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 あれから、治君が帰ると私も慌てて立ち上がった。夕食はカップラーメンで済ませた。家に帰ってから治君に渡された紙きれをひとしきり眺めた後、メッセージアプリの友達に追加した。「苗字です」と名乗った後すぐに「苗字さん、今度会える?」と来たので私は胸を高鳴らせながら空いている日にちを伝えた。

「あ、いた、苗字さん」

 週末、私は大阪の中心街で治君と待ち合わせをしていた。お互い近場に住んでいるのに電車で数駅の場所を指定したのは、少なからず治君と会うことに罪悪感があるからだった。

「とりあえず店入ろか」

 私と治君は適当な喫茶店に入り、コーヒーを頼む。二人分のカップが運ばれてくると、一口飲んでから治君は口を開いた。

「まず、侑の面倒見てくれてありがとな。侑から稲荷崎の女子と同じアパートに住んでて、しょっちゅう面倒見てもらってるてことは聞いてたんやけど、頑なに誰かは教えてくれんかったから。苗字さんやったんやね」
「あ、まあ……」

 治君に私の話をしろと言った覚えはあるが、侑は一回も私の名前を出さなかったらしい。治君に改まって礼を言われると謙遜したくなるものの、実際侑という大きな子供の面倒を見ている私は曖昧に頷いた。治君と私は高校二年の時クラスが一緒だったというそれだけの仲だ。卒業式には侑のせいで話すらできなかった。その治君が私に、一体何の用があったというのだろう。私の視線を感じてか、治君はまた口を開いた。

「卒業式の時、苗字さん何か言おうとしてたやん? あれ、何やったんかなって」
「あ、あれは……!」

 私は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。当時は、紛れもなく告白しようとしていた。だがそれはもう会うことはないという後ろ盾があってのことだし、卒業式の空気に押されてもいた。今同じことを言えと言われても、そう簡単に伝えられることではない。

「ホンマ悪いんやけど、それはまた今度ってことで……」
「また今度な、了解や」

 それから治君は専門学校でのことや修行している料理店のことを教えてくれた。何でも、自分の店を持ちたいのだという。私は治君に感心しながら治君の話を聞いていた。流されるまま大学に行っていた私とは大違いだ。治君へ抱く気持ちが人間としての尊敬なのか、かつての恋心なのか、わからなくなってくる。治君がこの後仕事があると言うので私達は早くに解散し、私は一人電車に揺られていた。今日治君に卒業式の日何を言おうとしていたのかを言えなかった理由は、単に恥ずかしいから、ではない気がしていた。