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 伏黒が高校生になったことを伝えると、流石に彼女はアニメを見せることをやめた。代わりに、少し前の洋画を見せるようになった。それらは決して激しくないタイプの映画であったが、ラブシーンは大体の映画に存在した。そういう時決まって伏黒はきまり悪くなるのだが、彼女はじっと画面を見ていた。まるでそうすることで何かを忘れようとしているかのように。画面の中に、セックス以上の何かが映っているかのように。

 少しくらいは気まずいと思えよ、と反抗心のような感情を抱きながら、伏黒は食べ物を用意する。伏黒が来る日には、必ず百貨店で買ったと思われるロールケーキがあった。それを箱から出し、皿に盛りつけるのが伏黒の仕事だ。

 二切れを載せて、彼女の近くに皿を置く。伏黒の手は彼女の肩の後方から伸び、後ろから彼女を抱きすくめているようにもなった。少なくとも、彼女に男というものの存在を感じさせたのだろう。彼女は肩を跳ねさせ、やや伏黒から距離をとった。伏黒は先程のラブシーンより余程居心地の悪い気持ちで、離れた位置に腰を下ろす。

 恐らく彼女が受けた呪いとは、性に関することだったのだろう。それを祓うのが伏黒とは、ミスキャストもいいところだ。彼女は伏黒に助けられる気がない。まあ、トラウマの男なのだから当たり前だ。ならば何故、ロールケーキまで用意して伏黒を迎えるのだろう。伏黒だって、嫌な思い出が蘇るから来ないでほしいと言われたら行くのをやめる。伏黒に対してポジティブな感情を抱いているなら、何故、時折伏黒に恐れるような視線を寄越すのだろう――。

「恵くん、私の所に来てるの一応任務だよね。書類とかあったら書くけど」
「じゃあこれにお願いします」

 そういえば、高専生となってからは任務だから書類も必要なのだった。今までは五条が裏で手回しをしていたのだろう。彼女が高専の事情に詳しいことに僅かな違和感を抱きながら、報告書を出す。彼女はボールペンを出した。ゼブラの黒のボールペンだった。任務の内容は、「残穢の観察と回収」だそうだ。初めて知った。それから彼女は、担当者の部分に伏黒の名前を書いた。禪院恵。限られた人しか知らない、伏黒のファミリーネーム。

「俺の父親を知っているんですか?」

 自分の声が他人の声のように聞こえた。伏黒の声はぞっとするほど澄んでいて、無感情な響きを持っていた。

「答えてください」

 彼女は手の動きを止めた。戸惑っているわけではなかった。もしかしたらこの状況を、彼女は何度もシミュレーションしているのかもしれなかった。

「知っている、と言えるほど関わったわけではないけれど、彼が恵くんのお母さんとしたことを、私ともした」

 頭の一部に酷く靄がかかっていて、考えることを拒否している。それでいて、頭の奥の方は絶えず回転し続けている。残穢。呪詛師からの性被害。トラウマ。ろくでなしの、伏黒の父親。

 伏黒の頭は答えを導き出してしまった。認めたくはないが、伏黒の父親なら十分にありえることだった。

「今日の任務は終わりみたいね」

 彼女は静かに言って、報告書を伏黒の方へ寄越した。そこから伏黒がどう帰ったのかは覚えていない。気付いたら高専の寮にいて、部屋の壁に寄りかかって深く息を吐いていた。手を合わせて、指の先で額を突いてみる。過去のことなど、見えるはずもなかった。