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デートの行き先は映画館でも水族館でもなく都内の散策だった。付き合ってすぐに街歩きのようなデートは難易度が高いのではないかと思うが、名前が東京に不慣れなのでまあいいだろう。侑は適当に服を選び――と言いたいところだが実際は結構な時間をかけて着替え、待ち合わせ場所に向かった。そこにはまだ名前はおらず、まるで中高生のように異性とのデートに舞い上がっているかのような気分になってしまう。今まで女とデートすることで、こうなることはなかったのに。実際侑は高校生の頃に戻っているのかもしれない。名前という存在そのものが、侑の高校時代の思い出なのだから。

十分足らずで名前は来た。その興奮している様子と、いつもより可愛らしい服装に侑とのデートに気合を入れてきたことが分かって思わず侑は笑顔になってしまう。やはり名前はこうでなくては。侑は名前自体のことも好きだけれど、やはり侑のことを好きな名前が好きなのだ。侑の一言でころころ変わる名前の表情を見ているのが楽しくて仕方ない。それは今日も同じだった。

「好きな店入ってええで」

そう言うと、名前は緊張したように口ごもる。侑とのデートを成功させたい手前、どの店に入ればいいか必死に考えているのだろう。結局名前が選んだのは無難なブティックとカフェだった。店内のものを適当に見て回り、コーヒーを飲んで一息つく。ジュエリーショップのショーウィンドウを食い入るように見て「ええなぁ……」と呟いていたが、侑の存在を思い出したかのように飛び上がって歩き出したのが面白かった。心配しなくとも、侑も名前とは長く付き合っていこうと思っている。侑がまたコーヒーを一口飲んだ時、不意に声をかけられた。

「あのー、ブラックジャッカルの宮選手ですよね?」

振り返れば、親子連れと思われる若い男女と子供が侑を見ていた。侑はもう有名人になったのだ。こういったことにも慣れっこである。

「はい、そうですよ」
「やっぱり! サイン、書いてくれませんか」

渡された色紙に侑は慣れた手付きでサインを書く。子供が目を輝かせて侑を見ているのが微笑ましかった。母親だろう女性は興奮した様子で侑のことを見ていたが、向かいに座っている名前に気付いて視線をそちらへ向けた。

何か、言うべきだろうか。そうは思ってもある意味人気商売の自分の身を考えて付き合っていることを人に言わないでくれと言ったのは侑である。ここで名前との仲を明かすことはできない。この女性がSNSなどで拡散してしまった場合の責任の取り方など知らない。侑は名前を友達のように扱うしかないのだ。たとえ休日に男女二人でカフェに入っていたとしても。

「どうぞ」

そう言って色紙を渡すと、女性は何度か頭を下げて去って行った。「なんか、侑がプロ選手やってこと、今初めて実感した」そう言う名前に悪態をついて、侑達はカフェを出た。はずだったのだが、数百メートル歩いたところで侑は忘れ物に気付いた。先程サインを書くのに使用したペンだ。ただのボールペンならばまた買えばいいかと思うものの、人からの贈り物であるだけにそのまま見過ごすわけにもいかない。

「ちょっとそこのベンチで待っとって。忘れ物取ってくる」

侑は名前を残し、先程のカフェへと戻った。


結果として、ペンはすぐに見つかった。急いでバッグにねじ込み、侑は早足で先程のベンチへと向かう。これが兵庫ならあまり心配はないのだが、ここは東京だ。不埒な輩が名前に付き纏わないとも限らない。ベンチの手前で足を止めると、名前の横には蠅のように男がついていたのだった。

「俺の彼女や」

侑は迷いなく、名前の腕を取ってそう言った。名前は驚いた様子で侑のことを見ていたが、侑は名前に目もくれず男を見下ろすとまた歩き出した。自分から付き合っていることは周りに言うなと言ったくせに、先程ファンに声をかけられた時は彼女だなんて言わなかったくせに、こういう時だけ彼氏だと言い張るのは狡いだろうか。辻褄が合ってないのは自分でも分かっている。でも侑のこの煮え切らない思いを昇華させるためならば、狡くて結構。この日ようやく侑は本当の恋人らしいことができた気がした。