース変えたみたいで、ウチの前通るからそれを眺めるのが日課になってるんだよね」
「ストーカーか」

友人の言い分はもっともだと思う。私も自分がストーカー気質であることは最近否定できなくなった。牛島君は気付いてもいないかもしれないけれど。

「仮にも、っていうか本当に仮だけど彼女みたいな位置にはいるわけでしょ? とっととハグでもキスでもしちゃえばいいのに」
「そ、そんな度胸は……」

ない。だが人の行き交う廊下で告白した前科があるだけに断言はしづらい。そんな私を見て、友人は呆れたようにため息を吐いた。

「両片思いが一番楽しいってやつ? もういいわよ、好きにやんなさい」

それだけ言うと友人は立ち上がり、自分の席へと戻る。次は移動授業だ。私は慌てて食べかけのウィンナーを口に突っ込んだ。



キスやハグとは、そんなに簡単にしてしまっていいものなのだろうか。世間一般では恋人同士がするものであるが、雰囲気やタイミングというものがある気がする。そもそも私と牛島君は恋人同士ですらない。だけど今この場で牛島君を抱きしめたら、牛島君はどうするだろうか。私はそっと隣の牛島君を見上げた。

「? どうした」
「う、ううん、何でも」
「そうか」

牛島君は鈍い。鈍いので、牛島君と帰れる貴重な機会に私がこんなやましいことを考えているとは気付かない。
牛島君は私を抱きしめ返してくれるだろうか。それとも引き剥がして「どうした、苗字」と言うだろうか。何も抵抗せずそのままにさせてくれるだろうか。それ以前に、ハグをする方法を私は知らないのだけれど。

「う、牛島君」
「何だ」

再びこちらを向いた牛島君と目を合わす度胸はなくて、前を向いたまま告げる。

「好きです」
「そうか。俺も好きだ」
「えへ……」

視界には夕陽に照らされた住宅街が広がり、牛島君と一緒に居られる時間があと僅かであることを示している。キスやハグをするなら甘い雰囲気を作ってから、と始めた告白だったが、結果これだけで満足してしまった。だから私にまだそういうことは早いのかもしれない。

それは本当に付き合えた日のご褒美に取っておこう。私が心の中でそんなことを決めていたなんて、牛島君は夢にも思っていないだろう。
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