4、独りよがりと言の葉

「この前はごめん。何か無神経なことを言ったんだよね」

 まさか後ろから急に話しかけてくるとは思わず、慌てて後ろを振り返ったと同時持っていた袋を落としてしまう。群がっていた猫が鳴き声をあげて一斉に散っていった。
 あれから数日私は彼に会えなかった。会わなかったというほうが正しい。冷たくしてしまった相手にどう接すればよいのか、声をかけるべきなのかがわからなかったからだ。深夜に出歩くよう心掛けたり彼が来そうもないところに出向いて行った。それが得策だったのかは分からない。だけどやっと会えたというように肩の力を緩め、疲労をにじませた彼を見ると、心が痛くなった。
「…よくここがわかったね」
「うん。…僕が行かないところを探してみたんだ」
「避けていたって気づいてたんだ」
 愚問だ。探偵でなくたってそんなことはわかるだろう。地面を擦る音が近づいて真横で止まり、彼の黒髪が視界の端で揺れた。私の言葉に特に答えることもなく彼は話の続きを始めた。
「名前さんの気分が悪くなるようなことをして、ごめん」
「どうしてそう思うの?私はそんなこと言ってないのに」
「…君が傷ついたように見えたんだ」
 言葉が頭の中で反芻され、私は思わず彼を凝視した。彼は自分に向けて言ったかのような顔をしていた。けれどその瞳に鏡のように映る姿から、紛れもなく彼は私に向けて言葉をかけたのだと知る。
「私が傷つく?」
「違ったのかな。…でも気分を害したのは間違いないと思って」
「……別に」
「……」

やがて私たちは同じ方を向いて沈黙した。お世辞にも綺麗とは言えない水の止まった噴水を二人して眺めている様はどんなに滑稽なことか。突然ひゅうと風が吹いて咄嗟に髪を抑える。その時、微かに小さな声が聞こえたのだ。

「…もう傷つく姿は見たくないから」

 次は聞き違いも思い違いもしなかった。はっきりと私に向かって告げられたものだった。握りしめた拳は怒りなのか、悔しさなのか、それとも悲しさからか。その言葉の真意を私は図り取ることが出来なかった。予想以上に重いものが降ってきて片手を引っ込めてしまったような感覚。こんなにも大きな体をしていただろうかと錯覚する姿には想像をはるかにこえる何かを背負っているように感じられた。

「…はぐれ君」
「それに、名前さんには迷惑をかけているし。…名前さんの意にそぐわないことはしたくないから、何かあれば遠慮なく言ってほしいんだ」
「そっか。…わかった。私もごめんね。急に変な事言って」
 あれほど悩んでいた彼に謝ることがすんなりと出来たことに驚いた。彼の誠実な心が移ったのだろうか。だとしたらそれは本当におかしなことだ。私は思わず苦笑する。

「どうして笑っているの?」
「ううん、何でもない。…でも何度も言ったけど、私はあなたに話せることはもうないよ。協力することはできないから」
「わかった。もう十分協力してもらってるし、ここからは僕だけで何とかしてみせるよ。あと…」
「何?」
「…その、たまにこうやって会ってもいいかな?話を聞いてもらうだけでいいんだ。無理に名前さんが喋る必要はないから」

 一切自分のことを語らない人は彼にとってつまらなくはないのか。目をそらしてすこし赤面している顔、そしてわざと気を遣って言っているのではないような言葉に私は首をかしげる。意外と彼も分からないところが多い。どうしてわざわざそんなことを言い出したのだろうか。

「それはもちろん。はぐれ君の時間があるときにいつでもいいよ」
「…ありがとう」
 そんな彼のことを少しでも知りたいと思った私は異常だろうか。向けられる笑みに同じように返して、私たちは元来た道を辿って歩き始めた。

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