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 牛島君は東京のチームでの練習があるということで卒業式が終わったらすぐ上京してしまった。新幹線を走って追いかけるとまではいかなくても、感動的な別れを期待していた私は少し拍子抜けしてしまった。何かしないのかと期待する私を見下ろし、牛島君は「お前もすぐ来るんだろう」と言った。それが東京では何かしてくれるという宣言に思えて、私も胸を躍らせながら一人暮らしの準備を進めた。

「とにかく不審者には気を付けること。部屋も絶対二階以上にするのよ」
「わかったってば……」

 しつこいほど同じ言葉を繰り返すお母さんを宥め、私は駅に入る。生まれてからずっと住んでいた宮城を離れるのは寂しさもあるが、今は東京への期待の方が勝っていた。私にはプラットホームで手を振ってくれるような人はいないので、改札を通ってからもう一度両親に手を振る。両親が手を振り返したのを見てから、私は新幹線に乗り込んだ。

 大変なのは東京に着いてからだった。家財道具は買ってあるものの、余計な衣服は全て実家に置いてきた。東京でいい店を見つけて買い揃えようと思っていたのだ。だが私は服どころか食料品を買うことすらままならなかった。アパートから近いスーパーで済ませていればやや遠くにもっと安いスーパーを見つける。調子に乗って買い過ぎれば冷蔵庫の中で腐らせる。これでよく牛島君の彼女が務まるものだと、心の中でため息を吐いた。別に奥さんになろうとか考えているわけではないから、家事能力は必要ないけど。誰にでもなく言い訳をしながらたまった洗濯物を片付ける。すると突然インターホンが鳴った。私は実家の感覚で確認もせずドアを開けた。

「はい」

 そこにいたのは、なんと牛島君だった。混乱する頭の奥で、住所を交換していたことを思い出す。一応メッセージでのやりとりはしていたけれど、こんなにすぐに会えると思わなかった。それも、牛島君の方から私の家に来る形で。私は驚きと興奮で何も言えなかったが、牛島君も顔を顰めたまま何も言わなかった。

「あ、えっと……上がる?」

 慌てて私は体を避け牛島君が入るスペースを作る。牛島君の視線の先を見ると、私が出しっぱなしにしていた下着が堂々と広がっていて消えたくなった。

「ちょ、ちょっと待ってて、片付けるから、ほんとごめん」

 洗濯物の元へ飛ぼうとした私の肩を牛島君が捕まえる。大して力は入っていないのに、振り向くのすらやっとであるくらい圧が強かった。

「相手を確認せずにドアを開けるな。洗濯物は人に見られないようにしろ。女の一人暮らしは気を付けろ」
「はい……」

 好きな人に生活のだらしなさを注意されるほど恥ずかしいことがあるだろうか。私は居た堪れない気持ちになりながら、お母さんの言うことをよく聞いておけばよかったと思った。牛島君は私の反省した様子を確認した後、極め付けのように言った。

「お前ばかりが好きだと思うなよ」
「え……」

 言葉の意味を確認する前に、牛島君は「顔を見に来ただけだ。帰る」と背を向けてしまった。折角だからもう少し会っていたかったけれど、今の私はそれどころではない。私ばかりが牛島君を好きではない、牛島君だって私に負けず私のことを好きでいると、今言われたばかりなのだから。少し盛っている部分はあるかもしれないけれど、大体そんな意味だろう。私にとって一番刺激的なのは、東京ではなく両思いになった牛島君なのかもしれない。
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