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最後のホームルームが終わると、生徒達はまだらに中庭に集まった。クラスメイト同士では、もう十分なほどに別れを言い合った。それでも足りないような気がするから不思議なものだが、今度はクラスの違う友人や後輩達と最後の挨拶をする時間だ。昇降口の前にはもう後輩達が集まっていて、来たる先輩達を待ち構えていた。私の入っているような小さな文化部では大した別れの儀式ではないが、運動部、それも何千時間と一緒に過ごした強豪の所では、それは派手なセレモニーが行われているのだろう。私は数ある中でも一番大きな集団、バレー部を見た。後輩達は大泣きしていて、それを卒業生が笑いながら見ている。どこの部でも見られる光景でありながら、やはりバレー部が一番熱のこもっている気がした。

違うクラスの友達と別れの挨拶を済ませ、部活の後輩にも見送られた私はすることもなくバレー部を見ていた。すると、めざとくそれを見つけた友人がからかうように声を出す。

「また見てんの」
「あ、うん。気付いたら」

友人に気付かれたことに驚きながら、私は視線をバレー部から動かせないままでいる。二年、三年とクラスが同じだったこの友人は私の牛島君に対する長い片思いを知っている。私とバレー部の間にあったことも、牛島君と恋愛関係にまでこぎつけた軌跡も、すべて知っている。

なんだか恥ずかしいような、有難いような気持ちになってくる。時には優しい言葉で慰め、時には厳しい言葉で叱咤してくれたこの友人に私は何か返せているだろうか。

「本当に、今までありがとうね」

私が心を込めて言うと、友人はその言葉と私が今まで眺めていたバレー部で言葉の意味を理解したらしい。優しく目を細めつつも、からかうような口調で友人は口を開いた。

「なーに言ってんの。それに名前はまだまだでしょ。今だってこうやって見てるだけで、あの頃とちっとも変わらないんだから」
「え、じゃあどうすればいいの」

私の素直な疑問に友人はニタリと笑って答えた。

「一緒に写真撮って、第二ボタンも貰ってくるに決まってんでしょ」
「第二ボタン!? む、無理だって」
「アンタ以外に貰う人いないでしょうが」

尻込みをする私の背中を友人が強く押し、私はまだ踏み出せずにいる。牛島君を好きだったこの三年間、そんな時私の覚悟を決めさせてくれたのはいつだって友人の一言だった。

「何にも思い出のないままでいいの? 早くしないと、他の誰かに獲られちゃうかもよ」

私は心を決め、バレー部の集団に近寄った。その後ろ姿を、友人はしっかりと見てくれていることだろう。


「あの」

何しろ男子バレー部はガタイがいいし、人数も多い。中心の牛島君までどうやって辿り着こうかと考えていた時、後輩と思われる男の子に声を掛けたことによって私の道は開かれた。私の牛島君への想いは、バレー部どころか学校中に筒抜けだったのだ。それが牛島君も振り向いてくれた今、私達の仲は学校中が知るものになった。まるでモーセのような気分になりながら、私は牛島君への道を辿る。白布君を筆頭として最初はよく思われていなかった私の想いがこんなに認められる日が来るなんて嘘のようだ。

「牛島君」

男の集団の中にふとできた道の最終着地点、牛島君の背中に向かって私は語りかける。すると牛島君はゆっくりとした仕草でこちらを振り向いた。

「苗字」

その途端に今まで騒いでいた他のバレー部一同も静まり返り、この空間は完全に私と牛島君だけのものになる。私は初めて牛島君に告白した時と同じような緊張を抱きながら、震える口を開いた。

「第二ボタン、ください。あと写真も一緒に撮ってください」

言ってから後悔が波のように押し寄せた。みんなの前で言うのではなく、牛島君を連れだして人気のない所で言えばよかった。一度にまとめて言わず、小分けにすればよかった。今頃欲深い女だと思われていないだろうか。そっと牛島君を見上げると、牛島君はいつもの調子で「取れ」と言った。途端に沸き上がるバレー部一同に驚きながら、私は言葉の意味を考える。普通、第二ボタンとは男の子が女の子に渡すものだ。だが牛島君は取れと言った。つまり、牛島君の制服に手を掛けて直接取れということだろうか。

私は顔が熱くなるのを感じながら牛島君の制服を見る。そこには、規定通り全てのボタンが揃っている。こんな大勢の前で、牛島君に触れるなんて。拒否しようとする私を、脳内の友人が叱った。これが最後のチャンスなのだ。高校生の牛島君は、今しかいないのだ。

失礼します。心の中で唱え、私は牛島君の腹部に掌を置く。それと同時に歓声が沸き上がる。それらも全て舞台装置だと思い込んで、私は全力で牛島君の第二ボタンを引っ張った。これから何があっても、この第二ボタンが私の青春のありかだ。

だが、思うようにボタンは抜けない。私の全力でいくら引っ張ろうとも、ボタンはプツリとも言わないのだ。囃し立てていた周りも、段々困惑した声に変わってくる。しかし一番困っているのは私自身だ。周りから散々茶化された挙句、失態を大勢の前に晒すことになったのだから。私が焦る心でボタンを引っ張っていた時、大きな手がボタンへと伸びた。それが牛島君の手だと認識すると同時に、ボタンはいとも簡単に牛島君のブレザーを離れた。

「あ、ありがとう……」

無言で差し出す牛島君からボタンを受けとると、今日一番の歓声が周りから上がる。第二ボタンを素早くポケットに滑り込ませると、私はスマートフォンを出して「あと、写真……」と言った。言い切らない内に、「それなら俺撮ってあげる!」と天童君が私のスマホを奪い取る。天童君がスマホを私達の方へと向けると、自然と周りの部員が私達を避けた。恥ずかしいのを我慢しながら私は牛島君の隣に並ぶ。今、前髪はどうなっているだろうか。ポーズはどうしようか。何も決まらない内に、「いっくよー」と元気な声がする。

「ハイ、チーズ」

そうして撮られた写真は、二人がただ制服姿で並んでいるだけのなんとも味気のない写真だった。せいぜい上品に体の前で手を組めたところが及第点だろうか。私の表情はにやけを堪えきれず、でもなんとか笑顔を作ろうと努力している。そんなことが伝わってくる写真だ。この写真を見たら毎度、私は牛島君を大好きだったことを思い出すのだろう。
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