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「何でこんな任務俺に任せるんですか」

 五条はいつものように軽薄な笑みを浮かべていた。しかし、絶対に気付いているだろうと思った。伏黒が彼女の秘密に、気付いたことに。

 五条は珍しく、深みのある声色を出した。

「子供にしかできないこともあるよ」

 それきり五条は去ってしまった。残された伏黒はただ、唇を噛み締めていた。


 人を助けることが善だと思っていた。しかし伏黒は、助けられるような立場ではなかった。一緒にいるだけで、苦しめてしまうはずなのに。何故五条は、彼女のトラウマを治すという任務に、伏黒を選んだのだろう。何故彼女は、伏黒を拒まないのだろう。

 それほど大きくはない画面の中で、白人の女優が喘ぎ声を上げていた。今日はそんなことも気にならなかった。彼女はいつものように映画を観ていた。どうして普段通りに振る舞えるのか、教えてほしかった。

「私が恵くんのお父さんと知り合ったきっかけは、私も術師をしていたから。狭い世界で私達は知り合ってしまったの」

 映画が終わった後、彼女は世間話をするかのような口調で言った。術師をしていたのは初耳だ。もう驚く心の余裕はない。ただ、自分は誤った存在だという意識が伏黒を締め付ける。伏黒が呪術を使うことも、存在していることも、全て間違っているのではないか。伏黒は試験管で生まれた子供ではない。禪院甚爾が性行為をし、その末に生まれた子供なのだ。

「こんな世界は間違ってる」

 ふてくされた子供のように、伏黒は膝を抱えて座り込んだ。まるで実の子供を見るかのような眼差しで、彼女は微笑んだ。

「恵くんが高専に入ったことも、そこで仲間に出会ったことも、全部間違い?」
「それは……」

 高専に入らなければ、虎杖達と出会えなかった。術式を使うこともなかった。それらを全て否定するのは気が引ける。でも、自分の存在を否定するとはそういうことなのだ。

 伏黒の答えを察したように、彼女が息を吐いた。場を明るくするために話題を変えるような声色で、彼女は核心に触れた。

「ごめんね。恵くんの父親の苗字を出したのは、実はわざとなの」

 伏黒は顔を上げた。「禪院」の名を出したのは、事故ではなかったのだ。

「恵くんにも苦しんでほしくて」

 そう言う彼女の言葉を、伏黒はどう受け取っていいのかわからなかった。憎い相手の子供に苦しんでほしいという意味合いもあるのかもしれない。でも、彼女の言い方は、運命共同体として一緒に苦しんでほしいというようなものだった。伏黒の聞き間違いでなければだが。

 伏黒は覚束ない足取りで彼女のアパートから帰った。彼女の仇は、もう討てない。伏黒の父親は死んでいる。ならば伏黒が死ねばいいのだろうか。それは「伏黒に苦しんでほしい」という彼女の希望に沿わない。

 何故、伏黒は父親を殺したいと思うのだろう。自分が正しい側の人間であると、証明したい気持ちも勿論ある。でもそれ以上に、伏黒は彼女のためを想っている。彼女に何かしてやりたいと考えている。その気持ちの理由に勘付いた時、伏黒は自嘲めいた笑みを漏らした。


「俺は呪術師をやめるべきだ」
「へー、それで何部に入るわけ?」

 授業が始まる前、釘崎は至ってどうでもいいという様子で伏黒の話を聞き流した。部活動と言うからには他校へ転校することを示しているのだろう。呪術師をやめるのならば、高専もやめるべきだ。それで彼女のためになるならば。いや、伏黒が任務と称して彼女の部屋に行かなくなったら彼女は困るのではないか? 伏黒は、あろうことかそんなことを考えていた。彼女をレイプした父親の息子なのに。顔が見えなくなるだけでせいせいすると思われるかもしれないのに。

 じゃあ、彼女が伏黒へ向けている、温かい感情は何なのだろう。

 考えるのも面倒になって、伏黒は机に突っ伏した。