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廊下ですれ違ったとき、朝下駄箱で会ったとき、牛島は名前に「おはよう」と挨拶をする。これは二人の距離が縮まってから恒例のことである。そこに変化を示したのは名前だった。今までは勢いよく「おはよう!」と言うか、むしろ自分の方から挨拶をしていた。だが今はどうだろう。牛島の方を見てから何かいけないものを見てしまったかのように下を向き、ゴニョゴニョと口を動かしながらなんとか「お、おはよ牛島君」と発する。名前がその台詞を全て言い終える頃には牛島はとうにその場を去っていそうなものだが、牛島はきちんと名前の言葉を待っている。
これは二人に進展があったな、とまず気付いたのは天童だ。何しろ天童は牛島の気持ちを聞いている。名前の気持ちは最初からバレー部全員が知っているのだから、両思いなのは明白だ。となると問題は。
「あの二人、どこまで行ったと思う?」
十一月のとある日、久々に部活に顔を出した帰りに天童は若干声を潜めて聞いた。
「あの二人って誰だよ」
「若利君と名前ちゃんだよ!」
もう英太君ったら鈍い! と言いながら天童は納得した様子の瀬見や大平を眺める。彼らにあの二人はどう映っているのだろう。
「まあキスはしてんじゃねぇの。やっと付き合ったんだろ?」
「いやいやいや、若利だぞ?」
「いやーでも若利君だって男だよ?」
まだ何もしていない派、キスくらいは済ませた派に三人は分かれた。それぞれの理由は「若利だから」「男だから」と何とも明快なものである。すると折衷案を思いついたとばかりに瀬見が人差し指を立てた。
「じゃあハグくらいはしてんだろ、流石のあの二人でも」
「なんか想像できないな〜」
牛島に恋愛ごとというのがそもそも考えられないし、ハグなどされようなものなら名前は気絶して倒れそうなものである。両思いになったとはいえ、意外にあの二人は前途多難なのかもしれない。
「若利だって男なんだから、苗字さんと二人きりの密室にでもいれば押し倒すだろ」
「その状況だと名前ちゃんの方が意識しまくってそう」
天童が笑い混じりに発した言葉に瀬見と大平もまた笑いながら同意した。密室でも何も思わない牛島とその状況に様々な可能性を感じ取ってしまう名前、という図が簡単に思い描けたからだ。三人が笑い合っていると、前方から監督と話していたらしい牛島が歩いてきた。
「おっ、ご本人登場」
「一体何の話だ」
天童の言葉に反応した牛島に、瀬見は笑みを浮かべながら言う。
「苗字さんと付き合ったんだろ? どこまでやったんだろうなって話してたんだよ」
これでようやく真実が聞けるはずである。瀬見や天童が主張した通りキスは済ませていたか、大平の言うようにまだ何もしていないか、それともまさか――。答えを目前にして緊張する面々に牛島は平然と言った。
「まだ付き合っていない」
「そこから!?」
思わず叫んでしまったのも仕方ないだろう。キス以上のことで期待を裏切られるかもとは覚悟していたが、何もしていない以下のことで裏切られるとは思っていなかったのだ。
「若利……お前……」
「何で!? どうして若利君!」
混乱する三人にまるでどうでもよいことのように牛島は告げる。
「お互い今は自分のことを優先させようとなった。だからまだ付き合っていない」
「あ、そ……」
天童達は去って行く牛島の後ろ姿を呆然と見つめた。それは付き合っていなかったことへの驚きだけではない。あの興味のあること以外自己主張の薄い牛島が、「まだ」と反論するように告げたことに驚いているのだった。
「意外と二人の未来は明るいのかもねぇ……」
天童の声が風に吹かれて消える。季節は秋も半ばを越え、もうすぐ冬になろうとしていた。
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