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「名前、悪いけどヒュースの飯係頼まれてくんない?」
「え、はい、別にいいですよ」

そう答えると迅さんは「悪いな」とだけ言って自室へ戻った。私とて玉狛支部の一員であるし、役に立てることなら引き受けたい。それに地下室へご飯を届けることなど大した仕事ではないのだから断る理由がない。それでも一瞬口ごもってしまったのは、私と接する時のヒュース君にどこか違和感を抱いたからだった。

しかし他の隊員とヒュース君が話しているところを何度も見たことがあるわけではないし、ヒュース君は元々ああいう気質なのかもしれない。きっと気のせいだろうと結論をつけて私は烏丸君の作った夕食を地下室へと持って行った。二回ノックをしてそっとドアを開けると、やはり中は電気の付いていない真っ暗闇だった。

「ヒュース君、夕飯持ってきたよ」
「……ああ」

どうせ電気は付けない方がいいのだろう。廊下から差し込む薄明かりを頼りに地下室のサイドテーブルへ夕食の載った盆を置く。するとヒュース君と私が最短距離になる。
お盆から手を離そうとした瞬間、ヒュース君の目の前に伸びていた腕が掴まれた。

「え? どうしたの?」

何か具合でも悪いのだろうか。私が至って普通に顔を覗き込むと、何かを堪えているようなヒュース君の顔がぼんやりと照らされていた。

「……お前は」

暗闇の空気をヒュース君の声が震わせる。

「お前は、密室の真っ暗闇で敵の男とこんな簡単に二人っきりになるのか」

その意味を私はすぐには解釈できなかった。その声色から私が今何かを責められているのはわかる。だが敵で捕虜であるヒュース君から私が責められることというのは何だろう。もしかしたらこれは、責められているのではなく宣戦布告かもしれない。そう考えると腑に落ちた。密室の暗闇で二人きりなど絶好の襲撃チャンスだ。今俺はお前を殺せるのだぞ、とヒュース君は言いたいのかもしれない。
私は口角を上げるとヒュース君の腕を私の手から外した。

「ご心配なく。普通の服着てるけど、今私トリオン体だから。流石に生身のまま敵の前に行ったりしないよ。私でもトリガーなしのヒュース君ぐらいはどうにかなるんじゃないかな」

そう言うとヒュース君は数秒呆気に取られた後、呆れたような表情で言った。

「そうか……もういい」

私への襲撃は諦めてくれたのだろうか。力なく項垂れるヒュース君の様子ではとりあえず襲撃されることはなさそうなので安心した。戦闘員にヒュース君のご飯係を代わってもらえればいいのかもしれないが、一応迅さんに任された身だ。頼まれたことはやり遂げたい。

「だから襲撃しようとか考えないで、これからもよろしくね」

そう笑いかけると、ヒュース君は「フン」と言ってそっぽを向いた。



名前が去ってしばらく、ヒュースは名前が出て行った部屋の扉をじっと見つめていた。いつまでも開け放しのドアから廊下の光が入ってくるがそんなものはどうでもいい。暗闇が好きなど名前が思い込んでいるだけだ。本当は、主君に似ている名前の顔をこれ以上見ていられなかったのだ。

ヒュースはベッドの上で深いため息を吐く。玄界から与えられる食べ物など食べたくはなかったが、名前から与えられた物はどうしても残せずに食べ切ってしまった。それをあの迅という男に見抜かれたのだろう。飯係が名前になったのはヒュースにとって試練もいいところだった。結果ヒュースは毎日しっかり三食食べてしまっている。

名前にしても、男と二人きりに、それも暗闇にいるのにまるで危機感がない。思わずあんなことを聞いてしまったのは主君にその姿を重ねているゆえの防衛本能か、自分の男としての矜持なのかわからなくなっていた。

いずれにせよ早くアフトクラトルへ戻らなければならない。早くアフトクラトルへ戻って、本物の主君に会うのだ。思い描いた主君の顔はやはり名前の顔と重なって、ヒュースは眉間に皺を寄せた。