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「過去の意味は変えられると思わない?」

 生徒会室に生けられた花が、一つ花弁を落とした。私は書類をまとめる手を止め、川口の方を見た。

「何ですか、いきなり」

 今日も事務作業をしているのは川口と私の二人きりで、残りのメンバーは文化祭で使う用具の下見に行っていた。もう体育祭を終え、文化祭の準備に走り出す時期なのだ。時の流れは速いものだと思う。その中においても、私は過去から脱出できていない。川口はそのことを見抜いていた。

「君が事件に遭ったせいで七瀬遙に水泳に誘われたことはまとめて嫌な思い出になった」

 ひゅ、と息を呑む。川口には、事件のことや水泳のことを話したことがあった。川口にはなんとなく知っておいてほしかったのだ。だから川口がそのことを知っているのは何ら不思議ではないのだが、相手の方から話してくるとは思わなかった。水泳の話になり、私の方に話が向きかけて気を遣うように話の方向を変えるというのがいつもの流れだったから。

 川口は飄々と、人の心の一線に踏み込んでくる。何の考えもなしにそういうことをする人ではない。

「でもこれから七瀬遙や水泳に関してとてつもないいい出来事があれば、事件もトラウマではなくなると思うんだ」
「励ましてるんですか?」

 私は初めて川口に訝しむような目を向けた。川口は眉を下げ、少し困ったような表情をした。

「流石にうちの学校でも噂になってたらね」

 私は息を吐いた。遂に岩鳶でも、話題になってしまったのだ。

 狭い田舎の話だ。考えたら水泳をやっている遙に知られていなかったのが奇跡のような話で、女子水泳界や私の通っている高校ではすっかり噂になっている。無駄に気を遣われること、視線を感じたかと思えば逸らされることにはもう慣れた。でも。

「遙だけには、知られたくなかったな……」

 心の底からこぼれた本音だった。遙「だけ」と言うからには、私は遙を特別に思っているのだろう。多分、恋愛的な意味で。

 気付いたとしてもどうしようもない。中学の時の事件のせいで、私と遙も気まずい間柄になってしまった。

「男は好きな人に弱みを見せてほしいものだよ」

 川口の方へ視線をやるが、遙の顔を思い浮かべて私は目を閉じた。

「遙は普通の男じゃないから、どうだか」

 川口が小さく息を吐いて書類の束を置いた。会話の終わりの合図だったけれど、私は暫く仕事に戻れそうになかった。