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幸い玉狛支部に人はおらず、ヒュースの外出は名前のみが知るところとなった。だが雷神丸の怪我はそのままにしておくわけにはいかない。陽太郎が半ば泣きながら支部のみんなに話したことで、迅やレイジなどの鋭いメンバーはほぼ気付いたことだろう。何と言ったって雷神丸は五歳の陽太郎を乗せて走れるほど大きいのだ。それを名前が抱えて持って帰れるとは思わない。まず男の力が必要だ。迅でもレイジでも烏丸でもないのならば、消去法でヒュースが持って帰ったのだろうと。

しかし予想していたようなお咎めはなかった。玉狛はあくまで知らないふりを貫くことにしたらしい。これで物的証拠などがあれば言い逃れできないが、空き地が辺鄙な場所にあったのと辺りが暗かったのが幸いしたのだろうか。ヒュースの姿を見た者は恐らくいないことだろう。

その日ヒュースは陽太郎と風呂に入ると泣きながら感謝をされた。それと、「先輩だからかばってやったぞ」と恩の押し売りもされた。いつものように受け流し、ヒュースは玉狛の風呂を出る。支給された服は一種類しかなく寝間着も同じ黒のパーカーなのだが、捕虜として文句は言えないだろう。リビングのドアを開けると、名前が一人ソファに座っていた。

「……こんな時間まで何をやってる」
「ふふ、今日は泊まろうと思って」

先程と逆だ。今度は自分が男が言うべき台詞を言えたことに安堵しながら、ヒュースは向かいのソファに座った。すると名前は声を潜めヒュースに語りかける。

「ね、ヒュース、折角外に出たことだし、屋上にも行ってみない? 行ったことないでしょ?」

それはまるで小さい子供が秘密を共有しようとするかのようだった。ヒュースは少し逡巡した末に、目を閉じながら告げる。

「勝手にしろ」

すると名前は嬉しそうな様子で手を合わせた。

「じゃあ行こっか! あ、ヒュースお風呂入ったばっかだよね? 湯冷めしちゃうかな?」
「どうでもいい」

またしても冷えなどと男が女に心配することを言われたことに半ば苛つきながらヒュースは立ち上がった。結局二人共コートを羽織ると名前に続いて屋上への階段を上る。その扉を開けた瞬間、なるほど湯上りには冷たい風がヒュースの体へ吹き付けた。

「ほら、こっちこっち」

そう言う名前に促され、ヒュースは屋上の手すりにもたれかかる。来る時にもわかっていたことだが、やはりこの支部は川の上にあるようだった。その水面に月や星が映って、確かに綺麗と言えなくもないだろう。

「ねえ、上見て」
「上?」

てっきり名前の見せたいものは川の景色だと思っていたヒュースは不思議に思いながら頭上を見る。すると普段より一段と大きな月がこちらを見下ろしていた。

「綺麗だよね。スーパームーンって言うんだって」
「そうか……」

呆気に取られるヒュースの横で名前がクスクスと笑った。

「何がおかしい」
「今のね、昔の人の言葉で『あなたを愛しています』って意味なんだよ」

途端にヒュースはからかわれていることを知る。確かにヒュースにそんな玄界の教養があるわけがない。帰ろうかとも思ったが、月を見せに来たのは純粋な名前の好意だろうと思い踏みとどまる。

「……何故それをオレに言う」
「ふふ、折角だから」

楽しそうにする名前の横でヒュースは半ばふてくされていた。そんな玄界の昔の人間の心など知らない。だが。

「オレならばそんなまどろっこしい表現などせずに直接言う」

月を見ながらそう語ったヒュースに、「ロマンがないなぁ」と名前が笑った。