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「水泳部、順調みたいだね」

 次岩鳶を訪れた時、川口は何でもないふうに言った。だが、私に最大限の気が払われているのは明らかだった。現に生徒会室には私と川口しかいない。水泳の話をすれば、私の中の何かを消耗させてしまう。でも、遙は私の身内の範囲内だと知っている。

「それはよかった」

 私は素直に口にした。大きくとられた窓から差し込む日差しは、最近勢いを増している。この中で泳ぐのは気持ちよさそうだ、と私は岩鳶の設備を思い出しながら思った。岩鳶のプールは確か、屋外であったはずだ。

「自分はあんな事件があったのに、って思わないの?」

 努めて冷静な声で、川口が言った。こういったことを自然に切り込めてしまうのが、川口が人の上に立つゆえんなのではないかと思う。人の懐に入るのが上手く、人を不快にさせない術を心得ている。私は気持ちごと整えるように書類の角を揃え、視線をわざと下に落とした。

「思わないですよ。遙達は遙達ですから」

 遙も水泳をやめていた。その遙が水泳を再開したなら、それはめでたいことだ。私も、と続けるほど単純でも若くもなかった。遙が自分で壁を超えたように、私も自分で壁を打ち砕かないといけないのだ。遙の力を借りられるわけではない。今のところ、壁と向き合うことすらやめているが。それでも遙が水泳を再開した事実は、私に壁の存在を意識させるには十分だった。

「学校の垣根を越えてのマネージャー活動も許可するよ?」

 川口は茶目っぽく言った。いくら生徒会長がいいと言っても、それはありえない話だ。第一、私は水泳にまた関わるなら泳ぐ方と決めている。

「生徒会はどうなるんですか」

 私が言うと、川口は「それはそうだ」と大人しく引き下がった。川口が理論の欠落に気付かないはずもないのだから、これは単なる言葉遊びだろう。それか、私の調子を探っているのかもしれない。遙と再会してから、私の中の歯車が再び動き出しているような感覚があるから。

 それでも、私は進むことを許されていない。

「私がまた水泳に関わったら好き勝手言われるに決まってます」

 だから遙の試合の観戦も我慢しているのだ。本当は遙を応援したいのに。また泳ぐことができなくても、遙の泳ぎを観に行きたいのに。

 私が遙に抱えている感情が何なのか、理解できなくなった。水泳を辞めた同士としての連帯感、昔馴染みとしての懐かしさ。「好き」と一言いえば片付くことかもしれないけれど、私達の間にある複雑なもつれをないことにはしたくなかった。

 外から聞こえてくる運動部の声に耳を澄ます。この中に遙の声も、混ざっているのだろうか。