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 体育祭が近付いてくると、ナマエが岩鳶に来る頻度は高くなった。さらに遅くまで残るようになり、帰りの時間が被ることも多かった。真琴は部長としての後片付けがあるからか――あるいは俺がナマエと帰ることを知ってか――俺とは別々に帰っていたので、必然とナマエと二人での下校になる。俺はすっかり、ナマエと打ち解けている気でいた。俺が一方的に俺の内部をさらけ出すことで、歩み寄れているように思っていたのだ。

「何でお前に水泳をまた好きになってほしいか思い出したんだ」

 珍しく俺は饒舌だった。落ちかけている陽が弱まった光を俺のうなじに投げた。俺はナマエに水泳を始めてもらうことを諦めていなかった。ナマエをスイミングスクールに誘ったら喜ばれたように、今回もまた喜んでくれると思ったのだ。俺はナマエに水泳を再開してもらうためなら、ナマエと親しくなるためなら、自分の殻を破れると思った。

「俺がお前を誘って、お前が入ってよかったって言った瞬間、俺は嬉しかった」

 今でも思い出せる、小学生の時の鼓動。人に感謝される喜び。自分の手でナマエを次のステージへすくいあげた達成感。それだけではなかった。

「今思えば、俺はナマエが好きだったんだ」

 今好きだとは言っていない。でも、これは告白に等しいのだと思う。付き合ってほしいと言ったわけではないけれど、俺はナマエの返事を心待ちにしていた。付き合えなくても、俺の気持ちを聞いてほしかった。

「ごめん」

 ナマエの声は小さかった。それでいて俺の耳によく響いた。取り乱すことも叫ぶこともなく、一定の速度で歩いていく。

「水泳はもう好きになれないよ」

 それが事実だった。ナマエと別れた後、俺は暫く立ち尽くしていた。俺はフラれたのだろうか。恋愛の方はわからない。でも、水泳を再開することに関して断られたのは間違いない。

 逆だったらよかったのにな、と思った。ナマエと付き合えなくても、水泳をまたやると言ってくれれば、俺はどんなに満たされただろう。

 ナマエのいない分かれ道をじっと見た後、俺は緩慢に歩き出した。


 ナマエとのことがどうなろうが、俺の水泳は止まれない。迎えた大会初日、俺は久々の感覚に戸惑いつつも会場入りした。普段とは違うプールの匂い。人の熱気。

 応援席を見回したところで、俺はナマエを見つけた。俺のことはもうどうでもいいのかと思ったが、伊達に小学生から付き合っていない。選手としての俺にはまだ興味があるということなのだろう。俺はどこか安堵した気持ちになりながら、岩鳶の席に腰を下ろした。すると後ろから、同じく逆側の応援席を見ていたらしい観客の声が聞こえた。

「あれってミョウジさんじゃない?」
「噂の?」

 俺は興味本位で振り返る。そこにいたのは、俺達と同年代の女子生徒だった。学校はどこか知らない。

「おい……」

 真琴も焦ったような表情で振り返った。俺は真琴が何故そんな顔をするのかわからなかった。ナマエは優秀な選手だったから県内では有名だったし、美人なら尚更噂されるだろう。

 再びプールの方を向いた俺の耳に、言葉が飛び込む。泳いだ後耳に入った水のように、それは奥の方に入ってなかなか出てこなかった。

「中学のコーチにレイプされたんでしょ」