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 牛島君と喧嘩してしまった。家に帰ってから私を襲ったのは、激しい罪悪感だった。あれだけ好きで、ようやく付き合えて、上手く行き始めたところだったのに。このまま別れてしまうのだろうか。交際期間僅か三ヶ月。なんとも儚い付き合いだった。恋愛とは、どうしてこうも難しいのだろう。

 意味もなくメッセージアプリを起動するが、喧嘩をして一日では余計事態を悪化させかねない。スマートフォンを閉じた時、インターホンの音がした。

「はい」

 出ると、なんとそこにいたのは牛島君だった。

「……相手を確認せずにドアを開けるなと言っただろう」

 こんな時だというにも関わらず牛島君は小言を言う。だが小言の内容はどうでもよかった。牛島君が、家にいる。どうして来たのだろう。別れ話? 棒立ちになる私に、「とりあえず中に入れてくれないか」と牛島君は言った。

 私の薄いラグの上に座り、牛島君は隣の私を見る。私は逆ギレした申し訳なさやらフラれるのではないかという恐怖やらで小さくなっていた。前置きをせず、牛島君は話す。

「昨日のことだが」

 思わず息を呑む。

「俺達は誤解している。今は不満をぶつけ合ったにすぎない。お互い話し合って、不満を解消する必要がある」

 私の最大の緊張は去った。牛島君は、別れ話をしに来たのではなかったのだ。なんとか付き合い続ける方向で話を進めている。私も、牛島君と別れる気などなかった。

「俺がそっけないと言ったな」

 牛島君に言われ、私は小さく頷く。牛島君は視線を前に戻した後、落ち着いた声で語り始めた。

「あれは、高校時代は俺のことばかり考えてたお前が大学やバイトのコミュニティを築いていることが面白くなかった。ただの嫉妬だ。すまない」
「え、それだけ……?」

 私は思わず牛島君を見る。牛島君は何の恥ずかしげもなく「高校の時は俺のことでいっぱいいっぱいだっただろう」と言った。牛島君は、その状態の私を気に入ってくれたのだろうか。

「次はお前の番だぞ」

 牛島君に促され、私は足を直しながらぼそぼそと喋り出した。

「えっと……大学の友達はみんなやってるのに……私だけいつも何もなしで、なんか焦ってた」

 言葉にしてみれば簡単なことだった。牛島君に自分達のペースでいいと諭された時と変わらない。私はただ焦っていたのだ。牛島君は「そんなことか……」とため息を吐いていた。

「そんなことって、結構大事だよ!? 牛島君は大学行ってないからわかんないかもしれないけど!」

 すると私を黙らせるように牛島君が私を押し倒した。突然のことに私は目を瞬く。目の前に牛島君の顔があり、私の体の上には牛島君の体が乗っている。

「じゃあお前はこの続きができるか?」
「でき、ないです……」
「だから俺達のペースでいいと言ってるんだ」

 牛島君は呆れた様子で起き上がった。慌てて私も起き上がり、心なしか牛島君に距離を空けてしまう。こんな状態で牛島君に迫られたいなど、馬鹿げた話だ。

「やっぱり牛島君の言う通り誤解だったね。話しに来てくれてありがとう」
「ああ。誤解が解けてよかった」

 これにて一件落着なのだが、私はどうも気になる部分がある。

「それしても牛島君、喧嘩して一日って早すぎない?」

 私が突っ込むと、滅多に照れない牛島君の眉が微動した。

「お前と喧嘩していることに耐えられなくなった」

 思ってもみなかった喜びに、私の体は沸き上がる。

「わ、私も……喧嘩は結構堪えたかも」

 一度空けた距離を詰める。今の空気は結構、恋人らしい気がする。

「俺はお前に好かれていないとダメみたいだ」

 その言葉に私は悶えそうになったが、張本人の牛島君も照れている様子だったのでおあいこだろう。
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