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目の前を轟轟と流れる川と、こちらを振り返る無一郎。まるで現世と彼世の狭間にいるかのような感覚に眩暈がする。もしこの川を渡ったら、私は現世へ帰れるのだろうか。そうしたらこの無一郎とは、もう会えないのだろうか。
しばらくの葛藤の後、私は足を踏み出した、一歩、また一歩と川に近付く。川の流れは速そうだが、決して泳げないわけではない。私があと数歩で浅瀬に達するという時、肩に無一郎の手が置かれた。
「やめな」
私は足の裏に根でも生えたように立ち止まる。あと少しで川なのに、ここを渡れば戻れるかもしれないのに、私の足は動かない。代わりに、肩に置かれた手の温かみが痛い程に伝わっていた。
「この川は君みたいな善人が泳いで渡る場所じゃない。泳いで渡るのは、生前人を何人も食い殺してきたような奴等だ。君はちゃんと、橋の上を歩いて渡るべきだよ」
「でも……」
私は思わず無一郎を振り返る。そこには相変わらず無気力なようで、それでいて意志の強い瞳を持った無一郎がいて、私は何も言えなくなってしまった。
「君がそんな無茶なこと、する必要ない」
まるで私のことを大事に思っているかのような台詞に目を見張る。しかしそれは無一郎の元からの性格が親切なだけで、今目の前にいる無一郎が私の元恋人になったわけではない。分かっているのに、受け入れられない自分がいる。明らかに動転している私に無一郎はそっと手を握って「帰ろう」と言った。私は小さく頷いた。
無一郎の住処に着くと、現世で言う夜の時刻になったようだった。この世界に時間の概念はないのだが、私は夜らしき時間になると活動を止めている。ただ無一郎に連れてこられた木の下に行って、現世のことやあれこれに思いを巡らすのだ。睡眠を取らなくていいというのは便利なようで、虚しくもある。
「これから何してようかなぁ……」
思わず私が呟くと、無一郎が顔を上げた。
「じゃあ、僕のところにいれば」
驚いて無一郎を見れば、無一郎は歩きながら淡々と語る。
「どうせ僕もやることないし、案内役だし」
ぶっきらぼうなようで優しい所はやはり私の知っている無一郎と似ている。私は無一郎の隣に並ぶと、笑顔で無一郎の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
現世で無一郎にやかましいと言われた仕草。だがこの世界の無一郎は、「早く歩かないと置いてくよ」と言うのみなのだった。