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大規模侵攻が終わり、ボーダーもとい玉狛支部の難は去ったかと思われた。しかしアフトクラトルは玄界へとんでもない土産を残してゆくことになる。玉狛支部の地下で秘密裏に囚われている、捕虜ヒュースの存在だ。

勿論林藤とて捕虜が自分達に協力的になるとは思っていない。脱獄を狙い、部屋を壊し、メンバーを攻撃することだって想定済みだ。だがヒュースは意外にも暴れることはなかった。兵士としての経験値か、現状を冷静に分析したのか。どちらにせよこちらの手間が減ったのは事実だ。好戦的ではない気質の捕虜に感謝しつつ、玉狛支部のメンバーはその日眠りに就いた。
しかし翌日から玉狛支部の苦悩は始まることになる。

「おはようヒュース、よく眠れたか?」

地下室のドアを開けたのは迅だ。例えそれが刃を交えることであろうと、ヒュースとの関わりは一番深い。ゆえに警戒もされている。案の定ヒュースは眉間に皺を寄せて迅を睨んだ。

「腹減っただろ? ほら朝飯」

迅の右手には、トーストとサラダ、それから飲み物の載った盆がある。ヒュースはそれを一瞥すると顔を背けた。

「出て行け」

つまりは食べないということだ。

「んなこと言っても腹は減るだろ? 別に我慢しなくていいって、毒なんか盛ってないからさ」

出来るだけヒュースの癪に触れることなく、丁寧に。迅はヒュースが進んで手を伸ばせるよう務めたが、それでも兵士の矜持には触れてしまったらしい。

「食わない」

ヒュースはその一点張りで、ついには盆を見ることすらしなかった。折角陽太郎と一緒に準備したんだけど。そんな嘆きも虚しく、迅は諦めて部屋の出口へと向かった。こんな閉ざされた場所にずっと一人でいては体力も使うことだろう。時間を置いてもう一度来れば流石のヒュースも断るまい。

その予想を裏切って、ヒュースはまたしても迅の誘いを跳ね返した。

「言っただろう。食わないと」
「でももうお昼だぞ? 流石に腹減ったろ?」

この地下室にいてはわからないが、外では既に太陽が天高く昇っている。いくらヒュースの体内時計が狂おうと腹の虫は鳴くだろう。近界民とて迅達と同じ人間なのだから。

しかし強情なこの捕虜はまたしても食事を受け取ることをしなかった。まさか食事を断ち餓死するつもりだろうか。捕虜を請け負う身としてそれだけは見過ごせない。ヒュースには何としても食べてもらう必要がある。

「置いておくから、食えよ」

自分の前では食べづらくとも一人になれば変わるのではないか。そう考えた迅は祈るようにして部屋の扉を閉めた。これで食べていなかったら迅にはもうどうすることも思いつかない。縛り付けて口に食べ物を入れようとも、本人が飲み込んでくれなければ意味はない。暴れなくて扱いやすいどころかとんだ問題児を捕虜にしてしまったものだ。迅はため息を吐くと一階への階段を上がった。するとそこで見知った背中を見つける。

「名前」
「あ、迅さん?」

玉狛支部のメンバーの一人、苗字名前である。今日の夕食担当は彼女であるらしく、既にエプロンを身に付けて台所へと向かっている。調理台に置かれた食べ物から今日の夕食は牛丼だろうかと推測しつつ迅は口を開いた。

「ねえ名前、一つ頼まれてくれない?」
「いいですよ。何ですか?」

迅が尋ねれば名前は呆気なく了承する。相手が小南ではこうは行かないだろうなと思いつつ迅は続きを口にした。

「昨日からいるアフトクラトルの捕虜、ヒュースって言うんだけど、そいつがどうも飯食ってくれないんだよね。だからもう少し経ったら地下に行ってちゃんと食べてるか見てきてくんない?」
「わかりました」

オペレーターとはいえ彼女もボーダーのメンバーである。力強く頷いた名前に手を上げて「ごめんね、ありがと」と言うと迅は自室に戻った。

比較的好戦的ではない、落ち着いた気質の名前を選んだがこれは吉と出るだろうか。なんとなくだが、烏丸や小南へ行かせても上手くは行かないだろうと直感していた。それはお互いに鎬を削る戦闘員であるからかもしれない。とにかくヒュースが食事を口にしてくれるのなら何でもいい。その思いで迅はベッドに身を投げた。夕食時、名前からいい報告が聞けるといいのだけれど。