7、独りよがりは泣いていた

…こんなはずじゃなかった。きっと彼も納得してくれるものだと思っていた。そう考えたのは私が甘かったからなのだろうか。そもそも私は彼と出会ってから前よりもおかしくなっていた。どんな動く生き物を見ても心を動かされない自信があった。そういうものなのだと。諦めてすべてを受け入れてしまうことは私の得意技だった。
 しかし目の前の彼に恐怖をおぼえ、動揺を覚える私は間違いなく異常だった。彼と同じように感情を持つということは許されないことのはずなのに。

「どうして…どうして、いつも目を逸らすんだ!」

 突然の言葉に私は目を見開くほかなかった。人を責めるなど、ましてや怒った表情など浮かべたこともなかった彼。そんな彼がこちらを睨みつける。まっすぐに私を見る。言葉を言葉として認証するよりも先に彼は更に言い放つ。

「君は大切なことはいつも言わない。言えないんだって言ってごまかす。…なのに、何でこんなことするんだ。どうして君がこんなことをしたのかわからない。…でも僕のためだっていうのは分かってる。だからこそ理由を知りたい、助けになりたいのに…」
「…はぐれ君」
「…自分はどうでもいいだなんて思わないでよ。僕はやっぱり名前さんに一緒にここから出て来てほしい。外の世界を知ってほしい」

 自分が濡れているのも構わず、そのまま彼は私の手を包み込む。伝わってくる熱い温もりと早まった鼓動に息をのむ。彼が早くここから出たいと望むから、私は彼に好き勝手にこの世界を調べさせた。…彼を殺そうとした。万が一を考えて情報は晒さなかった。それが彼にとって快くないという事実が余計私を混乱させる。

「…しつこいよ。何度も言ってるよね。私はここから出られないの。出るわけにはいかないんだって」
「どうしてそう言えるの。そういうものだから?」
「……そうだよ。何度も試したけど、無駄だった」
「…それは、外の世界に出たいと思って自分から行動したことがあるってことだよね?」
「っ、」
 
 咄嗟に後ずさるも熱い熱が体を引き留める。次は私が彼を睨みつける番だった。「聞いてほしいんだ」と彼は言う。それは命令というよりもお願いに近いものだった。耳をふさぐ前に言葉が流れてくる。…まただ。彼はあの時と同じ顔をしていた。すべてを暴いてやろうという意思と、見透かしたような瞳。今度こそ私をとらえて離さない。

「…この世界の物はほとんどがなくならないモノばかりで、壊れてもすぐに再生する。生き物も死に絶えることはないし、天気もいつも晴れ。一見平和な世界だ」
「……」
「だから、永遠に変わらない。生き物の性格、行動、鳴き声とかも、天気や雲の形もある日数を経過するとまた元の動きに戻る」
「…何だ、気づいてたんだ」
「風に吹かれた葉の動きが同じようなパターンだったことが気になった。だから他の物も観察してただけだよ。…だけど、例外があった。延々と同じ行動を起こさず、記憶も毎日受け継がれて本当に生きている存在が」
 定時通りの突風が私たちの間を通り過ぎる。もはや抵抗しようとも思わずに私は彼の話を聞いていた。…ちょっとの間。彼は小さく息を吐くと、思い切ったように堰を切る。壊れないモノ、同じ動きをするモノやイキモノ、永遠に変わらない世界。とても簡単な話だった。

「名前さん。君はこのプログラムの管理者だよね。…いや、このプログラムの中枢そのもの、なんだね」
 知っていたなら、どうして君は私にあの言葉を吐いたんだ。
だから言っただろう。私と君では根本に住む世界が違うのだ。
 私は彼の結論に鼻で笑った。馬鹿にしているわけではない。ただただおかしくてたまらなかった。

「あーあ。やっぱりばれちゃうかぁ。…いつから知ってたの?情報は一切教えてないから自分で導きだしたんだよね?」
「…一言で違う世界だと片付けるにはあまりにも不条理な世界だった。前に僕がいた場所でも同じような経験があったんだ。ある人が作ったプログラムの世界では物が壊れない。プログラムだから天気や、川の流れも一定で、不変のもので。それとあまりにも似た場所だったし」
「…それで?」
「僕はさっきおぼれたけど、名前さんは顔に水をつけた状態だったのに苦しそうな顔一つしないから。行動は僕たちと同じようでも、NPCみたいにここの管理を受けて水で苦しくなることはないのかと思ったんだ」
 …あの時本当に殺しておけば真相を導き出されることもなかったのになぁ。残念だと思わず息を吐く。本当を嘘だと否定することはできないから、何も言わなかったけど無駄だろう。彼の言うことは正しい。

「そうだよ。だから言ったでしょう?私はここに住んでいるんだって。物心ついた頃から周りに人はいなかった。命ではない見かけ上の命と共に生きてきた。だから君がここに来た時に元の世界に返さなければならなかった。命ない世界に君みたいな存在は、異常なんだから。秘密裏に行動して返そうとしたけど、どこから来たのかはわからない以上返すこともできなくて。面倒だから手っ取り早い方法で君を消そうとした。…ああ、嘘じゃないよ。私は嘘をつくことも真実を直接言うことも出来ない存在だから」

 真実を手に入れることで現実を受け止めなければならないとはなんと皮肉なことだろう。嘘じゃない、全部ぜんぶ本当の話。だからここから出るとか感情をもつとか、そういうのは全部非合理的なんだ。持つべき気持ちではないんだ。正直、彼の存在に鬱陶しい気持ちさえしていた。早く事実を言ってくれれば彼は私に振り替えることもなくなってこの世界を去るだろう。そう思っていたから。
 …やめて。やめろ。それは私の気持ちじゃない。彼の感情がインプットされてしまっただけだ。
「…でもさ、どうして。どうしてなの?」
「…名前さん」
「どうして君は今頃私を引き留めるの?全てを知っておいてどうしてここから連れ出すなんて言ったの?」
 わかっていても期待してしまう。何度も雲をつかむような話を聞いていたくなる。しつこいのは私の方だった。…その時、初めて実感する。私はたださみしかった。人にそばにいてもらいたかった。
最低な役を演じなければいけないのに、口はどうしても続きを求める耳は勝手に傾く。はぐれ君は優し気な顔に戻り、笑っていった。

「だから、聞いてほしいんだ。僕はそれでもなんとしてでも君を連れ出す。この場所から」
「……そっか。もういいよ」
「え、」
「君の気持ちは十分わかったから。…だからもう大丈夫」
「それは、どういう__
「…最原。騙されないで。こいつはあんたを利用しようとしてるだけだよ」
 
 …ありがとう。その一言だけで私は十分救われたんだ。だから、もう平気だから。ようやく現れた彼の仲間たちの後ろで、驚くはぐれ君に口を動かした。
『さよなら』

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