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道中しのぶとは色々な話をした。しのぶには姉がいて彼女もこの世界にいること、薬学に詳しいことなど、しのぶも大分打ち解けてくれたようだった。この暗闇の世界に道があって別座標の場所があるなど俄かには信じがたいが、しのぶはその「お館様」の居場所を知っているのだという。実際にその場所に辿り着くまでは、長かったような短かったような気がした。

「お館様、紹介したい人がいます」

しのぶは立ち止まると、唐突に跪いた。私も慌ててそれに倣い、慣れない体勢を取る。呼び方からして上の身分の人なのだろうと思っていたが、こんな姿勢まで取るとは余程昔の人なのかもしれない。誰もいないように見えた暗闇からは、「どうしたんだい?」と穏やかな声がした。

「話によれば、死んでいないのに間違えてこの世界に迷い込んでしまったようです。川は通っておらず、とある場所にて倒れているのを私が発見しました」
「へぇ……」

その言葉と共に誰の者とも知れない視線がこちらへ向くのが分かる。私は慌てて顔を上げると、暗闇に向かって話しかけた。

「苗字名前といいます。私はただ旅館に泊まりに来て、布団で寝ただけでした。しかし目が覚めるとこの世界でした」
「嘘を言っているようじゃなさそうだね」

お館様は私が話している間に、どれだけのことを見ていたのだろう。何もかもを見通しているような声色に恐ろしくなってくる。この人ならば私が生きている人間だと信じてくれる。だが、実際に帰る手立てを知っているのだろうか。

「彼女は元の世界に帰りたがっているようなのですが、何か良い方法をご存じないでしょうか」

私の胸が期待と緊張に揺れる。しかし返ってきたのは、申し訳なさそうな声だった。

「すまないね、私もここから元の世界に帰る方法は知らない。だがそれはあくまで私のような死者が生前の世界へ帰る方法の話だ。君が完全には死んでいないのならば、元の世界へ帰る方法はあるかもしれない。まずはここに慣れることから始めて、この世界でゆっくり探せばいい」
「はい……」

落胆しながらも、私の心は不思議と落ち着いていた。お館様の声には人を冷静にさせるような不思議な力があった。何も戻れないと決まったわけではない。戻った時に浦島太郎のような状況になってなければ、ここでいくら過ごしてもいいのだ。

「君一人じゃ心細いだろうから、この世界での案内役をつけよう」

無一郎、と呼ばれた時、一瞬彼の顔が頭を過った。しかしそんなはずはないと思い直して、顔を上げてみればやはりそこにいるのは私のよく知っている顔だった。

「彼女に困ったことがあったら助けてあげるように」
「はい」

無一郎そっくりな声が、私の耳にこだました。