▼ 8 ▼

「フン、帰る」

そう言って立ち上がったヒュースの後ろ姿に名前が「おやすみ」と声を上げた。迷ったが何も返さないことに決め、一度立ち上がったヒュースはまた歩き始める。その背中を見て小南が文句を言うのが聞こえた。

「何よあいつ、感じ悪」

どう思われたっていい。何より辛いのは、主君と瓜二つの名前の挨拶を無視している自分なのだから。

地下室へ辿り着くとヒュースは電気も点けずにベッドに座り込んだ。この頃では本当に暗闇が落ち着くようになっているかもしれない。名前が勝手に思い込んでいる設定が現実になってしまうとは。ヒュースは自嘲の笑みを浮かべた後、アフトクラトルのエリン家のことを思った。

今頃主君達はどうしているのだろうか。ヒュースが帰らないことで心配をかけてはいないか。それとも、もう既に生贄として――。そこに辿り着いてヒュースは考えるのをやめた。今ここで考えても仕方ない。早くここを脱出し、アフトクラトルへ帰る手立てを考える方が先決だ。

だがそんな手立てなどどこにも見つからなくて、ヒュースはため息を吐いた後ベッドにうつ伏せになった。途端に今までの疲労が押し寄せる。名前とあれだけ一緒にいたから気疲れしているのだ。目を閉じると、ヒュースはすぐに眠りに落ちた。


名前の言った通り、翌日からヒュースは上の階で食事を取ることを許された。というより、玉狛支部内での自由を認められた。地下室にいるのは眠る時くらいである。本当はもっと一人で地下室に篭っていたいくらいなのだが、子供の陽太郎に付き合わされていたら一日が終わっているといった調子だ。捕虜に子供の相手をさせる戦闘部隊がどこにあるのだろう。ヒュースは呆れながらも日中の暇潰しとして付き合っていた。

そして、食事を上で取るようになって変わったことがもう一つある。この玉狛は当番制で食事を作っているらしいが、今までは名前が一律で持ってきていたせいで誰が作っているのかわからなかった。だが今は、キッチンに隣接したリビングダイニングから誰が今日の当番か丸わかりなのである。つまり、名前が料理をしている姿をヒュースは目にしなければならない。これはヒュースにとって見過ごしがたいことだった。

名前が作った料理を名前が出し、ヒュースが食べる。勿論その名前の顔は主君そっくりだ。すると問題が生じる。奉公の立場がまるで逆なのである。本来ヒュースが主君を守り、主君のために何でもしなければいけないはずが、主君に自分の飯を用意されている気になるのである。忠実な臣下としてこれは頂けないことだった。名前は主君ではないことなど百も承知だが、それでも名前の顔と声は主君そのものなのである。ヒュースの忠誠心が主君と似た者から食事を用意されることすらも許そうとしなかった。

名前には悪いのであまり態度には出さないようにしているが、できれば名前は食事当番から外れてほしいところである。といっても名前が作った飯となれば残すわけにもいかず、毎回米粒の一つまで完食している自分だ。名前が食事当番から外れることは早々ないだろう。ヒュースは今日も美味しそうに湯気を立てる肉じゃがを恨めしげに見つめた。