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朝だというのに真っ暗な地下室の中で一人、ヒュースは佇んでいた。目を閉じれば鮮明にあの夜の記憶が蘇る。自分を騙そうとしたガロプラの兵、奴が使った派手なトリガー、久しく使った自分のトリガーの感覚。そして、薄暗闇の中で自分に行かないでと懇願した名前の顔。

ヒュースは何よりも名前に出立を止められたことに困窮した。それは名前が主君と瓜二つだからではない。そう、あの時ヒュースが感じていたことは、「まるで主君に命令されているようで逆らえずに困る」ではなかったのだ。少し前ならそう感じていただろうが、あの日は違った。自分は「お前も一緒に来るか?」と言いかけたのである。

喉まで出かかったその台詞をヒュースはやっとの思いで飲み込んだ。代わりに名前を守ることを誓い、気絶させて安全な場所まで運んだのだ。

あの時の自分はどうかしていたのかもしれない。またとない好機に目が眩んでいたというのもある。しかし、今でもヒュースはあの時と同じ状況になったらまた同じ事を繰り返すだろうと自分でわかっているのだ。それが何故なのか、心のどこかではとうに知っていた。

ヒュースは早朝の階段を登り地上へ行く。すると朝食の良い匂いが鼻をついて、台所に立つ小さな人影がこちらを振り返った。

「おはよう」
「……ああ、おはよう」

まともに話すのはあの晩以来だろうか。どことなく漂う気まずさを無視して、ヒュースは扉の前で名前を凝視し続ける。そういえば前にもこんな朝があったような気がした。東の窓から差し込んだ朝日に照らされた名前はやはり美しく、ヒュースの心を駆り立てる。

気付けばヒュースは歩き出し、名前の隣に立っていた。そして名前の腕を掴み、自分の方へ振り向かせると共にこちらへ寄せた。

「え? 何?」

そう言った名前の唇を封じるようにヒュースのそれを合わせる。キス、というにはあまりにも短い唇同士の触れ合いだった。「悪い」だなどと言う気はない。時間が止まったように立ち尽くす名前を一瞥してヒュースはまた歩き出した。自分の居場所はリビングと地下室しかないのだから必然的に地下室へ戻ることになる。薄暗い階段を一段一段下りながら、ヒュースは自分が一線を越えたことを自覚した。だがそれを後悔してはいなかった。もう一度あの晩に戻ったら名前を抱きしめ気絶させるように、何度やり直しても今日この日にヒュースは名前へ口付けをすると思った。

したいと思ったのだから仕方ない。そんな幼稚な言葉を自分が使う日が来るとは思わなかったが、これ以外に今の自分を表す言葉はない。ヒュースはそっと自分の唇に触れると、その指先を見つめた。