5、独りよがりと彼の過去

あれから私と彼との関係はほんの少し変わった気がする。単なる他人から話し相手になったというのは些か語弊がある。私は変わらず沈黙を貫いて、それでも耳だけは傾けて物語を聞いていた。
はぐれ君は少しずつ自分のことを話してくれるようになった。探偵であったこと、自信がなくてずっと帽子を被っていたこと。その後巻き込まれたコロシアイの世界のことも概要だけ。開かれていく外の世界は思った以上に新鮮で残酷なものだった。まさかそんなものに巻き込まれていたなんて。
「…皆がいなかったら今の僕はない。死んでしまった人たちの遺志も背負って僕たちは生きていくと決めたんだ」
「…死んだ人の分も」
「その世界では僕たちの存在はフィクションとして見られていたんだ。それを知ったときは今までのことは嘘だったのかと思ったよ。…それでも、皆の気持ちは、心は存在していたという事実は変わらない。本物だったんだ」

 どこか遠くを見つめる彼は事実に憂いているようにも希望を抱いているようにも見える。その横顔は命がけのやり取りをしていた顔にも生きることを投げ出した顔にも見えなかった。ただただ一人の人間としての存在が佇んでいた。
「帽子を被っていたことで事実から目を背けているのは楽だった。だけど、それじゃ何も変えられないんだってことを教えてくれた人がいたんだ」
「それは、どんな人?」
「そうだな…すごく真っ直ぐで、いつもみんなの中心にいるような人だった。英断とは言えなかったけど、誰よりも早く皆を守るために行動を起こしたんだ。彼女にはそれが出来た」
「…その人って、もう」
「…うん。亡くなってしまった」
 
すでに起こってしまった出来事なのに、零れた事実は深く重く浸透していく。水面に浮かぶ月が無言で存在感を示す。…どうして笑っていられるのだろう。微かな笑みでさえ今の夜には不つりあいなものに見えた。

「……僕は、助けられなかったんだ」
全てが終わった今もその事実だけは変わらない。きっかけをつくってしまったのは僕自身なのだと自嘲気味に彼は言う。この先ずっと背負っていくつもりなのだろう。全員の死を、重みとして背中に抱え込んで彼は前へ進もうとしているのだ。
「生き残ったからには皆の分も前へ進まなきゃいけない。…他の二人も同じことを言うと思う。これは皆で出した結論なんだ」
「……ごめん」
「…え?ど、どうして謝るの?」
「…だってこれからだっていう矢先にこんな事態に巻き込まれたんでしょ?申し訳ないなって」
 まとまりかけた糸を無理にちぎったかのような虚無感が胸をかすめる。無意識に下がる頭に焦ったのかはぐれ君は慌てたように「そんなことない」と一言。

「名前さんは関係ないよ。勝手に変なところに迷い込んだ僕に責任がある」
「…きっと二人とも心配してるよね」
「…帰ったら怖いことになりそうだな」
 どうやらはぐれ君は尻に敷かれるタイプらしかった。女の子二人に叱られて頭を下げる彼が容易に想像できる、と話せば図星だとばかりに苦い顔をする彼。話のついでにとばかりに作業の進捗を聞かされる。私が話したこと以外にも不思議な現象を見つけたらしかった。

「ここに来る途中で風に流れる紙切れを見つけたんだ。…明らかに紙のはずなのに、手でつかんで折り曲げようとすると何故か急に固くなって曲げられなくなった」
「へぇ、君たちのところではそれは普通じゃないの?」
「柔らかいものは見た目通りに曲がるし、折れもするよ」
「…多分、ここの物はほとんどが失われないものになっているから、壊れない物があるのは必然、ということなんかじゃないかな__」

 一瞬の光景だった。片腕をあてて悩む姿をした彼がいつもと全く違う様相でこちらを射止めた。何か気にかかることでもあったのか、ここの核心に近づいたのか。…ともかく、探偵の彼はその時だけ私を疑うような眼を向けた、気がした。まるで容疑者を見るかのように。
 それでもすぐに「そっか」と笑みを戻した彼に、勘違いだったのかもしれないと安堵する。彼はそれ以上何を言ってくるわけでもなかったから、本当に気のせいだったのだろうか。しかし何故だか酷く鬱屈とした気分が掠めたのは事実だった。どうしてか、彼に疑われることを極端に恐れている自分が顔を出していた。

 彼がどんな気持ちで私を見ていたかなんて、いつも通りに気づかないふりをした。

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