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昨晩は酒に酔いつつもなんとか意識を保って自宅まで帰った。昨日の名前のようになっては困るし、侑にはそうなっても介抱してくれるような存在はいない。角名は侑が地面に突っ伏していたら一応連れとして持ち帰ってくれるだろうが、わざわざ自分のベッドに寝かせたりしないだろう。仮にそうされたとしても男のベッドで裸で目覚める体験などできればしたくないものだ。朝目が覚めてスマートフォンを手に取った侑は、適当にメッセージアプリの返信をしてはたと手を止める。

名前から、メッセージが来ているのだ。内容は「昨日はありがとう」という何とも当たり障りのないものだった。だが侑にはスマートフォンの画面越しに見える。付き合ったのだから侑に何かメッセージを送るべきか、送るなら何と綴るべきか悩んでいる名前の姿が。思えば、高校時代から名前はいつも期待と不安の入り混じったような瞳で侑を見上げていた。侑はむず痒いような気持ちになりながらも、スマートフォンに指を滑らす。

「別に気にせんでええ。もうあんな飲み方すんなよ」

少し素っ気ないだろうか。昨晩付き合ったばかりになっている身としてはもう少し名前を慮るようなメッセージを送ってもいいと思うのだが、付き合って早々彼氏面をすれば鬱陶しいと思われてしまうような気がする。これではまるで付き合いたての中高生のようだ。まったくいい大人が何をやっているのだろう。

葛藤した侑のせめてもの抵抗が「もうあんな飲み方すんなよ」だった。この部分だけは切実に、侑との間で起こったようなことを他の男と起こしてほしくないと思う。昔から侑のことを好きなのが丸わかりだった名前だが、大人になっても隙だらけで頭を抱えたくなる。相手が侑だったからいいものの、これが他の男だったらどうするのだ。そんなことを考えている侑も相当名前のことが好きなのだろう。すぐに付かない既読に、今頃名前は何をしているのだろうと考えた。


その晩、偶然近くに寄ったからと名前が来ることになった。昨日泊まった礼をしたいのだという。恐らく偶然近くに来たというのは嘘なのだろうが、ここは素直に礼をさせてやるのが大人というものだ。名前の言った時刻にインターホンが鳴って、侑は珍しく緊張しながら玄関を開けた。

「これ、評判の店のやから、食べて」

名前は言葉少なに言い、紙袋を押し付ける。侑はそれを受け取り「ありがとな」と言った。名前を部屋に上げず玄関で話し込んでいるのはまた間違いを起こしてたまるかという侑のせめてもの抵抗だった。もっとも、侑が起こしたのは世間一般で言う「間違い」ではないのだけど、過ちであることには変わりない。名前は侑の前で黙り込んだ後、思い切ったように顔を上げた。

「私達、付き合ってるってことでええんよな?」

侑は思わず言葉に詰まる。名前の期待のこもった眼差しと、まるで一昨日のことを知っていて試すかのような物言いに侑の心が揺らぐ。本当は、ここで誤解だと、冗談だということを伝えるべきなのだろう。しかし目の前の侑に縋るような名前を見れば見るほど、侑は名前を手放したくなくなってしまう。どんな手段を使っても名前を自分のものにしたいと、思っていたのではなかったか。不意に高校生の頃の自分が顔を出す。気付けば侑は、自分でもいつの間に身に着けたのだろうと思うほどの演技力で名前を見下ろしていた。

「せやけど?」
「……せやんな!」

目の前の名前は明らかに機嫌を良くしていて、それを見ている侑は可愛いやらいたたまれないやらで複雑な気持ちになってくる。付き合っていることを確かめて満足したのか名前は帰るようで、侑は駅まで送った。無心で自宅マンションまで帰り、後ろ手にドアを閉めると侑は玄関にしゃがみ込んだ。

やってしまった。誤解を解く最後のチャンスを、侑は水の泡にした。たとえ名前と付き合えているとしても、侑は名前を騙しているという罪悪感を一生背負わなければならないのだ。恨むのは、自分の男としての態度だ。本当に名前のことが好きならば、名前が酔い潰れる前、せめて飲み会途中に名前のことを落とせていれば。きっと何も考えず名前の隣にいることができたかもしれないのに。侑の吐いたため息が、マンションの空気に溶けて消えた。